住吉美紀さん「50歳の棚卸し」インタビュー 心の揺れ動きまっすぐに
「おたき上げの本なんです」。そう話す表情は晴れやかだ。
NHKアナウンサーだった16年前、エッセーを出した。名前も顔も知られた組織人ゆえ「本当の自分」を書ききれなかった。いつか2冊目を、との思いは37歳で独立後も継続。時は流れ、コロナ禍で時間ができたことが執筆欲をかき立てた。最悪な恋愛、ひょんな出会いからの結婚、愛猫の介護……。50年の「トライアンドエラー」を赤裸々につづって浄化した。
そのひとつが、42歳から4年間にわたった不妊治療の経験だ。治療を乗り越え出産したエピソードはあれど「やめました、は表に出てこない」。まして経過をつまびらかにする経験談は多くない。不妊治療が題材のドラマも「もっとドロドロしているのに」としっくりこなかった。「よりどころがなかった」
平日午前に2時間の帯番組を抱えるラジオパーソナリティーには時間の捻出がただでさえ困難。見通しがつかないため仕事仲間に相談できず、精神はすり減った。孤独は想像以上。「チームメート」であるはずの夫とも共有しきれなかった。「努力しても何も変えられない無力感、ブラックホールにものを投げ込んでいる感覚がしんどかった」
もんもんとした気持ちをほぐしてくれたのは、診察室にあった利用者が自由に書き込めるノートだ。これを読んでいる同志が一番の理解者。そんな記述にうなずいた。
希望と絶望を行き来する日々はつらく、思い出はブラックボックスに入れた。だが今回書き出してみたら「すっきりした」。クリニックの描写は臨場感にあふれ、自分なりに整理をつけてゆくまでの心の揺れ動きがまっすぐに届く。「こんな人もいる、ひとりじゃない、と思ってほしい」
刊行後、ラジオのリスナーや仕事仲間が自らの悩みを明かしてくれるようになった。人生のあれこれを「棚卸し」する姿に触れて、「選んできた道を『正解』と思えるきっかけになれたらうれしい」。思いはすでに、誰かのよりどころになっている。 (文・松沢奈々子 写真・岡原功祐)=朝日新聞2025年10月4日掲載