「闇をあばいてください」
「一死をもって抗議する」
通報者の切実な声が組織によって踏み躙(にじ)られている。通報を端緒に企業や自治体などの組織は改善に向かう一方、勇敢に声を上げた通報者は理不尽な扱いを受けている。
いま喧伝(けんでん)されている兵庫県知事や鹿児島県警をめぐる事例では、組織は通報に真摯(しんし)に向き合わず、「何を」通報したかではなく「誰が」通報したかといった点に偏向した対応が目立つ。
組織に抗う個人
組織内外に組織の不正を通報する「公益通報」は、小説やドラマの題材になりやすく、屈強な主人公の勧善懲悪の物語として取り扱われることが多い。しかし、『空飛ぶタイヤ』上・下(池井戸潤著、講談社文庫・各759円)は、絶望の中、執念と諦念(ていねん)の間で揺らぎ、煩悶(はんもん)する主人公を描く。物語は、走行中のトレーラーのタイヤが脱輪して母子を直撃する事件から始まる。整備不良の濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着せられた男性が車両の欠陥を疑い、車両製造会社の闇を暴くために奔走する。見て見ぬふりをする従業員や隠蔽(いんぺい)しようとする組織。主人公の家族の苦悩や葛藤も深刻だ。市井の人が組織に抗(あらが)い、正しいことを貫く難しさや、働くことの意味を考えさせられる。
事実は小説よりも奇なり。『ホイッスルブローアー=内部告発者』(串岡弘昭著、桂書房・1320円)は、著者が「正しいことが特別な事」になっていた組織の不正を告発した後、約30年間、研修所の草むしりや雑用等の閑職に追い込まれ、出訴に至るまでの軌跡を綴(つづ)っている。組織にとって都合の悪い通報には目を瞑(つむ)り、口を慎み、耳を塞ぐ。そして、組織は執拗(しつよう)な報復人事で秩序を紊乱(びんらん)したとレッテルを貼り、著者を排除しようと徹底的に追及する。著者は次第に孤立を深めるが、看過できない不正に対する怒りや自身の責任感から、歪(ゆが)んだ組織の論理に決然と立ち向かう。「我が心に恥じるものなし」と。
なお、『オリンパスの闇と闘い続けて』(浜田正晴著、光文社・品切れ)も通報経験をもとにした慟哭(どうこく)の書であり、通報者を守るはずの「公益通報者保護法」が無力であることを示唆する。
社会を支える声
今後も通報者と組織の不均衡な構造が続くと、誰かが不正に気づいても声を上げることに躊躇(ちゅうちょ)せざるを得ない。「空気を読む」ことを重んじる組織が跳梁(ちょうりょう)すると、通報者はやがて声を上げなくなり、不健全で不公正な社会へ向かう。
人として正しいことを実践するのが、なぜ許されないのか。公益通報者保護法は、誰のために存在し、何を守るのか。『内部告発のケーススタディから読み解く組織の現実』(奥山俊宏著、朝日新聞出版・2530円)は、こうした問いに明晰(めいせき)な解説を展開する。著者は元新聞記者で、兵庫県の元県民局長による告発文書に関する百条委員会の参考人でもある。多角的な視座と洞察に基づき、内部告発や公益通報の先例や諸外国の法制度等を確認して、2004年に成立し、20年に改正された公益通報者保護法を概説する。その上で、通報者保護を徹底し、内部通報制度を適切に運用することが組織の自浄作用につながり、従業員との「エンゲージメント」(信頼関係)の維持に有効で、組織の生産性にも資すると説く。
現在、消費者庁が検討会を開催し、通報環境の整備に向けた議論を進めている。誰もが「おかしいことはおかしい」と声を上げられ、そうした声を真摯に受け止められる社会の形成に向けて、公益通報者保護法の機能と役割を問い直さなければならない。
私たちの社会生活は、見も知らぬ通報者の声によって支えられている。近時の事例を風化させず、組織や社会を良くするために立ち上がった通報者に思いを馳(は)せて、改めて公益通報の価値を考えたい。=朝日新聞2024年10月19日掲載