1. HOME
  2. 書評
  3. 「但馬日記」書評 しなやかな知性こそ唯一の武器

「但馬日記」書評 しなやかな知性こそ唯一の武器

評者: 小澤英実 / 朝⽇新聞掲載:2023年12月09日
但馬日記 演劇は町を変えたか 著者:平田 オリザ 出版社:岩波書店 ジャンル:エッセイ

ISBN: 9784000616089
発売⽇: 2023/09/14
サイズ: 20cm/243p

「但馬日記」 [著]平田オリザ

 日本の暗い未来の予想図を、ソフトパワーで書き換える挑戦をしたひとりの劇作家の冒険の書である。
 2019年、平田は生まれ育った東京を離れ、城崎温泉で有名な兵庫県豊岡市に制作の拠点を移す。目黒区のこまばアゴラ劇場を拠点に、東京から世界へ発信しながら地域と東京を接続することに注力してきたこれまでの活動からの大転換だ。本書は彼が但馬の地で、「演劇によるまちづくり」をスタートした激動の3年半の記録だ。
 豊岡演劇祭の立ち上げや、演劇を専門的に学べる日本初の公立大学である芸術文化観光専門職大学の滑り出しにコロナ禍が直撃する。市長選では著者とともに「小さな世界都市」を目指し文化政策を推進してきた前市長が、「演劇のまちなんかいらない」と公言した現市長に敗れる結果に。観光と演劇を目玉とするまちづくりの出端(でばな)を襲った逆風を、豊岡はどう乗り越えてきたか。大きな変革に揺れ動くまちは、その名を日本と読み換えても示唆的な、ゆっくりと衰退するこの国の縮図に映る。
 演劇を趣味の共同体が享受するフェティッシュではなく、国民に開かれた芸術・教育の公共財として開いていく。極めて個人的な内面の営みである芸術を、同時に公的資金を投入すべき文化政策として機能させていく。外部の参入者を受け容(い)れつつ地域性を保つ。私は著者に対して、たえず人の輪にいて協働しているのに、なんと独りで立っている人だろうという強い印象を持っていた。だが、その閉じ開かれるあり方は、ひとりの個人のスタンスを超えて、劇団や学校、地域、国家と、同心円状に膨らむ「場」の論理と理念として貫かれ、国境を超えて世界を結ぶ「インターローカル」な豊岡の実践につながっている。しなやかな知性とは、この世界で人が闘い、生き残るために必要なたったひとつの武器であり、子どもたちに捧げられるギフトだと気づかせる本だ。
    ◇
ひらた・おりざ 1962年生まれ。劇作家、演出家、芸術文化観光専門職大学長。劇団「青年団」主宰。