>【前編】斜線堂有紀さんの読んできた本たち 小学5年で読む物がなくなり「講談社ノベルズ」がホラーの扉を開くはこちら
「ドイツ語で詰む」
――受験勉強は嫌だったけれど、受験して上智大学に進学されるわけですね。
斜線堂:本当に勉強したくなかったので、問題に使われそうな漢文や古文は現代語訳を全部読んでおいて、実際に試験で『源氏物語』から出題されたから解けた、みたいな絡め手でなんとか受かりました。なんで受かったのかよく分かりません。
――どの学部だったのですか。
斜線堂:ドイツ文学科です。学部も、勉強する気がないから学部を調べる気がないままに決めたんです。その頃、スティーヴン・キングに異常にはまっていて、ちょうど読んでいたのが『ゴールデン・ボーイ』だったからドイツ文学科にいったんですよね。それで私は究極に落ちこぼれることになるので、おとなしく国文科とかに行っとけと思うんですけれど...。
――アメリカ人のキングにはまったから英文科とはならず、「ゴールデン・ボーイ」に元ナチスの将校が出てくるからドイツ文学科というわけですか(笑)。
斜線堂:英文科はスピーキングが壊滅的だったから、ちょっと選べなかったんです。
ドイツ文学科に進むと、まずドイツ語を学ぶところから始まってしまって。今までちゃんと勉強をしたことがないから、当然、落ちこぼれるんですよ。今までは、本を読んでいるので国語とか英語とか日本史はカバーできる部分も多かったけれど、ドイツ文学科に入るとそもそも授業がドイツ語で行われるようになって。基礎の授業を真面目に聞いていなかったから、三ヶ月も経つ頃には先生が話していることすら1ミリも分からなくてしまいました。じゃあまずドイツ語の文法と単語を覚えて、授業の内容を理解出来るようにならなきゃ...と思ったんですが、初歩的な勉強の仕方もわからないからあっさり挫折してしまって。集中力が無いから暗記も出来ない、今まで取ってこなかったからノートの取り方も分からない、意味が分からないから真面目に授業に出席できず、どんどん落ちこぼれていって...。なにもかもが嫌になったからすべてを投げ出してしまいました。教授に怒られても「いや、私はもう勉強なんかしないんだ」と開き直る始末。でも、人生で一番の挫折でした。本当に、毎日怒られたり溜息をつかれたりするために大学に行っているようで...真面目にやり直したくても周回遅れだから、今更取り返す方法もない。二年次で取れた単位が十六単位しかなかったんですよ。しかも殆どが必修じゃない科目。自分って、ここに来るべきじゃなかったんだ...と自尊心が削れていきました。そうなると自分の自尊心をどこで回復するかというと「勉強は出来ないけど、でも本をいっぱい読んでいる」ということを拠り所にするようになったんです。その二つには全く関係ないのに...。授業にはまともに出ずに、逃避するように本を読むようになりました。
その時に文芸サークル、といってもあまり文芸サークルとして活動せずに飲みサーになってしまった文芸サークルに入ったんです。そこの部長だった先輩が、明らかに自分よりも本を読んでいる人だったんです。「無人島に1冊持っていくとしたら何にする」みたいな話題の時に川端康成の『掌の小説』を挙げるような、ガッチガチの純文学国文学の人で、その人に「お前は古典も全部読んでないのか」「青空文庫に入るようなものすら網羅していないくせに読書家といえるのか」と、異常にマウントをとられて、この分野でもボキボキに心が折られました。その先輩はとにかく国文学が大好きな方だったので、梶井基次郎の「ある崖上の感情」(『檸檬』所収)について話し合った時も、私の解釈がちょっとでも浅いと「お前は小説を読むことができていない」みたいなことを言われて「くーっ」となって。
じゃあ自分がやるべきことはこの先輩と渡り合えるくらい本を読むことだと思って。それで、古典を改めて読み直すことと、芥川賞作品をある程度のところまで全部読むことにしました。その時に藤沢周先生の『ブエノスアイレス午前零時』とか、津村記久子先生とか阿部和重先生とか川上未映子先生にはまったりしました。
先輩とは毎回、芥川賞と直木賞を予想していました。先輩は私が候補作を選ぶと絶対に逆張りして、私の予想をめちゃくちゃに言うんですよ。でも山下澄人先生が『しんせかい』で芥川賞を獲った時は私が当てたので、その時は私が異常に先輩にマウントをとりました。「あれ、先輩、え? 読みが浅くていらっしゃる?」って。あれが大学生時代でいちばん嬉しかった思い出かもしれません(笑)。
――結果的に読書の幅がまた広がりましたね(笑)。
斜線堂:大学に入ってよかったことは、自分の知らない小説を読んでいる人たちがいっぱいいたことですね。イタリア人作家のティツィアーノ・スカルパの『スターバト・マーテル』という小説がすごく好きなんですが、それはドイツ文学科の友達に教えてもらったものですし。いろいろ新しいものを吸収できました。
ドイツ文学科では、私は一切ドイツ語が読めないんですけれど、翻訳されたドイツ文学を読むのは好きだったので、それこそトーマス・マンの『魔の山』を友達より先に読んで解説することで宿題を教えてもらって、ウィンウィンの関係を保ってどうにかクラスでの地位を担保していました。「私ドイツ語1ミリもわかんないけどさ、ノヴァーリス読んできたから解説するよ?」「君のレポートに必要な文献ってこれだと思うんだけど、これ貸す代わりにここの文章全部和訳してほしい」「『魔笛』全部読んできたからさ、詳しいあらすじ全部説明してあげる。その代わりにこの作文ちょっとやってくれない?」とか。そのために、岩波文庫から出ているドイツ文学作品で購買に売っているものは全部読みました。必死すぎて...。
――それで卒業できたのだからすごい(笑)。
斜線堂:私2留年して本当に怒られながら卒業したんですけれど、ドイツ文学の文献演習とか、レポートの成績だけは非常に良くて。卒業論文も最高評価をもらいました。でもドイツ語は1ミリも話せないっていう。
――卒業論文は何をテーマにされたのですか。
斜線堂:映画史です。ドイツの映画の歴史は結構深いので、それをまとめて提出して、はじめて教授に褒めてもらいました。それまではすごく嫌われていて...嫌われるのも当然なんですけれど。授業は基本的に全部ドイツ語で、日常会話をする時や学生を叱責する時もドイツ語だったんです。でもある時、私があまりにもドイツ語が分かっていないことに気づいたのか、叱責の途中でピタッと止まって、「あなた、私が何を言っているか分からないからって平然としているけれど、それは人生をなめているわよ」って言われて、「あー日本語で怒られた!」ってとても傷ついたおぼえがあります。確かにドイツ語で叱られている時は「なんか怒ってるぽいけどよくわからないな...」って流せていたんですけれど。
逃避のためにいちばん小説を読んでいたのがその頃だと思います。このまま自分はどうるのかな、卒業できないのかな、ドイツ文学科に入ってしまったことで人生が詰むことがあるんだな、みたいに結構絶望的に考えていたので。
「在学中にデビューを決める」
――その時期に、新人賞への投稿も始めていたのですか。
斜線堂:はい。私、勉強がすごく嫌いだから、親に大学に行くことを反対されていたんですよ。2年生の時点で留年内定みたいなところもありましたし。それでけじめとして、大学に行くなら学費は自分で出すということにしたんです。いろいろなバイトをして稼いでいたんですけれど、留年が見えてきた時に、これは本格的に退学して就職しなきゃいけなくなるから、その前にデビューしないとやばいと思って。就職活動の代わりに小説を書いていたんですよね。そうしないと自分には未来がない、って。留年してるしGPAも異様に低いし、面接で「学生時代なにやってたの」と突っ込まれたら何も言えないから、自分はまともに就職もできないからもう小説を頑張るしかないと思って、必死の投稿作業を始めたんです。
――どういう賞に応募していたのですか。
斜線堂:月に1回、とにかく応募できるものに全部応募しようということで出していました。デビューできればなんでもいい、みたいな気持ちになってしまっていて、エンタメの賞にも純文学の賞にも応募していました。大学4年生の時にキワキワまで残ったのが電撃小説大賞と、またもや文藝賞で、そのどちらかでデビューできればいいと思って電話を待っていたら、電撃小説大賞のほうでデビューが決まりました。
最初は、どちらにも同じような作品で応募していたんですよね。電撃小説大賞は一次を通ると講評がもらえるので大学1年生の時から応募して、毎年講評をもらっていたんです。そうしたら大学3年生の時の講評に「君の小説は面白いけれどレーベルカラーというものがあるから、それを意識した小説を送ってきてくれないか」と書かれたんです。それで4年生の時に傾向と対策を練って書いて応募した『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビューが決まりました。
――では、どういうジャンルを書く作家になりたいかははっきり定めないでデビューされたわけですね。
斜線堂:そうですね。何か面白いものを書けば評価されるだろうみたいな、純粋な信仰があったんだと思います。
――ちなみにちょっと気になるのですが、マウントをとっていた文芸サークルの先輩はその後、どうされたのでしょうか。
斜線堂:私がすごく応募しまくっているのを見て、「お前はこのままだと読み捨てられる売文家になる」みたいなことを言ってくるので、「売文家でもその時その時で読者が楽しんでくれたらいいじゃないですか」と返したら「100年後に残らないものを書くなんて意味があるのか」と煽られてました。で、デビューが決まって、「よし、先輩にマウントをとりにくぞ」と思って伝えにいったんです。「就活お疲れ様です! ところで私は作家になりましたが、先輩はいかがですかぁ!?」みたいなことを言ったら、先輩が「俺も就職が決まった」って。大手出版社に就職を決めていたんですよ(笑)。今も、文芸の部署ではないんですが編集者としてバリバリやってます。
――うわー(笑)。斜線堂さんは、卒業後そのまま専業作家になったわけですよね。
斜線堂:はい。その後の読書的なトピックでいうと、デビューしたての時に、「この先ミステリーを書かなきゃいけないのかな、でも考えてみたらミステリーを全然読んでないな」と思ったんですよね。メフィスト賞や講談社ノベルス系、それこそ倉知淳先生とかは好きだったんですけれど、ミステリーを体系的に読むという意識はゼロだったので。そこから勉強しなきゃと思って慌ててミステリーを読み始めました。その時はディクスン・カーとかアガサ・クリスティーとかも全然読んでいなかったので、そこから全部読むことにして、またローラー読みを始めました。
自分はひよっこ作家ながら結構本は読んできたほうじゃないかとは思っていたんです。意識して新刊にも目を通してきたんじゃないかって。それで、最初はローラー読みもゆっくり進めていたんですが...。そしたら、名前を勝手に出していいのか分かりませんが、阿津川辰海先生が現れるんですよ、私の前に!
――あはは。阿津川さんの読書量と読書スピードは驚異的ですよね。
斜線堂:阿津川先生はSNSで読んだ本についてつぶやいているんですが、それを見て「なんてことだ、多すぎる」と思って。読書量でも勝てないタイプの作家がいるんだ、自分は本だけは読んでいると思っていたけれど、ぜんぜん読んでいないのかもしれんと思ってすごく焦りをおぼえたんですよね。大学で先輩に出会った時と同じです。
とりあえず阿津川先生は古典ミステリーをさらっているので、自分もある程度読まないと同じ土俵に上がれんと思って、そこから読むスピードを速めました。そしたら阿津川先生が「小説誌もしこたま読んでいる」みたいなことをつぶやくので、「この人は...!」と思いながら小説誌も買い始めたりしていました。なんか、甘えてられないなと思って。
でもそれで、古典ミステリーもよいなと気づきました。クリスティーってこんなに面白いんだとか、自分の好きなエラリー・クイーンはこれだな、などと指針が立つようになってきました。
――ミステリーは読んでいなかったとおっしゃいますが、斜線堂さんのペンネームって島田荘司さんの作品にちなんでますよね?
斜線堂:ああ、そうなんですよ。島田荘司先生の『斜め屋敷の犯罪』からつけました。中学生の時に考えたペンネームなんですけれど、確かに中学生の頃、有栖川有栖先生から入って島田荘司先生にいき、京極堂シリーズも読むという王道のルートを辿っていました。その意味だとミステリーは読んでいますが、新本格という意識がなくて、講談社ノベルス系統の延長として読んでいた気がします。
――中学生の時に決めたペンネームなんですか。
斜線堂:そうなんです。中学生の頃の友達に「マジでずっと同じペンネームを使ってるんだね」と言われて恥ずかしくて、なんでデビュー時に変えなかったんだろうと後悔しました。中学生が考えたペンネームっていわれると、確かに中学生が考えたっぽいなって感じがしますよね(笑)。ちなみに下の名前は違ったんです。以前使っていた下の名前が、例の編集者になった先輩の名前と微妙にかぶっていて。なんか癪だったので改名しました。
――記憶に残るいいペンネームじゃないですか。下の「有紀」は「ゆうき」と読みますよね。「ゆき」と読む人もいそうですが。
斜線堂:そうですね。あと「ありのり」と読んで男性作家だと思っている方も意外といらっしゃいます。いまだに何かしら写真が載るたびに、「え、女性だったの」みたいな新鮮な引リプがきます。
「デビュー後の読書生活」
――その後、ものすごい勢いで次々新作を発表されているイメージがあるんですが、大学時代にそれくらい投稿されていたってことは、書くのも速いんですね。
斜線堂:デビュー当時は結構速くて、最近はそうでもないんですけれど。私はただ、打つのが速いだけです。締切が迫っていても思いついてないと1文字も書けなくて、思いついていたら1日で書ける、みたいな感じです。締切までの7日間のうち6日間は何も思いつかないな、って思いながら過ごしているというか。『異形コレクション』の短篇のようにテーマも書きたいこともはっきりしていれば本当に1日で書けます。でも思いつていない時は何も書けないので、平均するとそんなに速くもないと思います。
――アイデアを練っている間ってどうされているのですか。
斜線堂:私は結構パソコンに向かっていますね。3000字くらい書いて、「あ、これじゃなかったか、今日の成果はなしだな」と思ってその日を終える...みたいな。書いてはボツにしちゃうタイプです。でもボツにした、そうした断片みたいなものが全部創作ノートになるというか。だいたいが使えないものなんですけれど、一応残しておいて、見返して創作の参考にしています。
――デビュー作の『キネマ探偵カレイドミステリー』は映画に造詣の深い探偵が登場するミステリーでシリーズ化されていますが、あれはご自身の映画好きが高じて生まれたキャラクターだったのですか。
斜線堂:さきほど卒業論文の話をしましたが、卒業論文の文献演習で調べなきゃいけなかったことをそのまま流用したんですよね。これだけ調べて卒業論文にだけ使うのはもったいないから、探偵が映画に詳しいってことにしてこの知識を使おう、って。なので映画好きというよりは、映画に関する論文を書いていたから生まれたキャラクター、というのが真相です(笑)。
――そこから短期間にさまざまな作風の作品を発表していますよね。
斜線堂:はい。どこにこの作風の源泉があるかというと、中高時代に憧れたマジックリアリズムかなと思っていて。ラテンアメリカ文学が好きなんです。有名なところだとガルシア=マルケスの世界観が好きで、ああいうものを書きたいと思うと自然と奇想的なものが出来上がるというか。自分がマルケスくらいすごいものを書いているのかというと、比較して落ち込んでしまいますが、自分の中では地続きであるような気がします。小説を書く時、自分が読んで好きだったものを再現しようという意識があります。
――ガルシア=マルケスで好きな作品はどれになりますか。
斜線堂:『予告された殺人の記録』が小説としての完成度として群を抜いていると思うんですが、好きなのはやっぱり『エレンディラ』かなあという気が。小説の中でも理不尽を描いたものがすごく好きなんですよね。シャーリイ・ジャクスンにも通じると思うんですけれど、理不尽に翻弄される人間の姿を観るのが好きというか。大いなる法則とかに翻弄され、なぜそういう目に遭わなければならなかったのか具体的な原因が分からない状況の中で人間がどうするか、というところにものすごく惹かれます。
――講談社のサイト「tree」で連載されている「斜線堂有紀のオールナイト読書日記」を見ると、本当に幅広く読まれていますよね。
斜線堂:意識的に広く読もうと思いつつ、意外と読んでいるものが全部趣味に寄っている気もします。いまだに幻想文学が好きですし、海外文学の中でもマジックリアリズム的なものを選んで読んでいるな、という意識があります。
――新刊が出たら必ず買う作家はどのあたりになりますか。
斜線堂:アルゼンチンのホラー・プリンセスと呼ばれるマリアーナ・エンリケスがすごく好きで、その方の新刊は飛びつくようにして読んでいます。このあいだ『寝煙草の危険』という短篇集が出たんですけれど、素晴らしくて。何か、恐怖というものの根源に触れている感じがあるんですが、それをすごく綺麗な文体で書くんですよ。ずっと読んでいたくなるような文体の美しさと、なんでこんな怖いものを書けるんだろうっていうくらいのおぞましさが両立していて、今の自分にとっては目標だなという気がしています。
――最近はどのように本を選んでいますか。
斜線堂:出版社買いとかセレクション買いが多いんです。たとえば、亜紀書房の新刊は全部買うとか、「扶桑社ノワールセレクション」の新刊が出たら読むとか、東京創元社から出る本は送っていただけるものもありますが、それ以外も全部買うとか。昔の、お気に入りのレーベルのものを全部読もうとした頃の習慣が抜けていないんですよ。とりえず全部読んで判断したい、みたいなのがあって。
――亜紀書房の本がお好きなんですか。
斜線堂:はい。たとえば亜紀書房の翻訳ノンフィクション・シリーズから『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』というのが出ているんですが、これは、ある州で人を殺したら3日間寝ないで全速力で隣の隣の州に異動してまた殺人を犯すので、広範囲すぎて全然ばれなかったシリアルキラーの話なんですね。結局この人は、移動をやめた瞬間に捕まるんです。これって現代のミステリーの盲点でもあって、殺人犯やなにかの犯人って、近くにいて証拠を残してくれるから捕まえられるわけであって、異常な移動をしている人間って捕まえられないんだっていう。司法の限界を感じさせるところが面白かった。たぶん、アメリカ全土を移動し続けていれば理論上この人は捕まらなかったんですよ。そういう、自分の想像を超えてくる現実みたいなものに定期的に触れたいということで、亜紀書房の翻訳ノンフィクション・シリーズは読んでいます。
――読書日記の連載を拝読していると、他にもいろいろ読まれていますよね。カレン・ラッセルの『オレンジ色の世界』とか。
斜線堂:カレン・ラッセルはすごく好きですね。私の先輩で漫画の原作者をやっている人がいるんですけれど、その先輩もかなりの読書家なんです。その人が大学時代におすすめしてくれて『スワンプランディア!』を読んだのが出合いでした。
――アジアの文学もいろいろ読まれている。
斜線堂:最近の韓国SFは本当にすごくて、面白くて考えさせられるものが続々と出ているんですよ。個人的には韓国はSFが熱くて中国は華文ミステリーが熱いと思っているんですけれど、どちらも負けないぞって気持ちで読んでいます。
最近だと、孫沁文という方の『厳冬之棺』という華文ミステリーが日本の新本格のいいところを全部引き継いだネオ新本格みたいな感じで、懐かしさすらおぼえるくらいの新本格だったんですよ。すごく感銘を受けました。探偵役も個性的で、助手もチャーミングで、北山猛邦先生みたいなダイナミックな物理トリックをやっている。こんなに面白いものを書かれてしまったぞ、という衝撃がありました。
――かと思えば純文学系も読まれていますね、安堂ホセさんの『迷彩色の男』とか。
斜線堂:芥川賞直木賞を全部読むことは継続しています。最近の芥川賞は本当にエンターテインメント的にもすごく面白くて、今いちばん熱い時期だなって友達とも話しています。そういうなかでいちばん注目したのが安堂ホセ先生で、『ジャクソンひとり』が面白かったので第二作の『迷彩色の男』も読みました。やっぱり語り口がすごく面白いですよね。内容もすごくいいんですけれど、文章表現というものに惹かれる読書遍歴を送ってきたので、そこが優れている作品に出合うと喜びをおぼえます。
――普段、書店にはよく行かれますか。
斜線堂:ちょっと時間があればとりあえず書店に行きます。書店でいちばん特徴が出るのがノンフィクションの棚だと思っています。その書店のチョイスによって、「これ知らなかった」というものが置かれていることが多いんですよ。出る冊数がちょっと少ないというのもあると思うんですけれど、ノンフィクションの棚って新陳代謝が独特で意外な出合いがあるので、書店に行くととりあえずノンフィクションコーナーに向かいます。
――1日のタイムテーブルってどんな感じなんですか。
斜線堂:規則的に不規則です。朝方に寝て、昼に起きて、ダラダラして、ちょっとだけ仕事するか本読む、みたいな生活を送っています。ここ最近は毎日打ち合わせとか会議があるんですが、それだけを頑張って、あとは本を読んでいます。「よく本を読む時間がありますね」と言われるんですけれど、逆にそれくらいしか人間的な活動をしていないんです。
――読書は1日1冊ペースですか。
斜線堂:一度読み始めたら最後まで読みたいし、この歳になると夜更かししても誰にも怒られないから読み切りますね。読み切ったら寝る、という感じです。なのでベッド脇には本が積みあがっています。
――斜線堂さんは黙読するだけでなく、朗読もよく聴いているそうですね。
斜線堂:とにかく退屈なのが苦手なので、どうしても生活しているうえで発生する掃除とか家事をやらなくてはいけない時間にAudibleを聴いていると心が安定するんです。掃除洗濯がだるいけどAudible聴いてるからまあ頑張れる、みたいな。
作品は興味の赴くまま選びつつ、これまで取り組めなかった長大なシリーズを聴き通したりします。私、森博嗣先生のS&Mシリーズを読んだことがなかったんですけれど、Audibleで配信が始まった時に聴き始めて、新しいものが配信されるたびにすぐ聴いて楽しみながら読破しました。
どんなに長い物語でもAudibleだと向き合いやすいんですよね。音声を聴き流しちゃうと話が分からなくなるので、意識がそこに向かうから自然と集中できるんです。本当に物語に向き合うぞっている時にすごく役立ちます。Audibleのない生活は考えられないです。ないと日常生活って暇だなって思ってしまう。出歩かなきゃいけない時も、本を読む時間だと思うと頑張って歩けるし。
『三体』も単行本の刊行とほぼ同時に配信してくれたのでAudibleで聴きました。早川書房のフットワークの軽さにびっくりしますよね。あれを刊行と同時に読み進めていけたのは楽しかった。他には、今まで手を出していなかったけれど読みたかったものを読むのにも使っています。アニー・エルノーも、改めて読もうと思った時に配信されたんですよね。ノーベル文学賞を受賞したのがきっかけだったのか、いきなり『シンプルな情熱』とか『嫉妬/事件』とか、全部Audibleに入ったんですよ。
フィリップ・K・ディックの読んでいない作品もAudibleを使いました。『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』は紙の本ではあまり読むぞという気持ちになれなかったのに、耳で聴き始めるとやっぱり面白いからするするっと読めました。...って、なんか早川書房の作品が多いですね。
他には、私、藤本義一先生がすごく好きなんですけれど、藤本先生のエッセイが配信されていたのが嬉しかったです。藤本先生の『鬼の詩』がすごく好きなんです。結局私の小説家の理想像って『鬼の詩』みたいなところがあって。小説の主人公は落語家という、人に見せる芸の方でしたけれど、小説家もかくあるべきだなみたいなものを感じるんですよね。なににつけても自分が決めたものに命と人生をかけなきゃ駄目だみたいなところが、共通しているなと思いました。
「最近の自作について」
――最近でもミステリー、SF、幻想怪奇、恋愛小説といろいろ書かれていますよね。
斜線堂:どの分野でもこういうものが書きたいというアイデアがあって、書ける機会があればそれぞれ別の頭を使って楽しんで書いています。「SFならこれを書いてみたかったんだよな」とか「ミステリーならこういうネタがあったんだよな」というのを、その時に応じて出している感じです。それこそ私、ミステリープロパーというわけでもなければSFだけずっと読んできましたというタイプでもない濫読家だったので、それが今の作風に影響しているんじゃないかなと思います。
――たとえば2020年に単行本が刊行された『楽園とは探偵の不在なり』は特殊設定ミステリーで、「2人以上殺した者は"天使"によって地獄に引きずり込まれる」という世界で連続殺人が起きる話ですよね。
斜線堂:あれは早川書房さんから「きちっとミステリーとして評価されるものを書こう」と提案されて。まだクリスティーとかを必死で読んでいる頃で、自分はミステリープロパーではないという意識が強かったんですよね。それで、ミステリープロパーじゃない人間がミステリーで戦えるとしたら、それこそ自分の読んできたものから世界観を構築するしかないと思い、自分は終末世界みたいなものが好きだったなと考えて選んだのがあの設定でした。なので、自分に足りないところを自分の得意分野で埋めようという意識が強かったんです。
――かと思うと2021年刊行の『ゴールデンタイムの消費期限』は青春小説で、AIというもの、人間の才能というものと真摯に向き合う内容でしたよね。刊行当時、「AIについては一度書いておきたかった」とおしゃっていました。
斜線堂:そうですね。その後ChatGPTなどが出てきてさらに話題になってしまいましたが、当時、AIは過渡期だから今のうちに書いておきたいと思ったのと、デビューして3年目に差し掛かろうというところだったので、そろそろ何か自分の才能について向き合っておくか、みたいな意識がありました。
――私は斜線堂さんの恋愛小説も好きなんです。『愛じゃないならこれは何』や『君の地球が平らになりますように』といった短篇集は、コミカルな短篇であっても、恋愛感情の裏側にある複雑な自我、自意識について掘り下げられていて深いなと感じます。
斜線堂:あれは「恋愛小説を書きませんか」という依頼で、自分が書くならこんな感じかな、と考えて書いたものですね。「エモーショナルだ」と言ってくださる方もいるんですけれど、実は自分や自分の友達のことを書いていて、モデルがいたりもするんです。たとえば『君の地球が平らになりますように』の表題作は、友達の好きだった人が陰謀論にはまったことがあって、それをそのまま書いたんです。自分の周りや自分がこんなに辛い目に遭ったんだから、こういう形で昇華させておこうというか、成仏作業みたいな感じです。私の中では文化史の一部みたいな気持ちもあります。この時代にはこういう恋愛の辛さがありましたよね、ということの記録作業のような気持ちもありました。
――では今年刊行のSF、『回樹』はいかがですか。人の遺体が腐らない世界の話で、遺体を取り込む謎の存在が出現する。あの存在のイメージが最初にあったのでしょうか。
斜線堂:あれはどちらかというと、百合SFという企画が先だったので「その愛が真実のものか真実のものでないかを判定できるものがある」というところからスタートしています。
――ああ、なるほど。そして新作の『本の背骨が最後の残る』は、主に『異形コレクション』に収録された短篇が収められていますね。さきほど高校生時代に『異形コレクション』にはまっていたとおっしゃっていましたね。
斜線堂:そうなんです。それですごく緊張してしまって。表題作が最初に寄稿した短篇だったんですけれど、それを書く時に、過去の『異形コレクション』を読めるだけ読み返して、自分がどんな作品のどんな雰囲気を良いと思っんだったかを確認して、それを再現しようという意識で書きました。あれこそ傾向と対策で書かれた一篇でした。
――それが本当に面白かった。紙の本が焼かれ、その代わりに物語を語る「本」という役割を担う人間たちが現れた国の話ですよね。「本」と「本」の内容が違うと「版重ね」というディベートが行われ、負けたほうはその場で焼かれるという...。
斜線堂:あれを書いた時にいちばん意識したのは、『異形コレクション』に夢中だったあの頃の自分が、これは載せてもいいかなと思ってくれるかどうかでした。あの頃の自分が好きだったもののように、耽美でグロテスクだけれど、世界観がはっきりしていてゾクゾクするような話を書こうという意識がありました。
――他の短篇もすべて意表を突く発想と展開で、怖くて甘美でかつ絢爛で、という感じでしたが、斜線堂さんが描く世界は残酷だけれど悪趣味だったり下品な方向には走っていませんよね。
斜線堂:源泉にあるのは『多重人格探偵サイコ』の宣伝ページじゃないかと思うんですよね。なにか見ちゃいけないものを見ちゃった、怖いけど気になるっていう。『多重人格サイコ』はすごくグロテスクなんですけれど、美しさを感じる部分もあるんです。そういう危うい境界への憧れを再現したいと思うのかもしれません。なんか、怖いと思う感情と、美しいと思う感情って実は似ているんじゃないかっていう気持ちがすごくあるんです。惹かれる時に反応する脳の部分が似ているというか。そうしたところにやっぱり自分の源泉があって、読者の方にも、見てはいけないものを見てしまったという共犯意識を持ってもらいたい気持ちがある気がします。
――『異形コレクション』には今後も参加されるご予定ですか。
斜線堂:はい。今月刊行の『乗物綺談 異形コレクションLVI』にも「帰投」という新作短篇が載っています。