散歩の本を読む 退屈な日常彩る予期せぬノイズ 宮田珠己

街で見られるたいていのものには愛好者がいて、彼らはたとえば公園遊具や看板、鉄塔や暗渠(あんきょ)などを専門家顔負けの視点で鑑賞しながら散策している。本来散歩道の主役だった公園や神社仏閣、美術館やカフェといった名所にかわって、これまで日常風景に紛れて脇役だったものが、脚光を浴び始めた印象だ。
能町みね子『ほじくりストリートビュー』(交通新聞社・1430円)は、地図で見つけた気になる場所へ行ってみるという、それだけの話なのだが、われわれが町歩きに向ける好奇心の原型はまさにこういうことだと気づかせてくれる。住宅街のすさまじい坂とか、川に囲まれた駅とか、そこにわざわざ行く? という場所のチョイスが痛快だ。地図上の小さな違和感を見つけて行ってみるのは、最高に贅沢(ぜいたく)な散歩ではなかろうか。散歩の真骨頂は、日常の中の違和感を楽しむことと言えるのかも。
漫画家のつげ義春は、旧甲州街道の犬目宿に行こうとして道に迷う。やがて暗いトンネルのような樹間をぬけて、急に宿場らしい家が建ち並んでいるところに出た瞬間、別世界に迷い込んだ気がしたと、『新版 貧困旅行記』(新潮文庫・737円)のなかで書いている。そして主人公が道に迷い猫の町を幻視する、萩原朔太郎の『猫町 他十七篇』(岩波文庫・627円)を読んだときの体験を思い出し、自分の旅に足りなかったのはこの感覚だったと了解するのである。
日常に突如入り込んでくる幻想。あくまでフィクションではあるものの、そうした予期せぬノイズが、退屈な道行きを彩る。幻想とまでいかなくても、家の近所に歩いたことのない小道を発見したときや、初めての道を歩いていて突然よく知る場所に出た瞬間など、小さな感動を覚えることがある。見知っている道でさえ、いつもと違う何かが感知されたとき、日々の味わいがわずかに増す気がしないだろうか。
変なタイトルに惹(ひ)かれて手にとった友田とん『パリのガイドブックで東京の町を闊歩(かっぽ)する 2 読めないガイドブック』(代わりに読む人・1650円)は、驚くべき本だ。著者は、啓示のように降ってきたそのタイトルを、言葉通り実践しようとするのだが、そもそもそんなことが可能なのかもわからない。読者にはもちろんわかるはずもないし、著者にもわからないらしい。わからないのに、なんとか実践しようと右往左往する姿と脱線に次ぐ脱線が本書の読みどころで、これも散歩にノイズを導入しようという試みと考えられなくもない。
田中小実昌『ほのぼの路線バスの旅』(中公文庫・946円)もまた違う形で、日常をひっくり返す。知人の見舞いに行くため家を出るが、よく考えてみたらどこに入院しているかもわからない。そこへ不意にバスが来て、バスが大好きなコミさん(田中)は乗ってしまう。乗ったバスはもちろん知人のもとへなど向かうはずもなく、そのまま東海道をバスで行けるだけ西へ行ってみようと思う。こんな荒技も散歩の醍醐(だいご)味と言っていいだろう。
予定調和が乱れるとき、そこに不思議が入り込む。約束事を超えたところに散歩の魅力は立ち上がるのだ。=朝日新聞2025年3月15日掲載