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映画「ベートーヴェン捏造」山田裕貴さん・古田新太さんインタビュー 奇人を「聖なる天才」にした秘書の本心

古田新太さん(左)と山田裕貴さん=松嶋愛撮影

筆談で表現するプレッシャー

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――今作の原作とバカリズムさんの脚本を読んだ感想を教えてください。

山田裕貴(以下、山田):ベートーヴェンが数々の名曲を遺していることと耳が聞こえなかったということは知っていたので、そんな中でどうやって音楽を作っていたんだろうと思いながら読んでいました。会話帳(筆談用ノートのこと) に書かれている様々なベートーヴェンの裏側みたいなことは知らなかったので驚きました。

 シンドラーについては、僕は原作と台本に出会うまで全く知らなかったんです。でもきっと、ベートーヴェンをこの業界でいかにして守るかというところだったと思うので、シンドラー以外にもそういう人がいただろうし、原作を読んで「何が本当のことなのかは誰にも分からないよな」ということと、現代にも通じるものがあるなと感じました。

古田新太(以下、古田):オイラはバカリちゃんの脚本は今作が2本目なんだけど、やっぱり「オモシロ」を入れてくるから、お客さん的にはすごく見やすい脚本だと思います。ベートーヴェンとシンドラーの仲をもっと醜く書こうと思えば書けると思うけど、ちょっとチャーミングに見えるときもあって本当に憎み合っているんじゃないと思えるから、バカリちゃんの脚本を信用しています。

山田:バカリズムさんの脚本なので確実に「面白い」という信頼はあって。それこそ、もっと大げさに描こうと思えば描ける部分もリアルな流れの中で繰り広げられていたので、その中であの面白さを出すためには、自分の何を調節していけばいいのか考えていました。しかも僕はほぼ筆談で、声を発することが少ないので、リアクションで発する音のニュアンスや表情でどう表現しようかと、プレッシャーではありました。

世間体を気にしたら天才にはなれない

――元々、ベートーヴェンにどんな印象を持っていましたか?

山田:子どもの頃から天才という印象でした。でも「天才」と言われる人たちって、どこか桁外れな思考を持っていないと、そこに至るまでにはならないんだなと今作を読んで思いました。世間体や一般的なことを気にしているような人は天才にはならないし、そういう人が「偉大な人」として後世に語り継がれると思うので、人間性の欠如という部分はある程度仕方ないかなと思います。僕もどこか外れたことができるような人になりたいなと思いながら、その考えすらも凡人だなと思いますね。

 アーティストという職業において、そういう人たちがいることを僕は間違っていないと思うし、常識や「何か」を破壊していけるような人じゃないとつまらないだろうなと思っていたので、今作で描かれているようなベートーヴェンで良かったなと思いました。これが聖人君子で人にも優しい人だったら「こんな完璧な人にはなれないよ」と諦めそうですけど「こういう人がいるんだったら自分も大丈夫かもしれない」って思えたんです。

古田:今作のベートーヴェン像は、オイラのイメージしていたものにかなり近かったです。かんしゃく持ちでないとあんな作品は描けないと思うし、ベートーヴェンは音楽界の破壊者なんですよ。バロック音楽を交響楽まで持っていった人であり、それまでの室内学を交響楽としてコンサートホールでやるという概念を作った人なんです。

 それがなかったら、のちにヨハン・シュトラウスやチャイコフスキーのバレエ音楽は出てこなかったし、今はオペラ劇場などに普通にあるオーケストラピット(劇場やオペラハウスの舞台と観客席の間にある演奏者用の席) というものもないわけで。そういう意味で言うと発明家でもあるし、しかも耳が悪いわけですから。これはもう完全なるデストロイヤーなんだろうなと、今回の脚本を読んだ時に改めて思いました。

――ベートーヴェンが音楽界に残した功績はほかにどのようなものがあるのですか?

古田:いわゆる交響曲というものをちゃんと発明したのは、ベートーヴェンなんだろうと思います。それまでのクラシックは貴族のためのものであって、コンサートホールでやることを考えて曲を作ったのは、ベートーヴェンが初めてなんじゃないかな。

 まず「第九」ってとんでもないんですよ。コーラス隊を何百人も呼んで、フルオーケストラで演奏するなんてことを考えた人はそれまでいなかったから、当時からすると「そんな馬鹿げたことやる人はいないよ」と思われたベートーヴェンは「狂人」なんですよ。例えそういうことを思いついてもできないようなことを考えた人だから、やっぱりベートーヴェンという人は素晴らしい「狂人」だったんだろうなと思います。

――よく「天才は孤独だ」と言われますが、そういう点ではベートーヴェンは周りの人たちにも恵まれていたんでしょうね。

古田:彼の周りにいる音楽家たちはちゃんとしている人が多いんだけど、破壊者であるベートーヴェンを「いやいや、実はこういう人なんですよ」と嘘をついているシンドラーがいたから、今も語り継がれているベートーヴェン像があるわけなので、やっぱりそこにシンドラーみたいな人がいないと成り立たなかっただろうし、天才は生まれないと思います。

シンドラーとベートーヴェンは「変態と変人」

――シンドラーは、聴力を失ったベートーヴェンと「会話帳」で筆談することが多かったですが、筆談でコミュニケーションをとるお芝居の難しさと面白さをどんなところに感じましたか?

山田:撮影していくうちに、古田さんがポロっと「なんか俺、あまり芝居している感じがしないよ」とおっしゃっていたのですが、確かにそうだなと思いました。言葉をちゃんと交わしていないからぶつかり合うこともないし、ベートーヴェンからぶつけられることはあっても、シンドラーとしてはいろいろな「何か」を封じられている感覚がありました。

――ベートーヴェンのイメージを懸命にでっち上げようとするシンドラーの気持ちを、どう思いますか?

山田:自分をよく見せようとか、誰かをよく言うことは日常的にあることだと思うんです。でも、さすがにあそこまでに至るには、本当にベートーヴェンを愛して憧れていたのだろうし「この人を守らなければ」と思える何かがない限りは、あんなにのめり込んで捏造しようとは考えないと思うんですよね。

古田:シンドラーは変態だよな。だから、この2人は一言で言うと「変態と変人」なんです。

山田:そういう人じゃないとベートーヴェンを守れなかったと思うし、ついていけなかったと思うんです。革命を起こす人って、だいたい叩かれるじゃないですか。それは今の世の中でも変わらなくて、新しいことをやろうとする人はまず鼻で笑われるけど、それを覆してでも常識を壊していこうとする人じゃないと天才とは呼ばれないだろうし、そのために周りにサポートしようとする人たちがいて、その人たちも「おかしい」と見られる。それはいつの時代も一緒なんだなと思いました。

古田:シンドラーは、そこら辺のセンスがいい。多分、目のつけどころがちゃんとしていたんだろうな。オイラはシンドラーのことも多少知っていたけど、彼の記録はそんなにないから、今回の本を読んで、ここまでシンドラーが動いていたのかということを知りました。ベートーヴェン自体が奇人であるということはいろいろな文献に書いてあるし、たぶん人付き合いもあまり良くなかっただろうから、シンドラーのようなマネージャーがいなきゃダメだったんだろうなと思います。

――「第九」で指揮を務めたとき、まるでベートーヴェンが乗り移ったかのように見えましたが、古田さんは今作でのベートーヴェンをどう演じようと思いましたか。

古田:オイラは基本的に役作りをしないので「ここはこうやってください」と監督に言われた通りにやりました。「第九」のシーンも指揮の先生が目の前でやってくれたので、その人の真似をしただけ。オイラたちの仕事は言われたことをきちんとやれば早く帰れるんで。

山田:まんま、この作品のベートーヴェンじゃないですか(笑)。

古田:そこを忠実にね(笑)。

――ベートーヴェンは作中「お前のせいで俺まで面倒くさい奴だと思われる」などと悪態をついていましたが、実際はシンドラーのことをどう思っていたと思いますか?

古田:本当のことは誰にも分からないですよ。だって、この本に書いてあることももしかしたら、原作者のかげはらさんがねつ造しているかもしれないでしょう? それをまたバカリちゃんが話を作っているから、史実だけどフィクションみたいな感じだし、自分たちも「絶対こうだ」という信念のもとにやっていたというよりは「こうだったのかもしれない」というものを膨らませていく感覚でした。

 でも、この映画の中でのベートーヴェンはシンドラーのことを嫌いではないんですよ。さっきの筆談の話でいうと、シンドラーは文字で書かなきゃいけないけど、ベートーヴェンは喋れるから感情をぶつけられる。でもシンドラーはそれを聞いて、答えを字に起こさなきゃいけないから「バカヤロー!」といった感情は書かない。そういうところでの信頼関係はあったと思うし、筆談している時も実際はそんなに嫌ではなかったと思うんです。

ねつ造に気づいた同志に「楽しくなった」

――映画の後半で、シンドラーに疑惑を抱くセイヤー(染谷将太)とのやり合いは緊張感がありました。あのシーンではシンドラーとしてどんな感情がわき上がりましたか?

山田:すごく不思議な感覚でした。あそこで僕は「やっぱりシンドラーは音楽家だったんだ」と思ったんです。「ベートーヴェンはこういう人だ」という全てのメロディーを並べて、もう誰にもバレないところまでたどり着きそうになった時にセイヤ―が訪ねてきて、「その真相に気づいたか」と楽しくなっちゃった感じが僕の中に生まれたんです。

 きっとシンドラーは、本当は誰にも知られたくはなかったんだけど「よく見つけたな」という気持ちと、セイヤ―も本当にベートーヴェンを愛している人なんだと思えたことも嬉しかったんだと思います。

――お2人の共演は約4年ぶりだそうですが、山田さんの役者としての成長を感じたところありましたか。

古田:もう「真」の人だなと思います。オイラは脇役の方が好きなんだけど、脇役っていうのは小賢しくしないといけないんです。でも山田は小賢しくないというか、セリフを言って「こうじゃねぇかな」っていうものをドンと置ける。センターにいてしかるべき役者になったなと思うので、頼もしいし信頼しています。

山田:嬉しい!今、めちゃ自己肯定感が上がりました。そこはぜひ大きく書いておいてください(笑)。

――原作者のかげはらさんは本書の中で「シンドラーが人生をかけて改ざんしたのは、彼自身の本心だったのかもしれない」と結んでいますが、シンドラーが偏執的なまでの熱意を持ってベートーヴェンをねつ造したことに、どんな思いがあったと想像されますか?

古田:シンドラーは変人を守ろうとする気持ちを持っている変態なので、自分の仕業でベートーヴェンをねつ造したのかもしれないけど、ベートーヴェンの人生を書き換えることによって、自らの人生も変えようとしていたんじゃないかなという気がします。

山田:僕もベートーヴェンを守ることが自分を守ることになったのかなと思います。そうじゃないと「自分が憧れたものは何だったんだ」と自分を疑うことになってしまうので、結果的には彼の生きがいになっていたんだろうと思います。それが幸せかどうかは分からないし、人の生き方として間違ったことをやってはいるけど、後から笑えるような人の方が面白いよなって思うんです。

 それがこうやって語られていくことで歴史に残るし、かげはらさんがうまく本としてまとめてくれているからそういう結びになっていると思うんですけど、この本自体もいろいろな読み方ができますからね。もしかしたらそれも真実かどうかは分からないので、信じることも疑うことも、自分のことすらもそうできる人間でいたいなと思います。

「『嫌われる勇気』は好きな一冊」

――お二人の読書ライフも気になります。特に好きな本や印象に残っている作品を教えてください。

山田:オーストリアの心理学者、アルフレッド・アドラーの「アドラー心理学」を解説した『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)はとても好きな一冊です。僕はもともと心理学に興味があって、人の人生を生きれば人の心を知ることができるかもしれないという思いから俳優を志しました。例えば「怒り」という感情は、自分でちゃんと「これは怒っている」と認識しているそうなんです。だから自分で抑えられるはずだということや、人間の承認欲求を何で満たすかといったことが『嫌われる勇気』には書いてあって。

古田:意外とやーまだも、ちゃんとした本読むんだな。

山田:僕だって読みますよ! たまにですけど(苦笑)。漫画だと、すでに流行っている作品ですが『呪術廻戦』は最初の一言からつかまれました。第1話で主人公の虎杖悠仁が、亡くなる直前のおじいちゃんから「オマエは大勢に囲まれて死ね」と言われるシーンがあって「手の届く範囲でいい。救えるやつは救っとけ。迷ってもいい。感謝されなくても気にするな。とにかく一人でも多く助けてやれ。」という言葉を見て自分もそうなりたいなと思ったし、そういうセリフの一つひとつに勇気や感動をもらっています。

古田:オイラは漫画だと『めしばな刑事タチバナ』と『クッキングパパ』が愛読書です。文字系だと、ノンフィクションやドキュメンタリー、過去の事件や犯罪者を追ったものばっかり読んでいます。最近読んだので一番面白かったのは『1964年のジャイアント馬場』ですね。自分が65年生まれなので、その1年前に大好きなジャイアント馬場は何をしていたんだろうという興味から手に取りました。アメリカに修行に行って成功していたのに、力道山が亡くなったから馬場を日本に戻さないと日本プロレスが潰れちゃうと当時の上層部の人間にだまされて帰国したものの、アントニオ猪木と豊登(道春)が分裂して東京プロレスを立ち上げて、その後の日本プロレスを守らなければいけなくなり、そこからまた大変な思いをするっていうドキュメンタリーなんだけど、最近読んだ中じゃ一番面白かったな。