瀬尾さんは2人の男の子を育てながら、講演や執筆活動を通して、寂聴さんの小説や人柄を伝えている。寂聴さんの死を受け入れるのに約3年かかったが、支えになったのは子どもたちだ。
寂聴さんは戦後間もなく、幼い娘を残して家を飛びだし、恋に生きたが、女性が子どもを連れて生きていくのが困難な時代でもあった。
「今だったら子どもを連れ、1人で育てていたはずです。『子どもは絶対に自分で育てなさい』と言われたことを記憶しています」と瀬尾さん。
寂聴さんは瀬尾さんの長男が大きくなる姿に興味を示し、おもしろがった。「長男を産み、成長を先生に見せられたことが、私にできた唯一の恩返しかもしれません」
この3年あまりで寂聴さんを客観的に捉えられるようになり、小説の斬新さや言葉の重みを実感した。寂聴さんが書いた本は400冊を超すが、なかでも青鞜(せいとう)時代の伊藤野枝を描いた「美は乱調にあり」をはじめ、革命に生きる女性たちの評伝作を多く残した。
「先生は新しい人間で、やっと今、時代が追い付いてきたと感じます。先生の小説を読んだ女性たちは勇気と希望をもらいました。これからも時代を超えて女性たちに読まれ、励まし続けると思います」
今回の本では寂聴さんの言葉も紹介している。
「おかしいと思うことは主張するべきなの。それが人間の権利だから」「この世でたった1人の自分を愛する」「あの世にいる愛する人の魂はこの世で一番愛した人のそばにいます」
瀬尾さんにとって思い出深い言葉の一つは「好きなことが才能」。ただ、家庭や仕事のために安定を求め、誰もが好きなことをできるわけではない。好きなことを見つけられない人もいる。
自身が親になったことで、子どもが興味を示したこと、夢中になっていることを伸ばし、可能性を広げてあげることが大事だと思うようになった。
「先生を見ていて、好きなことをする勇気と覚悟がある人が、自分の人生を生きている人だなと思うんです。先生は行動の人でしたから」
生前、寂聴さんは「小説家が死んだら1年ね。すぐに忘れ去られる」と語っていた。瀬尾さんは「こんなにも魅力的で、素敵な小説家がいたことを今後も伝え続けます」と話す。(岡田匠)=朝日新聞2025年7月30日掲載