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上京してきた逢崎遊さんが「渋谷」で得たものは

©GettyImages

 高校卒業後の上京物語の舞台であった渋谷区。私は18歳から22歳までの間を、そこで過ごした。
 最南端の県の出身の私からすれば、都会は憧れだった。渋谷にあるデザインの専門学校へ入学した当初のワクワク感を今でも鮮明に思い出せるし、地元にはない一つ一つの発見や新しい情報に、目を輝かせていた。ハチ公像、岡本太郎の明日の神話に、条例違反のストリートアート、常に開発中の駅の様子に、終わらない人々の往来まで。あの雑多な感じが堪らなくて、暇さえあれば渋谷のどこかを散策していた。学校が終わればクラスメイトと晩御飯へ行き、休日はハンズに入り浸って素材を探して、たまに近くの北谷公園で授業をサボる。デザインを学ぶために意識的に渋谷の街を見ていた分だけ愛着が湧いた。

 東京では人との出会いも多く、一番印象的な人に莉子さん(仮名)という人がいた。
 莉子さんは専門学校の夜間部の同級生で、スーツが似合いそうな年上の女性だった。日中は会社で働いて、夜になると学校へ。そこから更に人脈を広げるための飲み会へ行く。しっかり者で溌剌としていて、まさに仕事も勉強も人付き合いも両立させる素敵なお姉さんという感じで、クラスでも一目置かれていた。莉子さんは私を弟のように思って接してくれて、仕送りもなく細々と一人暮らしをしながら都会で頑張る私を気に掛けてくれていた。……正直、私は彼女に惚れていたと思う。
 ただ、東京は建物も人のサイクルも早い。莉子さんは仕事が忙しくなり、最終的に退学を選んだ。私が在学中に彼女を見たのはセンター街が最後で、「20歳を超えたら一緒にお酒飲みに行こう」と誘ってくれたにも関わらず、以降連絡がつかなくなる。
 都会だな、と思った。そして人との出会いと別れに慣れて来る頃には……私も都会の人間らしさを身に付けていた。満員電車も日常の光景と化し、人混みの中を無心で歩けるようになっていたし、渋谷区も見慣れた土地になっていた。代々木八幡から代々木上原、そして表参道へと職場を転々とし、日々少ない給料で食い繋いで、学校の課題をこなす。都会に対する目新しさも、いつの間にか減ってしまっていた。
 卒業後は、渋谷に行くことはぱたりとなくなった。コロナの影響で表参道の職場での稼ぎが無くなり、転職を余儀なくされてしまったこともある。そしてこれを機に小説に集中しようと、時間に融通が利く配送業を選んで人との関わりを極力減らしてしまった。神奈川の川崎市が配属場所だったので、働いては小説を書くだけの日々では到底、東京の土地を踏むことも無くなる。
 莉子さんから連絡が来たのは、そんな味気ない日々を送っている時期だった。
 もう二度と繋がれない関係だと思っていたからこそ、数年越しの連絡に驚いた。すぐ近況報告をし合い、長電話をするようになった。
 莉子さんはコロナを機に地元に帰っていた。精神的に疲弊していたこともあって休職中。その中でくれた連絡だった。聞けば学校を去ったのも、当時は完璧な姿を頑張って演じていたらしく、途中でいっぱいいっぱいになってしまってしまったとか。でも飾らずありのままで話してくれるようになった莉子さんは親しみやすくて、以前よりも距離が縮まるのは時間の問題だった。
 小説の話を彼女にするようになり、実際に読んでもらい、最終的には校閲から編集までを彼女が担ってくれるようになった。一作、二作、三作、と作品を積み重ねていくうちに、いつしか彼女と付き合うようになり、受賞を目指して一緒に狭い部屋で暮らすようになっていた。同年代に比べ圧倒的に少ない収入と貧相な暮らし。小説家になれる保証なんてどこにもない。それでも、一つの表現で喧嘩をしたり、毎度原稿用紙をペンで真っ赤にしたりして、とにかく互いに「精一杯やれるのは今しか無い」と言わんばかりに必死の2年を過ごした。
 彼女と作り始めて18作目で、納得のいく作品が出来た。言葉では説明できない確信めいたものが、『正しき地図の裏側より』にはあった。そして、この作品は小説すばる新人賞の最終候補に残ることになる。

 蒸し暑い夏の夜、集英社に向かう途中、渋谷駅で降りた。2時間後に、最終選考前の打ち合わせがある。その日は昼食と夕食を兼ねて兆楽(ちょうらく)という中華屋で肉絲(ルースー)炒飯を頼んで食べた。学生の頃の行きつけの店の一つだった。
 渋谷で出会った人と、渋谷で育てた価値観と、その他諸々に思いを馳せる。3年間足を踏み入れなかった渋谷は、若干顔付きが変わっていた。好んで長く過ごしたこの街は、もう既に新しい誰かの今の舞台らしい。そんな気がした。
 青春の終わりを過ごした土地で腹拵えを済ませて、席を立つ。
 その2ヶ月後、新人賞を取ってデビューするのは……また別のお話。