武家と天皇という二つの権力が並立する日本的政治システムはなぜ成立し得たのか――。今春、日本大学の定年を迎えたのを機に、この日本史上の大命題に正面から切り込んだ。「最終講義では、本書の一部を少しだけ話しました。今後はこのテーマを一層突き詰めていきたい」
北海道生まれ。高校から武道に明け暮れ、歴史は「嫌いではなかったけど、特段好きでもなかった」が、学習院大学に進学後、誘われた中世史研究会で、同会顧問で後に恩師となる鎌倉時代研究の雄・安田元久さんに会い、中世史に興味を抱いた。
「1年生の時の基礎実習の担当も安田先生で、江戸時代の儒学者・新井白石が権力の変遷を論じた『読史余論(とくしよろん)』がテーマでした。白石は、藤原良房の摂政就任から南北朝までの天皇制に九つ、鎌倉幕府から江戸幕府までの武家政権に五つの変化があったと考え、武家の台頭は必然だったと結論づけた。この本はそんな白石に対する、私なりの答えです」
安徳と後鳥羽の2天皇が2年ほど併存した東西両朝、後鳥羽上皇による承久の乱、後醍醐天皇の新政とその後の南北両朝並立……。関さんは、これらの歴史的事象の読み解きをもとに、伝統を再現しようとした勢力とそれをつぶそうとした勢力がせめぎ合った後、最終的に武家が王朝を取り込む形で、幕府というシステムの中で朝廷を温存したと説く。
「中世~近世の武家は、朝廷からみれば体制内野党のようなものでした。一方で、観念的には、天皇・朝廷を中心とする京の政治軸と、武家を軸とする江戸ないし鎌倉の政治軸は併存していた。これらが伏流となり、幕末の尊皇志向の高まりのなか、王政復古が実現するのです」
能が趣味で、自らも演じる。「武道と同様、体幹の強さが必要。学問での軸のぶれも少なくなります」(文・宮代栄一 写真・慎芝賢)=朝日新聞2023年11月25日掲載