かつて長州藩の本拠地であった城下町・萩は美しい町である。
〈長州の人間のことを書きたいと思う〉という一文で司馬遼太郎『世に棲(す)む日日(ひび)』(1971年/文春文庫)は始まっている。全4巻中、前半の主人公は吉田松陰、後半の主人公は高杉晋作。ともに萩で生まれ育った幕末のヒーローである。
といっても本書が描くのは遊歴の末に罪人となった松蔭であり、戦争好きで血の気の多い書生としての晋作である。松蔭は29歳、晋作は27歳で世を去った。おのずと小説は青春の書の色を帯びる。神格化された偉人像にあらがう、いわば偶像破壊の書。若者の無鉄砲を許す気風がこの藩にはあったのかもしれない。
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実際、山口県が輩出した人物は個性派ぞろいだ。2人の天才詩人もそう。〈汚れつちまつた悲しみに〉の中原中也と〈みんなちがって、みんないい〉の金子みすゞだ。現山口市の湯田温泉で生まれた中也は30歳で病没し、日本海側の漁師町・仙崎村(現長門市)で育ったみすゞは26歳で自らの命を絶った。
みすゞの詩と生涯については松本侑子『金子みすゞと詩の王国』(2023年/文春文庫)に詳しい。童謡詩の投稿を20歳で始め、以後死ぬまでに500編以上の詩を残したみすゞ。その作風から天女のようなイメージがあるが、女学校の卒業式で総代を務め、仙崎と下関の書店で働き、子育てしながら書き続けた彼女は堂々たる文学者だった。
自由に生きた宇野千代も山口県の作家である。代表作『おはん』(1957年/新潮文庫)は故郷の岩国を舞台にしたにっちもさっちもいかない三角関係の物語だ。〈よう訊(き)いてくださりました。私はもと、河原町の加納屋と申す紺屋(こうや)の倅(せがれ)でござります〉と語りだす「私」は男性で、妻のおかよと、よりが戻った元妻のおはんの間をおろおろしながら行き来する。その情けない生態を、作者は一人称で描ききっている。
右の例に限らず、この地の男たちにはどうも放蕩(ほうとう)癖があるらしい。
国民的なオペラ歌手・藤原義江も例外ではない。古川薫の直木賞受賞作『漂泊者のアリア』(1990年/文春文庫)はそのハチャメチャな人生を追った伝記小説だ。父は下関で貿易商を営むスコットランド人。母は同地の琵琶芸者。父に捨てられ母とも別れた義江は紆余(うよ)曲折の末、浅草オペラの舞台に立つが、その頃から彼の女性遍歴が始まるのだ。それでも実父の援助で渡欧。音楽学校を出ずにスターになったテノール歌手はまさに漂泊の人だった。
放蕩者の系譜は続く。
下関市出身作家・田中慎弥の芥川賞受賞作『共喰(ぐ)い』(2012年/集英社文庫)に登場するのは度しがたい父親だ。この人は性行為の最中に暴力をふるうのだ。舞台は昭和最後の年の、下関の一角と想像される「川辺」と呼ばれる河口の町。17歳の息子・遠馬は別々に暮らす実母の仁子さんとも、父の愛人・琴子さんとも友好的な関係を保っていたが、聞かずにはいられない。〈なんで別れんの、親父(おやじ)が怖いけえ?〉
2人の女性はしかし、最後の最後で行動に出る。放蕩者に対する目が覚めるような鉄槌(てっつい)である。
岩瀬成子(じょうこ)『朝はだんだん見えてくる』(1977年/理論社)は岩国市在住児童文学作家のデビュー作。舞台は1970年代の岩国である。中学3年生の奈々はジャズ喫茶に入り浸る少女だが、基地の一般公開の日、反戦デモに参加して父や教師と対立するのだ。政治活動はやめろという父に〈じゃあ父さんは、基地があるってことに無関心なの〉と迫る奈々。基地の町の青春は甘くない。
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昨年他界した伊集院静は防府市で生まれ育った。『機関車先生』(1994年/集英社文庫など)の舞台は葉名島。瀬戸内の野島(防府市)をモデルとした小さな島だ。
生徒が7人しかいないこの島の小学校に臨時教師として着任した吉岡先生は、病がもとで話すことができなかった。〈口がきけんで、どうやって葉名島の子を教えるちゅうんじゃ〉という外野の声をよそに子弟は大きな信頼で結ばれる。アニメにも実写映画にもなった児童文学風の名作。無頼派の印象が強い作家が残したハートウォーミングな物語だ。=朝日新聞2024年12月7日掲載