宮本輝という作家を知ったのは、高校生の時だった。私は子供の頃から本が好きで、小学校でも中学校でも頻繁に図書室に通っていたのだが、どうしてか高校生まで宮本作品を一度も読んだことがなかった。
宮本さんの本を読んだきっかけは、同級生のお母さんが「陽子ちゃん、この本おもしろいよ」と『青が散る』の文庫本を貸してくれたからで、私はさほど気負うこともなく、後に自分の人生をも変えてしまう一冊を開いたのだ。
『青が散る』は主人公の椎名燎平(りょうへい)が、関西の大学で過ごした4年間を描いた長編である。
燎平はどこにでもいる凡庸な大学生で、ストーリー自体も殺人や失踪など、手に汗握るような事件が起こるわけではない。心臓が脈打つような大恋愛が描かれているわけでもないし、燎平が4年の間に大化けしてヒーローになる大逆転の話でもない。どこにでもいそうな男子学生が、4年間という限られた時間をただ「生きる」物語だ。
この物語を読み終えた時、涙が止まらなかった。すごく悲しい結末だったわけでも、主人公が大成功したわけでもないのに、とてつもなく感動したのだ。それはきっと燎平がいくつもの試練を乗りこえ、恋をしたり、仲間に助けられたりして過ごした19歳から22歳までの4年間を、私も同じ気持ちで一緒に生きていたからだと思う。『青が散る』は、人が普通に生きることのすごさ、尊さを教えてくれた小説だった。
宮本さんの作品に出合うまで、私は現実逃避ができるような物語ばかり読んでいた。海外の作品であったり、SFであったり、サングラスをかけた殺し屋が主人公のハードボイルド系であったり。どちらかというと自分自身の環境とはかけ離れた設定を楽しむのが心地良かった。
ところが宮本さんの物語は、どうしたって自分自身が取り込まれていった。どこか満たされないものを抱えた主人公は私そのもので、活字を目で追っているだけなのに、いつしか心は主人公と同じ時間を生きている。そんな読書体験はそれまでしたことがなくて、ぱっとしない自分の高校生活すら意味があるように思え、物語に救われるという経験をしたのも初めてだった。
それから時は流れ、私はもう一度、30代半ばで宮本さんに救われることになる。
その頃の私は「小説家になりたい」という夢がありながら、5年近く小説を書いていなかった。34歳で看護師免許を取ったので、4歳の長女を育てながら新人ナースとしてオペ室で働き始め、執筆どころではなかったのだ。
そんな多忙を極めていたある日、私はなにかの時に宮本さんの名前を見つけた。
『北日本文学賞 作品募集 審査委員 宮本輝氏』
富山市に本社を構える北日本新聞社が主催している文学賞の告知だった。募集していたのは原稿用紙30枚の短編小説。それくらいの分量なら、いまの自分でも書けるかもしれないと思った。なによりも審査員が宮本さんで、万が一受賞すればその姿をひと目見ることができるかもしれない……。たぶん日々の生活に疲れきっていたのだろう。自分に都合のよい妄想がすごいことになってきて、宮本さんに会いたい一心で、私は数年ぶりに小説を書いた。
そして私が応募した作品は、選奨をいただいた。なんと私は、世界でいちばん好きな作家に会うことが叶ったのだ。その喜びをどう言葉にすればいいのか。これまでの人生で自分が進む方向にあった光源――そこにたどり着いたような、そんな目の眩むような感覚があった。
北日本文学賞の選奨をいただいたのが2006年で、私が作家としてデビューしたのはそれから3年後の2009年。光源となる存在が、もう一度夢に向かわせてくれたことは言うまでもない。
私は同級生のお母さんのおかげで、人生を変える一冊に巡り合えた。ただあの日、同級生のお母さんが私に『青が散る』を貸してくれたのは、偶然ではないようにも思う。「陽子ちゃん、この本おもしろいよ」という言葉には、私を励まそうという優しさが込められていたに違いない。
最後に、私に起こった今年最大の奇跡をお話ししてもいいでしょうか。ちょっと自慢になるのですが、どうか許していただきたい。
その奇跡とは、2023年6月に刊行された宮本輝さんの文庫『灯台からの響き』(集英社)の解説を、書かせていただいたことだ。編集者さんから届いた依頼のメールを目にした時は涙があふれ、家族が寝静まった夜中だったので、しばらくひとりで嬉し泣きをしていた。
人生は普通に生きていても、ドラマチックなことばかりだ。