全12巻のアンソロジー「12か月の本」に込めた「すごい日本語」 編者・西崎憲さんインタビュー

――“ひと月”をテーマにした全12巻のアンソロジー『12か月の本』の刊行が始まりました。その月を題材にした小説・詩歌・随筆を集める、ありそうでなかった企画ですがシリーズの成り立ちについて教えてください。
これは国書刊行会の伊藤里和さんという編集者の発案なんです。「こういう企画をやりたいけどどうでしょう」とメールが来て、最初は断ったんですよ。大変なのは目に見えていましたし、その時間があったら自分の小説を書きたいという思いもあって。それでもやろうと思えたのは伊藤さんの熱意です。西崎憲ありきで企画を立ててくれたようでもあったので、その思いには答えたかったというか。もちろん企画自体も面白いものだと思いましたし。以前、「ちくま文学の森」(筑摩書房)ってあったじゃないですか。
――ありましたね。『美しい恋の話』とか『おかしい話』とかユニークなテーマで、ジャンルを問わず古今東西の作品を集めていました。1980年代末の刊行です。
あとは「日本の名随筆」(作品社)という随筆のアンソロジーとかね。ああいう形で未知の作家や作品に出会える、個人の家に図書館ができるみたいなアンソロジーが、今の時代にもあっていいだろうと。それから自分の仕事はどうしても特殊で、好きな人に向けたものしか作れないんです。怪奇小説の翻訳にしても小説にしても音楽にしても、好きな人はすごく好きと言ってくれるんだけど、そこから広がらない。世の中に浸透していくものや売れているものって、たいてい「自分に関係のあること」を扱っているんです。その点、12か月ならすべての人が対象読者ですから、これはうまいことを考えたなと(笑)。読者層の広がりということを考えても、大変だけどやってみてもいいんじゃないかと思ったんです。
――現在、4月から6月までの3冊が刊行されています。収録作家は三島由紀夫、川端康成、太宰治などの文豪から、今では埋もれた詩人まで幅広いですね。
そこは伊藤さんからの提案もあって、それなりに一般性のあるセレクションを心がけました。聞いたこともない作家が並んでいると喜ぶのはマニアだけで(笑)、一般読者はやっぱり知っている作家を読みたいものだと思うので。坂口安吾の「桜の森の満開の下」とか、「四月は残酷な月」のフレーズが有名なT・S・エリオットの「死人の埋葬」は、自分だったら避けていたかもしれない。でも入っていないのも逆におかしいので、そこは提案してもらえてよかったですね。
もうひとつ提案されたのは、ギフト本として購入されることも多いだろうから、あまりマイナスな読み味のものは避けてほしいと。8月だったらW・F・ハーヴィーの「炎天」という名作があるけど、暑さで人がおかしくなる怪奇小説を贈り物にするのはどうかという意見ですね(笑)。それもそうだなと思いまして、結果としては読んでいて気持ちが豊かになる、明るい作品ばかりではないけど、影や光が自然に散っていると思わせるようなアンソロジーになったと思います。
――未知の作家、初めて読む作家がたくさん収録されていて、「こんなにすごい人がいたのか」と何度も驚かされました。
このアンソロジーは読者に対する“日本文学プレゼン”なんですよ。これだけすごい日本語を書く人がいます、かつて日本文学はここまで到達したんですよ、ということをあらためて知らしめたかった。画家の鏑木清方なんて、随筆家としても素晴らしいですから。すべてとは言わないまでも日本の名文家、短文の名手と呼ばれる作家は、8割方収録できたんじゃないかと思います。
――小説や随筆だけでなく、北園克衛、谷川俊太郎、石垣りんなどの詩も積極的に採られていますね。
自分が歌人ということもあるし、詩歌の良さもプレゼンしたかったんです。小説や随筆ではできないことが、詩歌にはできると思うので。自分が好きな詩人をもっと知ってもらいたいという気持ちがありますね。詩歌のセレクトは、実は一番力を入れたところかもしれません。
――M・R・ジェイムズの「真夜中の校庭」、遠藤周作「恐怖の窓」などの怪奇小説、幻想小説が含まれているのも個人的には嬉しいポイントでした。
空想文学がやはり好きなので、自然と入ってきます。その方がむしろ自然じゃないのかな。いまだに文学のメインストリームはリアリズムということになっていますが、18世紀、19世紀のイギリス文学をふり返ってみると、残っているものはほとんどが怪奇幻想文学ですよ。風俗小説は古びていくし、生真面目なテーマも時代とともに陳腐化していくんですよね。その点、幽霊は古びないですから(笑)。
――収録作品数は12巻で300を超えるとか。月にまつわる作品をこれだけ集めるのは、相当大変だったでしょうね。
結局作業に5年半かかりました。図書館に足を運んで、かたっぱしから全集や個人作品集を当たりました。目を皿のようにして、月が出てくる作品を探すんです。作家によっては頑なに何月かを明らかにしない人もいて、それは面白い発見でしたね。逆に萩原朔太郎なんかはいろんな月の詩を書いているので、どの巻に入れるか迷いました。あとは七夕とかクリスマスとか、年中行事で拾っていったり、世界的なイベント、たとえば第一次世界大戦が始まった月とか、そういう角度から探していったりですね。
――作品を集めてみて、気づいたことはありますか。
月によって数にばらつきがあるのが面白かったです。一番多かったのが5月で、他の月の2倍くらいある。そこから選ぶのが大変でしたね。逆に少なくて苦労したのが11月。自分が書く立場でも、11月という月はわざわざ選ばないかもしれない。そういう発見もありました。
――西崎さんは英米の埋もれた怪奇小説を発掘した『怪奇小説の世紀』(国書刊行会)など、これまでにもアンソロジーを編まれていますね。アンソロジーを編纂する際に、どんなことをお考えになっていますか。
「意義では選ばない」ってことですね。歴史的な意義があるとか、この作家から一作は選びたいとか、あるいは苦労して高い古本を買ったからとか(笑)、そういう不純な気持ちでは選ばないようにしています。純粋にいいと思ったものを入れる。あと、この本はこう読むべきだ、という指南のようなものは入れない。昔から嫌なんですよ、そういうの。なるべく枠を設けずに自然な風景を提示したい。そこから何を読み取るかは、読者の自由ですから。
――西崎さんは1980年代からミュージシャン・作曲家として活動し、その後翻訳の道に入っておられますよね。どういう経緯で怪奇小説の翻訳をすることになったのですか。
1980年代に、日本ファンタジー大会ってのがあったんです。怪奇幻想文学ファンのお祭りですよね。それの第3回(1986年開催)に遊びに行ったら同じような読書傾向の友だちができて、そこで知り合いになった翻訳家の中野善夫さんから「(イギリス作家)コッパードの翻訳をみんなでやって本を出そう」と誘われたんです。英語はまったくできなかったんだけど、こういう機会が訪れたってことは意味があるんだろうと思って、せっせと原書を読んでは翻訳をしました。その企画は頓挫したんだけど、おかげで英語の小説が読めるようになったし、コッパードの訳稿が後の『怪奇小説の世紀』に繋がっていくんですよ。
――『12か月の本』を読んでいても思いますが、西崎さんの読書の幅は広いですよね。英米の怪奇小説だけでなく、古今東西あらゆるものを読まれている印象です。
怪奇小説は20代半ばにアンソロジー『怪奇小説傑作集』(創元推理文庫)で本格的に目覚めて、以来ずっと読んでいます。本自体は10代から結構読んでいて、多い時だと1日3冊とか。ジャンル問わず乱読ですよね。それでも全然足りないですけど。もっと読んでおけばよかった。結局自分の血肉になるのって、25、6歳までに読んだものだと思います。
小説も読みたいものを書いているという感じなんですよ。たとえば『蕃東国年代記』(創元推理文庫)にしても、この手の東洋ファンタジーでまだ面白いものが少ないからひとつ類型を増やしておこう、そういうものが存在していると自分が楽しいし、という意識なんですよ。作家というより、読者なのでしょうね。
――西崎さんの活動は多岐にわたります。翻訳家・小説家・アンソロジスト、ミュージシャンとしても積極的に活動されていますし、文芸作品の大会ブンゲイファイトクラブ(BFC)を主催、日本翻訳大賞の運営にも携わっています。フットサル好きとしても知られ『ヘディングはおもに頭で』(KADOKAWA)ではサッカー本大賞2021の特別賞を受賞……。これらの根底にあるモチベーションとは?
部活をやっている感じなんだと思いますよ。経済活動ではなくて。日本翻訳大賞にしてもブンゲイファイトクラブにしても、それこそ長編が書けるくらい手間と時間を費やしています。何やってるんだろうなと思いますが(笑)、個人の力でやれることをもっと増やしたいし、文化のインフラを作りたいという思いもある。それと単純に、他人には親切でいたいですしね。大きな話をすると、文化が軽視されている世の中じゃないですか。科学も文化も発展しなくてもいい、国民は消費して税金だけ払っていればいいよと。それに部活で抗ってるところはあります。
今、クールジャパンをひとりでやろうと思っているんですよ。日本文学の優れたものを英訳して、海外の人がアクセスできるようにサイトにたくさんあげておく。向こうにも日本文学の紹介者はいますが、本当に深いところまではなかなか到達できないですからね。草野球ならぬ草クールジャパンです。
――楽しみながら本気でやる。お金を一番の目的にしない。なるほど、西崎さんの活動はすべて部活的ですね。
活動費は出してもらいたいですよ。でもお金では買えない賛辞をこれまで読者からもらっていますから。自分の短編を生涯のオールタイムベストに入れてくたり、短歌を保存してスマホの待ち受けにしてくれたりっていう人がいるので、そういう意味では最高に裕福だなと。大金を積んでも、生涯のオールタイムベストには入れてもらえないですからね(笑)。それは嬉しいし、やっぱり力になります。
――ご自分では西崎憲というクリエイターのことを、どう捉えておられますか。
うーん、好事家、趣味人。そこまで偏屈ではないつもりなんだけど、明らかに物好きな人間でしょうね。権威的なことが好きじゃないんですよ。でも一流の翻訳家、作家ではありたいし、歴史に残る歌人でもありたい。怪奇小説にはさすがに思い入れがあるから、海外のアンソロジーに収録されるような短編を、死ぬまでに一作書くのが夢ですね。作曲家としてはバート・バカラックみたいな誰でも知っている曲を作れたらいいなと思うし、やりたいことはいくらでも出てくる。“生涯一インディー”とでもいうのがしっくりくるんじゃないでしょうか。