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「石母田正 暗黒のなかで眼をみひらき」 平等と社会革命を追い求めた「行動する歴史学者」の孤独

歴史家・石母田正の評伝を出した磯前順一・日文研教授=京都市

 「中世的世界の形成」や「歴史と民族の発見」「日本の古代国家」など数々の著作を残し、独自の英雄時代論を展開した石母田。その思索の遍歴は常に時代の流れとともにあり、社会革命を追い求める「行動する歴史家」ゆえに、非情な現実に翻弄(ほんろう)され続けた。

 「彼にとって、現実を不平等のない社会に変える、それがすべてだった」と磯前さん。「しかし彼は孤独だった。それが学問的成熟をもたらした」

 挫折と敗北の洞察を理論にまで仕上げ(中略)彼は成長していった――。盟友、故・藤間生大(とうませいた)が弔辞でそう読んだように、石母田が理想と現実の乖離(かいり)に身をよじらせ苦悶(くもん)しつつも、それさえ自らの論理を磨き上げる糧としていったのは想像に難くない。

 宗教や歴史が専門の磯前さんが石母田にふれたのは20歳のころ。国家論と神話論の鮮やかな結びつきに驚いた。修士論文も英雄時代論と出雲神話論を扱った。以来長きにわたり、この巨人と向かい合ってきた。

 その最後を飾る本書は、石母田の人生や業績を単にたどる伝記ではない。むしろ彼という人間の思想の分析と批評に重きを置くため、かなり難解だ。

 石母田のいう英雄時代とは、個としての英雄が社会集団を代弁する時代であり、時代の変わり目に出現する共同体のリーダーは、自らの集団の意思を体現して行方を指し示す存在である。そこで問われたのが人間の主体性だった。彼は暗い時代に人間が運命を切り開く自由な意志に光を求め、古代のヤマトタケルや中世の伊賀国黒田庄と悪党らに焦点をあてつつ、その歴史的意味を模索した。

 「石母田の英雄論には弱者の代弁が息づいている」と磯前さんはいう。唯物史観にイメージしがちな無味乾燥な理論とは一線を画した、「人間の歴史学」とでもいえようか。そこには故郷、宮城・石巻での被差別者との体験や、過酷な仕事に従事する労働者らに注いだまなざしが刻まれているのかもしれない。

 時代の流れとともに、社会革命の退潮は加速していく。今世紀を前に多くの社会主義国家が瓦解(がかい)し、革命と階級国家消滅の未来は遠く去った。

 いま世界はグローバル化に覆われ、個は平準化された民主主義社会とポピュリズムに埋没しかけている。石母田が夢みたプロレタリアート独裁を現実的に考える者はほとんどいないだろう。では、彼の学究は徒労に終わったのか。磯前さんはいう。

 「同質化し安穏に閉じられようとしているこの世の中にも、差別やいじめは厳然とある。声を封じられ、はじき出され、こぼれ落ちた人々がいる。だから石母田の希望の声を届けたい。でなければ彼らは救われない。大事なのは私たちがいま、石母田から何を学ぶか、何を拾い上げるか、でしょう」(編集委員・中村俊介)=朝日新聞2024年1月31日掲載