「日本外交の父」と称される陸奥宗光(1844~97)は、欧米列強との不平等条約改正に尽力したことで知られる。だが前半生は、困難と挫折の連続だった。
辻原登さんの「陥穽(かんせい) 陸奥宗光の青春」(日本経済新聞出版)は、陸奥自身が多くを語ろうとしなかった苦難の時期に光を当てた小説だ。「政治家、偉人としての陸奥は、みんなが知っている。だから彼の青春時代にしか興味がなかった」と辻原さんは話す。
9歳のときに紀州藩士の父・伊達宗広が政争に巻き込まれ、陸奥は母親や妹とともに和歌山城下を追放される。貧窮しながらも勉学に励み、坂本龍馬率いる海援隊に参加。その後、兵庫県知事や神奈川県知事を歴任する。だが1877年、自由民権運動を推し進める急進グループが画策する政府転覆計画に加担し、逮捕。4年4カ月の獄中生活を送る。
タイトルの「陥穽」は、理想と現実の間にある落とし穴を指している。「陸奥の場合、立憲民主政体をつくりたい、という現実的な理想を抱いていた。でも、理想を実現するための手法が非現実的だった」
陥穽(あな)の中である監獄生活こそ、この小説の眼目だ。陸奥は差し入れてもらった大量の本を読んで過ごし、ベンサムの主著「道徳および立法の諸原理序説」の全訳を完成させる。「監獄で耐えられたのはベンサムの翻訳があったからでしょう。彼は獄中で自分に気づいた。さなぎのように闇のなかで待ち、再び立ち上がった。獄中生活が、陸奥の青春そのものだったのかもしれません」
獄中で独学を続けた陸奥を克明に描いた背景には、辻原さん自身の青春時代がある。
辻原さんは高校卒業後、大学へ進学しなかった。代わりに「自分でカリキュラムと時間割を考え、読む本を決め、何年間か続けたことがありました。僕の独学経験、パッションがなければ、陸奥も当然違う人間として描かれていたでしょう」
1985年に作家デビューして以降、純文学、犯罪小説、歴史、ミステリー、恋愛と、ジャンルにこだわらず何でも書いてきた。今作は6回目の新聞連載。日経新聞で2023年から24年にかけて連載してきたものだ。
なぜこれほど多彩な作品を生み出すことができるのか。尋ねると、「なぜ……。やりたいから、できる」。
シンプルな答えの裏には、辻原さんの小説観があった。
「小説は自己表現の世界じゃないと思っています。自分のことを知ってもどうにもならない。自分は小さいですから。それより、言語というものでもっといろんなことを試してみたい」
己の小ささを受け入れることが、野心につながっている。「小説家という看板を掲げさせてもらう以上、小説ジャンルは全部書いてみたい」(田中瞳子)=朝日新聞2024年9月18日掲載