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「カミュ ふたつの顔」書評 「神話的イメージ」から解放せよ

評者: 酒井啓子 / 朝⽇新聞掲載:2025年08月16日
カミュ ふたつの顔 著者:オリヴィエ・グローグ 出版社:青土社 ジャンル:人文・思想

ISBN: 9784791777167
発売⽇: 2025/05/26
サイズ: 13.2×19cm/262p

「カミュ ふたつの顔」 [著]オリヴィエ・グローグ

 カミュは、長い間愛読書だった。特に『シーシュポスの神話』は、高校生時代のバイブルだ。
 推しがコテンパンにされるのは、辛(つら)い。しかも皮肉なことに、評者はコテンパンにする側の中東研究者である。「現実のカミュは、反植民地主義者でもなんでもな」く、植民地支配擁護者だったとする本書の批判は、中東史を専門とする者には苦い真実だ。
 『オリエンタリズム』で根深い西欧の対中東蔑視観を糾弾したエドワード・サイードは、30年前に『文化と帝国主義』でカミュの植民地主義性を批判した。『異邦人』で殺害される「アラブ人」に名前がない、すなわち「人間の身分を与えられない」という問題は、12年前にアルジェリアで出版された『もうひとつの「異邦人」――ムルソー再捜査』(カメル・ダウド著)で、見事に暴かれている。
 なのになぜ、カミュは常にフランスで、あるいは日本の知識人の間で人気を博しているのか。
 「カミュはどこにでもいる」。本書はここを問題視する。「正義感に溢(あふ)れる小説家という、築き上げられてしまった強固で安定した神話的イメージ」のカミュは、「いまも変わらずあらゆる人びとから呼び出され、再利用されつづけている」。
 なぜか。それはカミュが植民者の子孫としてアルジェリアに生まれ、被征服者にも帝国中心の支配エリートにもなれず、西欧近代の辺境に置かれた両義的な存在だったからかもしれない。植民地主義を継承する側からも、西欧近代に「反抗」する側からも、それぞれのイメージで崇(あが)められるとともに、排除される。
 最近では、吉見俊哉が原広司との対談『このとき、夜のはずれで、サイレンが鳴った』でカミュのクレオール性を指摘したが、日本もまた、西欧の知の辺境で近代・反近代に引き裂かれてきた。
 本書は「カミュを忘れること」を訴える。両義性を脱却して植民地主義に向き合え、との呼びかけは、我々にも響く。
    ◇
Olivier Gloag 米国の文学研究者。フランス文学における植民地表象や20世紀のフランス文化史などが研究テーマ。