- チャールズ・ウィリアムズ『ライオンの場所』(横山茂雄訳、国書刊行会)
- 天沢時生『すべての原付の光』(早川書房)
- キム・チョヨプ『惑星語書店』(カン・バンファ訳、早川書房)
言葉のインフレーションが止まらない。SNSのタイムラインを流れ落ちる無数のテキスト、YouTubeの配信、切り抜き、LLM(大規模言語モデル)によって際限なく読まれ加工され生成されるn次情報。言葉はかつてなく大量に遍在し、消費され、自らその価値を希薄化させているように見える。だが、価値の希薄化はその魔力の希薄化を意味するわけではない。言葉は認知を乗っ取ることで現実を操作する魔術であり、戦時においては情報兵器として扱われる。そしてそれは今に始まったわけではない。言葉はそもそも、そういうものなのだ。
チャールズ・ウィリアムズの『ライオンの場所』では、プラトン的なイデア、すなわち万物の「元型」が、イギリスの静かな田舎町に溢(あふ)れ出す。ライオンのイデアは物理的なライオンとして顕現し、蝶(ちょう)の元型は巨大な蝶となって空を舞う。それは、我々が世界を認識するために用いる「概念」そのものが、現実の側を侵食し、書き換えていくカタストロフに他ならない。
天沢時生『すべての原付(げんつき)の光』でもまた、言葉は実在性を纏(まと)った暴力として顕現する。滋賀のヤンキーたちが作り上げた「特攻機械(ブッコミマシン)」は、中学生を「鉄砲玉(バレットマン)」に仕立て上げ、神の世界へ送り込むという。荒唐無稽な設定と、ルビによって意味を上書きされた言語感覚は、一見すると悪ふざけのようだ。だが、これはウィリアムズが描いたイデアの侵食と地続きの現象なのだ。「強奪(ジャイアン)する」というルビが、単なる比喩ではなく、その行為の本質を規定するように、彼らの言葉は独自の神話体系を構築し、現実をハックしていく。
現実に侵食し破壊していく言葉に対して、我々は無力なのだろうか。キム・チョヨプ『惑星語書店』は、異なる可能性を提示する。描かれるのは翻訳機も受け付けない未知の言語で書かれた本だけを扱う書店。そこでは翻訳不可能な言葉、誰にも共有されない個人の記憶のような言葉が、断絶された他者とのかすかな繫(つな)がりを取り戻し、喪失を癒やす奇跡と示唆される。それは、暴走するライオンではなく、時空に風穴を空ける特攻機械でもなく、触れると壊れてしまいそうな、脆(もろ)くて美しい言葉だ。コミュニケーションの不可能性の、その果てにこそ、真のコミュニケーションが宿るという逆説。
我々は日々、言葉を使い、飼いならしているつもりになっている。だが、その足元には、いまだ獰猛(どうもう)なライオンが眠り、遠い惑星では未知の言語が静かにまたたいているのかもしれない。我々が向き合うべきは、言葉のインフレという表層的な現象ではなく、その根源に潜む、かくも恐ろしく美しい力なのだと思う。=朝日新聞2025年7月23日掲載