竹内幸絵さん「広告の昭和 テレビCMがやって来る!」インタビュー 映像の冒険、制作者に光
どんな仕事か聞かれたら、「探偵」と答える。ある広告を誰が作り、それを社会がどう面白がり、批判したか、文章の記録やポスター、CM映像を頼りに探っていく。「パズルのピースみたいな」予測ずばりの事実が見つかることもある。広告研究のわくわく感も込めた自称なのだ。
日本のテレビCM史を、写真や図版を豊富に盛り込み、450ページを超える研究書にまとめた。美術の世界的潮流、テレビ普及率やカラー放送技術の進展といった背景を押さえつつ、一時代を画したCMを、誰がどのように生みだしたか、制作者の人物像にも踏み込んでつづる。
全体を貫く視点は「芸術と広告との結節点」だ。1953(昭和28)年に放送開始したテレビは昭和の新メディア。お茶の間に届けるCMには、短く印象的で新奇な美しさが求められ、資金もつぎ込まれた。「テレビで最初に冒険を許されたのが広告だった」。そして、初期カラーCMの傑作とされるレナウン「イエイエ」(67年)や、映画監督の大林宣彦が若き日に手がけた「グリコ・アーモンドチョコレート」(68年)が世に送り出された。
もともとの専門はデザイン史。同志社大で教える前、大阪市にあったサントリーミュージアム[天保山]の学芸員を務め、国内有数のポスターコレクションに触れて広告への関心を深めた。「特に1930年代は最先端の芸術家が広告も作った。印刷され大勢の目に触れるメディア性に飛びついたのだと思う」。時を経て「動く広告」にも、芸術が動員されたわけだ。
今でこそ花形のCM制作者も60~70年代は一般には無名の存在。ポスターを手がけるグラフィックデザイナーが当時集めた衆目とは段違いだ。本書では杉山登志、今村昭といったCM制作者の業績も掘り起こし光を当てた。
記憶の隅々にCMが残っている。懐かしさとともに、あるいは新しさとともに。「子どもの頃、テレビで15秒や30秒の実験映像に偶然出あったことが、自分の美意識に影響しています。何がきれいで、何が豊かな表現か、ということに」 (文・星野学 写真・本人提供)=朝日新聞2025年8月30日掲載