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「山田洋次が見てきた日本」 寅さんに込めた「望郷」と人生 朝日新聞書評から

評者: 山内マリコ / 朝⽇新聞掲載:2025年01月11日
山田洋次が見てきた日本 著者:クロード・ルブラン(Claude Leblanc) 出版社:大月書店 ジャンル:映画

ISBN: 9784272612475
発売⽇: 2024/09/25
サイズ: 13.5×19.5cm/800p

「山田洋次が見てきた日本」 [著]クロード・ルブラン

 お正月は映画館で『男はつらいよ』。日本の風物詩だったそんな光景が、途絶えて早三十年近くになる。
 けれど寅さんは不滅だ。元旦に第五作『望郷篇(へん)』を観(み)たが、やっぱり面白かった! しかし本書を読んでいなければ、そこに込められた監督・山田洋次の鉄道愛や「望郷」への思いは、とても掬(すく)い取れなかっただろう。
 すべては、一九八〇年代に一人のフランス人青年が、ホームステイ先の家族に連れられ映画館で『男はつらいよ』を観たことにはじまる。言葉はわからなくても深い人間味は十二分に伝わり、観客はみなその映画を、実に幸せそうに観ていたという。青年はジャーナリストになり日本に長期滞在、ロケ地巡りを通して作品への理解を深めるうち、ある不満を抱くようになる。これだけ素晴らしい作品群を生み出した映画監督の名が、ヨーロッパではほとんど知られていないなんて!
 かくして記された本書は、七七九頁(ページ)の大著となった。なにしろ監督が生み出した映画は九十作にのぼるのだ。
 高度経済成長に浮かれた物質至上主義な時代に逆行した「寅さん」。監督はこの国民的人気作を年二本というハイペースで手掛けながら、『家族』や『幸福の黄色いハンカチ』といった名作を撮った。盟友・渥美清亡きあとも時代劇に挑戦し新境地を拓(ひら)いて、近作を撮ったのはなんと九十歳を超えてから。凄(すご)すぎる。その凄さを、本書はいま一度われわれに伝えてくれる。
 作家性の核となるのはデラシネ(根無し草)の感覚だ。旧満州育ちで転居の多かった監督は「私には、ほんとうの生まれ故郷があるとは言えない」と語り、それが深い傷として刻まれていることを告白している。引き揚げ後、彼はほとんど外国人の眼差(まなざ)しで、日本や日本人を見つめた。
 すべての差別を嫌悪する姿勢や、旧満州を重ねた北海道への思いは、監督の人生を知ることではじめて理解できる。全国を旅した寅さんの奥に、日本や日本人をもっと知りたいという思いがあったことを摑(つか)むと、山田洋次作品を観る目がガラリと変わる。あれだけのドル箱シリーズにも、そうやって自らを刻印しているからこそ、映画は金儲(もう)けの虚構ではなく、パーソナルな温かみを宿した愛される作品になっているのだ。
 本書が感動的なのは、著者の山田洋次監督へ寄せる深い敬意による。ブレることなく良識をもって映画を作り続けてきた監督への、大長編ラブレター。読んでいる間中ずっと、山田洋次作品を観ているときのように、おかしくて温かくて幸せな気分だった。
    ◇
Claude Leblanc 1964年生まれ。フランスのジャーナリスト。日本情報誌「ズーム・ジャポン」創刊編集長。週刊紙「クーリエ・アンテルナシオナル」編集長を経て、日刊紙「ロピニオン」アジア担当の論説記者。