ISBN: 9784778319724
発売⽇: 2025/06/26
サイズ: 18.8×2.7cm/432p
「縄文」 [著]中島岳志
中島岳志氏は、インド研究者である。ヒンディー語を修め、戦前のインド独立運動と日本の関わりを論じた代表作は、複数の賞を得た。
アジアを研究する者がその眼(め)を日本の歴史に向けるのは、珍しくない。特に戦前の日本は、今グローバル・サウスで声高に語られるような、西欧起源の近代文明批判の旗手だったからだ。アジアを語る上で、アジアの一部たる日本の近代を、どう考えればいいのか。
その中島氏が本書で辿(たど)り着いたのが、「縄文」への関心だ。日本の戦後知識人が日本とは何かを突き詰めようとして、古代の縄文文化をどうとらえてきたかを論じる。
荒々しさ、イノセントな姿に惹(ひ)かれる岡本太郎などの芸術家から始まり、縄文文化こそが日本の出発点だとして、そこに「原初共同体」を夢見る左派知識人。本来の日本を求めて沖縄、アイヌを桃源郷視し、その根に狩猟民族たる「縄文人」を見る。反対に弥生文化を外来として、弥生由来の天皇制を否定する。
だがそれは徐々に縄文ナショナリズムと化し、90年代以降の右派運動に組み込まれていった。縄文から弥生は連続的に位置づけられ、むしろ天皇制を補完するものとされた。その流れは、当時の米大手メディアが日本の新しいナショナリズムと警鐘を鳴らしたほどだ。
さらに知識人の論争にとどまらず、政府の学術政策にも影響を及ぼす。終章で参政党が登場するのも、「縄文」の現代性の表れだ。本書構想の出発点は、愛国教育と脱原発、大麻への関心などといった安倍元首相夫人の一見矛盾した言動にある。
縄文礼賛に見られる原点回帰志向や近代批判は、日本に限らない。既存の世界観にオルタナティブを求めてスピリチュアルや自然志向、陰謀論に傾くのは世界共通だ。日本の「安倍昭恵現象」も米国のQアノンも、トンデモと笑えないのは、私たちは何者なのかという深遠な問いに我々が混乱している証左なのだ。
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なかじま・たけし 1975年生まれ。東京科学大教授(南アジア地域研究など)。『中村屋のボース』で大佛次郎論壇賞など。