今年没後100年を迎えるチェコの作家フランツ・カフカ(1883~1924)に宛てて、恋人が送った手紙が残されていたら――。そんな想像をもとに書かれた架空の書簡集「あなたの迷宮のなかへ カフカへの失われた愛の手紙」(村松潔訳、新潮社)が刊行された。著者はフランスの作家マリ=フィリップ・ジョンシュレーさん。来日にあわせ、作品に込めた思いを聞いた。
手紙の主は、実在した女性ミレナ・イェセンスカー(1896~1944)。結婚してウィーンに住んでいた彼女は、故郷のプラハで滞在中に13歳年上のカフカと出会い、手紙を交わすようになった。
カフカがミレナに送った手紙はミレナの手を通して後世に伝えられ、カフカの没後に書簡集「ミレナへの手紙」(池内紀訳、白水社)として刊行された。一方、ミレナがカフカに送った手紙は燃やされ、失われたとされる。
本作は、現実では失われてしまったであろうミレナの声を、虚構としてよみがえらせる試みだ。フランスでは「大胆不敵すぎる」という反応もあったそうだが、作家は「こうしたことができるのも、文学的な想像力のなかにある自由さですものね」と話す。
ジョンシュレーさんは1974年、フランス生まれ。フランス語の教師を経て2008年から作家業に専念し、これまでに小説や詩を発表してきた。本作が初めての邦訳書となる。
もともと書簡集が好きで、バージニア・ウルフと同性の恋人が交わした手紙などに影響を受けたという。「2人の人物による対話はシンプルでもあり、複雑でもある。ひとの心の奥底に入っていけて、現実と想像の橋にもなっている」と書簡の魅力を語る。
「ミレナへの手紙」を読んだのは21年。カフカが自分を大きく見せようとはせず、自身の不運や弱さもつづった手紙に心を動かされ、「まるでカフカが私に宛てて書いてくれているかのように感じた」という。
カフカの手紙を一通読むたびに、手書きで返事をしたためた。「ベッドのなかで、自分の愛するひとに向けて手紙を書くようにして書きました」。2人のあいだに起きた出来事や歴史には忠実に、しかし「それよりも、ミレナの感情を自由に感じて、自分の言葉に翻訳することの方を大事にしました」と話す。
2人はほとんど会うことのないまま手紙をとおして感情を燃えあがらせたが、本作のミレナは、次第にカフカの「観念の恋人」である自分と、生活する肉体がある自分とのあいだで引き裂かれていく。
「カフカに必要なのは書くことであり、結婚して子どもを持つという人生は諦めている。かたやミレナは若くて子どもがほしいし、身体的に生きたかった。一緒になるのは不可能でした」
100通を超える手紙を交わした果てに、本作のミレナはつづる。〈わたしたちの愛は不可能だったから、あなたはわたしを愛したのです〉。不幸な結末と言えなくもないが、「2人ともロマンチックなひとだった。嵐のような愛を一緒に感じられたのは、喜びでもあったと思います」。(山崎聡)=朝日新聞2024年4月24日掲載