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群像新人文学賞・綾木朱美さん 校閲のスキルアップのために書いた小説で受賞「賞をとってはじめて、小説家でありたいと思った」 「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」#27

綾木朱美さん=撮影・武藤奈緒美

中学受験に対する鬱屈をフィクションに

 はじめて応募した小説『アザミ』で群像新人文学賞を受賞した綾木さん。長く「公募勢」を続ける身としては、比べることに意味はないとわかりながらも悔しくなってしまう。しかも綾木さんは小説家になりたいと思ったことはないそうだ。今回、応募したのも「20代最後の記念として」とのこと。どこまでも飄々としている綾木さん。この人の小説の熱はどこにあるのか。まずは読書歴からひも解いていこう。

「小説は書くより読むほうが好きです。小学生のころは芥川龍之介、夏目漱石、向田邦子など近現代の作家を読んでいました。中学生になると図書館の端っこの棚でジェーン・オースティンを見つけて。これ少女漫画じゃん!と。そこから海外文学が好きになりました。日本の文学ではありえない登場人物のメンタリティーが面白い。みんな普通に失神するし、お母さんは泣き叫ぶし、お父さんは『やれやれ』って言うし。自分の知らない世界がある、ということに面白さを感じます。英米文学から入り、やがてラテンアメリカ文学にも興味が広がっていきました」

「書く」ほうに興味をもったのは?

「小学5、6年生のとき、あさのあつこさんの『バッテリー』が映画化されて学校で話題になり、原作を読んだのがきっかけです。児童文学なのに、主人公の嫌な面や鬱屈した気持ちが描かれていることに『こんなふうに書いてもいいんだ』と驚きました。当時、中学受験にたいして思うことがあり、それをうまく消化するために小説を書いてみることにしました。

 私は、今にいたるまで自分の気持ちが自分でもよくわからない。だから、自分とはあえて違う人物を設定し、こういうことが起こったら、この子ならこうするだろう、と想像することで客観的に自分の気持ちを見つけられるんじゃないかと思ったんです。ノートに書き連ねたのは、とくにストーリーらしいストーリーもない、飽きたらそこでやめる、小説未満の代物でした」

 その後、中学一貫校に合格し、文芸サークルに入った。

「本格的な文芸部ではなくて、リレー小説を『わ、この人殺されちゃった、次どうしよう』と仲間たちときゃっきゃしながら書くような、小さな同好会でした。高校に上がったら、部として文芸コンクールに小説を出品することになり、そのために書いた小説が入選しましたが、そこで小説に熱中するということもなく、その後はふつうに大学受験に専念しました」

 

高校卒業後、友だちから「好きなアニメの二次創作を書いて」と頼まれ、細かい指定に合わせて出だしを書いたこともあったそう。「あまりにも彼女の中に理想の筋書きがあったので、あとは自分で書いてと言いました(笑)」=写真・武藤奈緒美

 うーん、やっぱり飄々としている。これまで小説家になりたいと思ったことはありましたか。

「ないですねえ。中学生くらいまで天文学者になりたかったんです。天体望遠鏡のカタログを集めて眺めたりもして。星座の神話とか、南半球でしか見られない星とか、そういう〈地球ではないどこかの話〉というのに面白さを感じていました」

 なるほど、綾木さんのキーワードは「自分」かもしれない。英米文学といい、受験の悩みをぶつけた小説未満といい、地球ではないどこかの話といい、自分とは違うもの、自分が介在していないものに惹かれ、そこから自分を見つめようとする。それってすごく小説家っぽい。

 大学は英米文学専攻だったそう。

「それも文学への熱い思いがあったというわけじゃなくて、当時、英米文学にハマっていて、英語の授業も面白くて、これを原書で読んでみたいなっていうのが動機でした。恥ずかしながら、将来を見据えて目標や夢を抱くってことがあんまりなくて、いつもそのときの気分で行き当たりばったりに進む道を選んできました」

 大学卒業後は一般企業に就職するも、思い直して大学院へ進んだ。

「張愛玲(ちょう・あいれい、アイリーン・チャン)という作家が、中国語で書いた小説をあとから自分で英語に書きなおしたりしているんです。読み比べてみると、けっこう内容が違っていたりして、その比較研究をしていました。このまま研究者になる道もあるとは思いましたが、自分にとって必要なのかという意義づけがうまくできなかった。たまたま見つけた校閲の募集に応募することにしました。今は『アザミ』の主人公と同じく校閲者として働いています」

 

自宅の本棚。「最終選考に残ったという連絡をいただいたとき、編集のかたが『フォークナーがお好きなんですか。私も大学で研究していたんです』とおっしゃって、ひとしきり盛り上がりました。受賞したとき、これで編集のかたとのお付き合いが続くんだ、ということも喜びのひとつでした」=写真・本人提供

校閲のスキルアップのため小説を

 その校閲の仕事が『アザミ』を書くきっかけになったそう。

「同音異義語の誤変換を見落としてしまうことが多くて、誤変換の傾向をつかむためにパソコンで日記を書くことにしたんです。日記といっても自分のことを書くのではなく、『エスカレーターで私の前に立った人のリュックがシルバーだった』とか本当になんでもないことを書いていました。

 ある日、ガードレールをまたいで車道を突っ切る男性を見て、日記に書いたんですが、なにかそれだけでは足りない気がして。どうして私はこれが気になるんだろうということを、小説の登場人物の視点を借りて、考えてみようと思って書き始めたのが『アザミ』です」

 中学受験の時に書いた小説未満のときと似ていますね。

「そうかもしれません。書きながら『私はこういうことを思っていたのかな』とわかりかける瞬間が好きです。書く作業が好きなのであって、当時は結果物の良しあしには重きを置いていませんでした」

 読まれたいという意識はなかったということですよね。なぜ、応募しようと思ったのですか。

「私は報道系の校閲をしているので、選挙期間中はすごく忙しくなるんです。無目的に書き続けてきましたが、衆院選が近づいてきたので、仕事でバタつく前に終わらせてしまおうと、どうにか完成させました。書き上げた一篇を手にしたとき、応募してみれば?と以前から友だちに勧められていたことを思い出して。当時29歳で、20代最後の記念に、という気持ちもあり、ちょうど締め切りのタイミングが合った群像へ応募することにしました」

 記念受験のつもりが、まさかの受賞。さぞ驚いたでしょうね。

「最終選考に残ったという連絡をいただいたとき、少し怖くなりました。そこではじめて人に読まれることに意識が向いたんです。ほんとうにこの作品が選考委員の方々に読まれるのか、評価は厳しいだろうな、と。とくに終わり方は、まとめに入ってしまった自覚がありました」

 選評を受けて感じたことは。

「朝吹真理子さんが『話が綺麗にまとまらなくてもいい』と書いてくださったように、自分が気がかりだったところが可視化され、ありがたかったです。もっとよいものを書きたいという欲も出てきました。

 受賞後、編集担当の方と『群像』掲載に向けてゲラについての打ち合わせがあったのですが、『読み手にとってこの表現は必要なんでしょうか』などといった指摘を何度も受けて。たしかに自分には読まれるという視点が欠けていて、独りよがりな部分があった。それに気づけて、応募してよかったと思いました」

仕事で疲れたときや、執筆に行き詰まった時に眺めるJosef Sudekの倒木の写真集。「倒木の『終わったように見えたものの終わってなさ』が好きです。根っこのところをよく見ると草が生えていたりして。校閲の仕事は午後から深夜までと遅い時間帯なのですが、神経が高ぶっていて寝付けないときの睡眠導入剤代わりにもなっています。『ま、いっか』と思えるんです」=写真・武藤奈緒美

切り替えの早さという不気味

 自分を理解するために小説を書く綾木さん。『アザミ』を書いてわかったことはなんですか。

「思いがけず出てきたものが、じつは自分の本心を表している気がします。たとえば、主人公・アザミが夢の中で遊園地のコーヒーカップに乗って振り落とされてしまうシーンを書いたとき、『速さ』に注目している自分に気づきました。仕事柄、時事を追いかけていますが、それが日々すごい速さで流れ去っていくんです。1週間前に数千件のコメントが書きこまれていたニュースが、今はもう忘れ去られている。

 本作ではネットニュースのコメント欄にはじめてアザミが悪意を持った書き込みをしようとします。最初はこの人は炎上するんだろうなと思って書いてたんですけど、途中から『いや、炎上するんだったらまだマシなんだよな。炎上しないで、そのままそのトピックから離れていって、でもまた別のものが起こればそこに没入していく。その切り替えの早さが不気味なんだよな』と気づいたんです。起承転結のセオリーで言えば、アザミはなにかを感じて転換するはずだったんですが、そう簡単に変わらないからこんなに苦しいんじゃないか、と。だからこそ、そのあとの展開には悩みましたね。3,4週間くらい筆が止まりました」

 どうやって打破したんですか。

「ふと、ウォーターサーバーのタンクが、地震で床にごとんと落ちる光景が浮かんだんです。そこから道筋が見えてきました」

 この小説は綾木さんが校閲の仕事をしていなければ、生まれなかった小説だといえますか?

「いえ、誰もが持っている倦んだ感じを書こうとしたときに、自分の身近な職業で書くのが書きやすかったというだけだと思います。ただ、藤野可織さんの選評で指摘された『戦争にまつわる比喩』については、小説の中に自分が出てしまったところ。執筆時期が主に夏だったのもあって、毎日戦争にまつわる記事を校閲していました。でも世間では芸能人の不祥事のほうがずっと話題になる。コメント数も桁違いにちがう。これらが書きこまれている間にも戦争は続いているのに、忘れ去られてしまう。じゃあニュースってなんの意味があるんだろうってモヤモヤして、それが無意識のうちに小説の比喩表現となって表れた。でも、編集者さんから、『戦争はこの小説の主題ではないですよね』と指摘を受けて、たしかにそうだなと。戦争という主題はあまりにも大きすぎて、『アザミ』で書きたかったことをぼやかせてしまうとわかり、該当する部分は削ったり言い換えたりしました。これも、読まれることで、はじめて気づけたことです」

受賞作掲載にあたって、校閲される側を経験した綾木さん。「ひどい間違いが色々見つかって恥ずかしかったです。自分の文章って読み直しても『こう書いたはず』って脳内補完しちゃうから冷静に校閲できないんです。校閲のかたには遠慮なくエンピツを入れてくださいとお願いしました」=写真・武藤奈緒美

「小説家」は読まれたいと期待して書くひと

 小説家になりたいとは思ったことがない綾木さん。今後はどんなふうに小説と向き合っていきますか。

「これまで通り、自分が何を感じているか知るために小説を書いていきたいです。これ一本で食べていきたいとかは今も思っていません。変わったのは『読まれたい』という気持ちが生まれたこと。感想をもらいたいし、改善できる点があるなら知りたい。よくなりたい。他人の視点を入れたほうが自分が得るものも多いと気づきました。できるだけいろんな人に読まれたいという意味で『小説家でありたい』と言えるかもしれません」

 綾木さんにとって「小説家になる」とは。

「小説家って職業じみたものではないと思います。自分で書いていて、誰かに読んでもらえるかもって期待していれば、商業ベースに乗っても乗らなくても、ふつうにみんな小説家じゃない?って思います」

 

綾木朱美さん=撮影・武藤奈緒美