12月は野球のオフシーズン。試合のない夜は静かにすぎていく。
一方、阪神タイガースは、ほぼ毎日ネットニュースで見かける。主力選手たちの年俸は爆上がりし、岡田彰布監督の「ARE」は流行語大賞に輝いた。38年ぶりの日本一効果は絶大だ。
本を読んでいても、フランスの哲学者サルトルの名前を「サトテル」に空目してしまう。野球ロス状態の私にとって、どんなに小さくても阪神情報は砂漠で見つけた湖……いや、そんなに大きくはない。水たまりくらいかな。
恵みの雨のような阪神情報をせっせと仕入れては、カラカラの心を潤している。
そんなことをしている間に、来季は迫ってくる。
頂点を極め、追われる立場になるのは、王者の宿命だ。
個人的には夏に病気をしたので、阪神タイガースをこれからもちゃんと見続けられるのか? という若干の不安もある。命あっての応援だ。
ところで、本連載の第2回で触れた中学時代の話に戻る。
中学2年のある日、上級生から呼び出されて暴力を受けた。
いじめのターゲットになった途端、巻き込まれまいと同級生は私を避けた。
その気持ちは痛いほどわかる。避けた人を責める気になれなかった。
その時、頭を占めていたことはただひとつ。
明日、学校へ行くべきか、行かざるべきか。それが問題だ。
「ネガティブ・ケイパビリティ」とは詩人のキーツが記述した言葉で「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」を指している。
作家で精神科医の帚木蓬生が著した『ネガティブ・ケイパビリティ』は、自身の体験を交えてネガティブ・ケイパビリティについて記した一冊。
「能力」とは、何か成し遂げる力を想像するけど、ネガティブ・ケイパビリティは何もしない。宙ぶらりんのままでいる能力のこと。
それって能力なの?
読み進めながら、かつていじめを受けた日のことを思い返す。
学校へ行けば、また暴力を受けるかもしれない
行かなければ、その先ずっと行けなくなるだろう。
どっちを選んでも苦しい。答えの出ない状態はさらに苦しい。
ひとりで悶々と悩んでいるとき、家の電話が鳴った。
電話の相手は職場にいる母だった。
「もしもし」。母の声を聞いた途端、ここまで出なかった涙がどっとあふれてきた。
泣きながら学校での出来事を話した。母はおもむろに訊いた。
「あんたは、何かしたんか」
「何もしてない」。きっぱりと答える。
私の話に母が耳を傾ける。その時思った。
――母は、私を救おうとしている
救ってくれる、という確信じゃない。
救おうとする必死さがあった。それだけで私はすでに救われていた。
電話を切ったあと、しばらくして帰宅した母は言った。
「明日、学校へ行きなさい」
翌日、勇気を振り絞って登校した。
昨日何もなかったかのように時は過ぎ、そして何も起こらないまま下校した。
なぜいじめは起きるのか、なぜ事態が好転したのか、本当のところよくわからない。
母は担任や、私に暴力をふるった上級生と直接会って話をしたらしいが、それが功を奏したとしても、確実な解決法だったとは言えない。
あの時の母は、娘を救おうとしてくれていた。それだけはわかる。
ネガティブ・ケイパビリティという、答えの出ない事態に耐える力は、耐えている自分を見てくれる人がいる、そのことが肝要。
母は私を見てくれていた。一緒に耐えてくれた。
いきなりいじめの対象になったこと、一部の同級生に避けられたこと、不登校になるかもしれないこと……。一気に押し寄せた問題を共有し、解決法を探ってくれた。
だから怖くても、翌日学校へ行くことができた。いまもそう思う。
その母は2020年8月に逝ってしまった。
余命を告げられる病だと知っても、諦めずに辛い治療をした。あの時ほど、ネガティブ・ケイパビリティが頭をよぎったことはない。
どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に母は耐えた。父も、私も妹も耐えた。耐える力が私たち家族をひとつにしてくれた。
今シーズンは数度、阪神ファンの父を誘って二人で甲子園へ出かけた。
父は母の再婚相手で、養子縁組して親子となって十数年経つ。
一緒に暮らしたこともなく、直接連絡することも、二人で出かけたこともなかった。
父と娘のようなやりとりをするようになったのは、母が病気になってからだ。
先日、父から届いたLINEには、タイガース日本一記念のグッズの写真。
これを身に着けて、来季も一緒に応援に行こう、ということか。
来季のスローガンも決まったことだし。それまで生き延びなあかん。
阪神タイガース ARE goes on!