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短足椅子・新たな争点 津村記久子

 椅子に座って本を読む時、みなさんはどんな姿勢で読んでいますか?わたしは両肘(ひじ)を机の上に置いて、目の高さで本を持って読むのがいちばん好きだ。ただ、それは理想上のことだったりする。実態は、椅子の上に立て膝(ひざ)で座り、背中を曲げて本を覗(のぞ)き込むように読んでいたり、片足を椅子に上げて、肘掛けに肘を置いて首を傾けて読んでいたりする。あまりよろしくない体勢だと自分でも思う。

 ラーメン屋で両肘をテーブルの上に置いて本を読んでいた時、ラーメン屋ではこれだけ本が読みやすいのに、家ではなんで変な体勢でしか読めないんだろう、ラーメン屋に読書環境で負けるのか……としみじみ考えて落ち込んだことがある。家ではどうも机に肘を置きにくい。椅子の背もたれの側も少し余る。なんでだ。ちなみに文章を書きにくい(キーボードを打ちにくい)と思ったことはなく、読書だけがしにくい。

 最近、仕事でまとまった読書をしていて、原因がわかった。自分は椅子を十分に前に引いていない。「両肘を机に置いて本を持つ・背中側の空間が余らない」という体勢を取るためには、椅子を机の側に引き寄せないといけないのだが、それをさぼっている。そしてラーメン屋の椅子は引きやすかった。考えると普通のことだ。キーボードを打つ時と、好きな読書体勢の時では肘の位置が全然違う。机に肘を置きたい場合は、その分椅子の座面が机に近付いていないといけない。

 そういう状況を防ぐために事務用の椅子はキャスター付きなのか、と自分の短足に合わせて座面の低い椅子を厳選して、四つ脚のダイニングチェアを使用しているわたしは思い至る。座面が低いキャスター椅子もあるのだろうが、お値段の折り合いがつくのが今の短足用椅子だった。そしてわたしは、両足を床につけて仕事ができる短足椅子が気に入っている。短足椅子との新たな関係を作るために、取り急ぎ読書の時に椅子を前に引くことを頑張るつもりだ。=朝日新聞2025年8月13日掲載