ロシアによるウクライナ侵攻が始まって、2年以上が経つ。戦争の長期化を受け停戦論も唱えられる中で、歴史修正主義やヘイトスピーチに向き合ってきたライターの加藤直樹さんが、ロシアの責任を軽視する言説に批判を加える著書「ウクライナ侵略を考える」(あけび書房)を出版した。
加藤さんは、関東大震災時の朝鮮人虐殺を追った「九月、東京の路上で」や、虐殺否定論を検証する「TRICK」などの著作で知られる。社会運動にも長らく積極的に関わってきた。
ロシアの侵攻が始まった2022年2月。普段護憲や反戦を訴えている知識人らの一部に、「ゼレンスキーが挑発したせい」「ウクライナはネオナチに支配されている」などと、ロシア側の論理を用いてウクライナを非難する人々が現れたことに、加藤さんは驚いた。戦争反対を言いつつ「米国やNATOに武器をもらってロシア叩(たた)きしたら廃墟(はいきょ)と死人の山」とウクライナを冷笑するSNSの書き込みも目にしたという。
こうした言説の中では、ウクライナは西側陣営の一つの「パーツ」としてしか扱われていない、と加藤さんは問題提起する。侵攻の理由が、ロシアと欧米諸国の覇権争いの構図でしか説明されていない、と。「『西側は結束すべきだ』『ロシアの言い分も無視できない』と米ロの話に終始する議論には、いつもウクライナの市民の姿は見えない」。侵略を受けた被害者であるウクライナの人々の主体性を無視した議論は「大国主義」であると批判する。
この「大国主義」の根底には、日本の戦後平和主義が、過去の日本の侵略行為に向き合ってこなかったことがある、と加藤さんは指摘する。
補助線として引用するのが日中戦争だ。日本の大陸進出を背景に当時強まっていた中国国民の抗戦意思を軽視した結果、日本は戦争を長期化させた。住民の殺害や略奪を激化させ、比例して抵抗もさらに強まった。
加藤さんはウクライナ侵攻を、日中戦争と相似のものとして捉える。「日本が侵略側だったこと、中国の民衆が国家を支持して侵略に抵抗したことを、戦後平和主義は考えてこなかった。そのために、主権者としてロシアに抵抗するウクライナ市民の行動原理が理解できないのではないか」
「フランスのレジスタンスもベトナムのゲリラ戦でも、抵抗の暴力はきれいごとではない。抵抗により犠牲が増えるかもしれないジレンマもつきまとう」。抵抗という重い選択をする権利はあくまで当事者のウクライナの人々にある、と加藤さんは考える。「大国主義を内面化し、一方的な侵略にあらがうウクライナ市民の主体性を無視して冷笑するのは、人ごとのような緊張感を欠いた議論だ。意思を持つ他者の存在を常に考えることが、大国主義に陥らない、人々の普遍的な連帯につながる」(平賀拓史)=朝日新聞2024年6月5日掲載