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逢崎遊さんの記憶に鮮やかに残った絵本「八方にらみねこ」の目力

『八方にらみねこ』(武田英子・文、清水耕蔵・絵、講談社)

 本気の喧嘩をしたことがない。
 不良映画によくあるような抗争に参加したこともなければ、黄昏時の河川敷で親友と拳と拳の殴り合いをした経験もない。
 無駄な争いを避ける、と言えば聞こえはいいが、その実はどうだろう。元来真面目な気質ではあったが、強い者に逆らえない恐怖心もちょっとだけあった。嫌われたくなくて、ヘラヘラしていた。私はいわゆる「いじりやすい子」だったと思う。いじめを受けた経験はないが、遊びに行けばひとりだけ置き去りにされたり、変なあだ名で呼ばれたり、なぜか言いくるめられて荷物持ちをさせられたり。……悪意は無いが無邪気といった雰囲気の中で、モヤモヤとした違和感を覚えていた。もちろん良い気持ちはしない。でも、そうやって自分を軽く扱う相手以上に、甘んじてひょうきん者を受け入れる自分自身が憎かった。

 そんなことを感じていた小学3、4年生の頃、絵本『八方にらみねこ』(武田英子・文、清水耕蔵・絵、講談社)に出会った。燃え盛る炎の中、ギラッとした眼で凄む猫の表紙が印象的な絵本だった。
 当時、母親が学校のボランティアで読み聞かせをしていた。その影響で絵本に触れる機会が多く、市の図書館にもよく通っていたし、家にもたくさんの絵本があった。『八方にらみねこ』も、その時期に知った作品の一つである。
 物語の内容は、雪の降る日に拾われた一匹の子猫が、世話をしてくれたじいさとばあさに恩返しをするために奮闘する、というもの。じいさとばあさは養蚕で生計を立てており、毎年春になると蚕を食べるネズミの被害に困っていた。そこで主人公の「みけ」はネズミを撃退しようと画策するも、かなしいかな返り討ちに遭ってしまう。このままではじいさとばあさの力になれないと考えたみけは、ネズミ達が恐れる「八方にらみの術」を教えて欲しいと山猫に懇願する。山猫の厳しい修行に思わず音を上げそうになるみけだったが、恩返しのため、四方八方を取り囲む炎を睨み続け……最後には炎もたじろぐほどの、八方にらみの術を会得する。
 印象的だったのは、立派に成長したみけの目力だった。大きなビー玉のように透き通った爛々とした目玉の描き方に、とにかく魂を感じた。最終的にみけはネズミに指一本触れず、睨むだけで戦いを終える。その威厳のある圧倒的な強さが鮮烈だった。

 中学生になると私は剣道を始めた。喧嘩が強くなりたかった訳じゃない。弱い自分を変えたかった。手に分厚い豆が出来ても、足の裏が剥がれようとも、必死に竹刀を振って稽古に励んだ。
 その甲斐あって、中学や高校では以前のような扱いは受けなくなった。流石にネズミを睨み殺すような眼光は手に入らなかったが、それでもあの頃と比べてだいぶ力強い目つきになったと思う。そんな幼少期から思春期の成長と重ねるからこそ、『八方にらみねこ』のみけが他人事には思えなかった。 

 残念ながら現在『八方にらみねこ』は絶版になっており、中古品でも元値の数倍の値段で取引されるほどの古書である。『八方にらみねこ』はそれほど有名ではないらしい。周りの人に聞いてみても、皆一様に知らないと言う。
また、最近になって母親に連絡すると、驚きの答えが返ってきた。
「あぁ、その作品は、図書館で一度借りただけ? じゃないかな。とにかく家にはないよ」
 なんと『八方にらみねこ』は、我が家に置かれていなかった。しかも学校の読み聞かせに使いはしたが、私の妹のクラスで読んだだけらしい。母親は私に読み聞かせた記憶が無いというので、むしろ私がこの絵本を知っていることに驚いている様子だった。
つまり私は何かの拍子にこの絵本を捲り、その一度の読書体験で全ての内容を鮮やかに覚えていたことになる。
記憶を辿れば、夕暮れ時の誰もいない部屋で、暇を潰すように絵本を開く自分の姿があったような気がした。
 たった一度。たった一度、その絵本に描かれた猫と目が合っただけだ。
 どうやら私はその睨み殺しに掛かる眼光に、ずっと魅せられ続けていたらしい。