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詫び菓子 千早茜

 先日、とある鼎談(ていだん)で手土産について話していた。聞き手のライターさんは「友人に」「特別な相手に」といったようにシーン別にお薦めの手土産を私たちに尋ねた。私は雑誌で手土産特集があったらすぐ手に取ってしまう人間だ。そんな手土産をもらったら絶対に嬉(うれ)しい、あのレストランでは予約で買えるマロングラッセがあるんですよ、とひとしきり盛り上がった後、ライターさんが「では、謝罪の時は」と言った。

 「あー」と私以外の二人は苦笑いをして、老舗の焼き菓子詰め合わせや料亭の和菓子などをすらすらと挙げた。「お詫(わ)びの菓子折りは桐箱(きりばこ)入りのものを、と先輩に教わりました」とカステラや羊羹(ようかん)もつけたす。そういえば、いつだったか私が好んで持ち歩いている小型羊羹を見た友人が「羊羹って詫び菓子だよね」と言い、衝撃だったことを思いだした。羊羹の重みを謝罪の意を込めて差しだしたことはなかった。不惑を越えて、仕事の場で詫びを入れた経験がないとは。「どうしよう」と狼狽(うろた)える私を少し年上の二人は「謝ることがない人生を送っているならそれが一番ですよ」と励ましてくれた。

 しかし、二人だって重大な過ちや失敗をおかしそうなタイプではないのだ。人や物事に丁寧で、頭も切れる方々だ。一人は自分で店を構えており、一人は出版社で役職についている。従業員や部下の過失での謝罪もあるのだろう。小説家の私は個人事業主で属するものがない。子供もいない。自分以外の誰かの責任を負って生きていないのだ。

 楽しい鼎談を終え、にこやかに別れてから、詫び菓子も知らないような生き方は大人としてどうなのだろうと悩んだ。未熟ではあるまいか。

 でも、自分の過失は自分だけに返ってくる。誰も私の代わりに謝る必要はない。人の迷惑にならない、という点では悪くない気がした。なにより、手土産は自分が美味(おい)しいと思ったものを、その人に会えた喜びをもってお渡ししたい。この先も詫び菓子と無縁でありますように。=朝日新聞2024年3月6日掲載