
ISBN: 9784622097310
発売⽇: 2024/12/12
サイズ: 19.4×2.2cm/208p
「エッシャー完全解読」 [著]近藤滋
いやあ、推理小説を読んでもこんなに興奮したことはない。まず、「エッシャー 物見の塔」で検索するとかして絵を見てください。よく知らないで初めて見ると、どこかの展望台的な塔を写実的に描いたものにも見える。でも、もう少しちゃんと見ると、中段部分で、それぞれの柱が塔の手前と後ろにつながっていて、ありえない形に捻(ねじ)れていることが分かる。へえ、エッシャー、面白いな、で終わったら(私はそれで終わっていた)お話にならない。事件はここからである。
画面下中央、男が腰かけている。手にしている木枠はエッシャー以前から知られていたネッカーの立方体と呼ばれる錯視図形であり、これがこの絵の元ネタになっている。このありえない形をあたかもそこにあるかのように描くには遠近法を使う。ところがですね、そうすると自然に見える代わりに錯視が起こらなくなっちゃうんですよ。このあたりは本書の図版を見ると分かりやすい。じゃあ、遠近法をごまかすかね。いや、エッシャーは実は遠近法おたくである。そしてまた、自然さとありえなさの両立という無理難題に、一人部屋にこもり、孤独な闘志を静かに燃やすタイプだった。
現場をもっとよく見ていただきたい。違和感をもつところはないか。左下に格子から首を突き出している囚人みたいのがいる。右下には婦人がいて、ロングドレスの裾を妙に長く引きずっている。塔の屋根に注目。奥の屋根がひときわ高い。なぜだ?
著者の近藤さんは模型を作り、パソコンを駆使して、あれこれ試し、推理する。奥の塔の屋根を低くしてみた。なんと、下の建物と上の塔との捻れがあからさまになって違和感が生じる。屋根を高くすることでそれが軽減され、より自然に見えてくる。こんなマジックが随所に仕掛けられている。囚人も、ロングドレスも、それから……。
近藤さんの手腕はまさに名探偵のそれであり、私たちをエッシャーの謎に引きこみながら、ひとつひとつ謎解きを進める。本書はそうして五つの作品を解き明かしていく。エッシャー自身は作品制作に関わるトリックの手法についてほとんど何も語っていないという。徹底的に緻密(ちみつ)に計算し尽くして作品を作り、しかも手の内を明かさない。
エッシャーは、「私は素晴らしい庭園をたった一人で歩き回っている」と述懐していた。近藤さんは、本業は生物学者なのだが、その庭園に入り込んだらあまりに面白いので、興奮して本を書き、私たちを手招きしている。そして私も、興奮した。
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こんどう・しげる 1959年生まれ。大阪大教授を経て国立遺伝学研究所所長。専門は発生学、理論生物学。著書に『波紋と螺旋とフィボナッチ』『いきもののカタチ』。