「体育とスポーツを分け、もう一度体育を捉え直してみたい」と為末氏は書く。各所で「体育」と呼ばれていたものが「スポーツ」に置き換わっている。この一見差異のなさそうな呼称の変更にも、実は「体育」のことを国民的にあまり考えていない実情が見て取れる。
為末氏によると、体育は「自分を扱う」ものだという。たとえば身体にしてもそうだ。大人はみんな自分の身体の扱いに困っているのに、身体の扱いを学べるはずの「体育」がうまく浸透していない現状に対し、この本はその課題と対策法を多角的に浮き彫りにしていく。
「自分をどんどん便利なものにしていく競争、みたいなところがありますよね。本当の自分はそれほど便利じゃないし、そんなにうまく扱えるものでもないのに。このように、『扱い難い自分』と『上手に扱うことを要請する社会』との間でねじれがあるとすれば、体育を通して、自分と社会を折り合わせていくことができればいいのではないかと思うんですよね」(為末氏)
こういう趣旨の本となると、体育の専門家や元選手たちで話すような想像をしたが、『どもる体』の伊藤亜紗(あさ)氏、『声に出して読みたい日本語』の齋藤孝氏、「遊び学」提唱者の松田恵示氏、美術教師の末永幸歩(ゆきほ)氏、『数学する身体』の森田真生(まさお)氏、不便益システム研究所代表の川上浩司氏らと体育の話をするという。どんな話をするのだろうと興味をそそられた。
他ジャンルで身体性や遊びと制限の問題を扱う、こうした人々との対談の狙いは、体育とは単なる教科ではなくすべての教育のファンダメンタル(土台)であることを確認したうえで、体育になにができるのかという建設的なアイデアを生み出していくことにある。子どものからだ研究所所長の野井真吾氏は、「たとえば小学校の授業は45分、大学は90分ですよね。なぜこんなに違うのか。当たり前ですが、小学生が90分の授業を受けるのは難しいですよね。からだと心がそれを許さないから。(中略)つまりすべての活動は、その根底にある子どものからだと心のことを考慮して展開されていて、じつはここにすごくコミットしているのが体育だと思います」と述べる。失敗できない状況と、自己責任論、競争し続けなければいけない環境が、「からだと心」のバランスを崩しているとも指摘している。
体育って遊びの要素もあって競争しないでも楽しいはずなんだ。でも成績をつけるから結果主義になり競争化する。だから苦手意識も出てくる。では評価をどうするか、ルールをどうするか、教え方をどうするか。刺激的なアイデアが豊富で読みながら身体を動かしたくなった。=朝日新聞2024年3月16日掲載
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大修館書店・1760円。編著者の為末大氏は78年生まれ。スプリント種目の世界大会で日本人初のメダル獲得。著書に『熟達論 人はいつまでも学び、成長できる』など。