いくえみ綾「1日2回」 幼馴染みの人生模様を繊細に描く(第4回)
幼馴染み、という存在に憧れがあった。家が隣で、小さいころから一緒に遊び、酸いも甘いも共有してきたような。引っ越しが多かったのと、そもそもが陰キャだったので残念ながらそんな間柄の人間はいない。いちばんつき合いの長い友人で20年くらいだろうか。大人になってからの20年でもけっこうな若気の至りや黒歴史が刻まれていて、これがもっとアホな幼少期からだと、いったいどれほどの恥が積み重なっていたのかと想像するとなかなか恐ろしい。
お笑いコンビ「マユリカ」は、3歳(!)からの幼馴染み同士で、ツッコミ担当の中谷氏は初対面の記憶もあるらしい。そんな彼らの年月は分厚い年輪になり、折に触れ披露してくれるその断片は、芸人だから笑いにできているが、とんでもない急所を握り合っている関係だなと思う。下ネタとか、思春期のイキリエピソードとか。
なので自分に関しては幼馴染みなんかいなくてよかった、という安堵と変わらぬ憧れが相半ばしている。家族同然だけど家族ではなく、友達という言葉には収まりきらない機微があり、恋をする時には距離の近さがプラスにもマイナスにもなりそうな、あの子。
いくえみ綾の『1日2回』(集英社)。幼馴染み男女を中心とした人々の日常と人生を描いた作品で、8月に6巻が発売された。わたしは年に一度、本作の新刊を手に取るのを心待ちにしている。読み終えるといつも「はあ……」としみじみ息をつく。今回もよかった、今年もありがとう、また来年もよろしく、と胸いっぱいになる。
中学生の娘と実母と3人で暮らすシングルマザーのれみ。幼なじみの季(とき)が、男性不妊を理由に離婚され、隣家に出戻ってくるところから物語は始まる。幼いころ、甘ったれで泣き虫だった季は、クールなれみにべったりだったが、両者が恋に落ちることはなかった。
高校で出会った「チューやん」こと忠は季の親友になり、れみの恋人になり、夫になった。けれど病に倒れ、まだ幼い娘のるりを残して逝ってしまう。忠との思い出や喪失の痛みは今もれみと季の中にあり、ふとした瞬間、くじらのように水面に浮かんできて潮を噴き上げる。大切な人がいなくなっても時間は流れ、世界は回っているけれど、欠けたものは欠けたままだということ。もう更新されることのない日々を変わらず思う苦しさは、幸せだった証だということ。40歳になった彼らの追憶は、同じ出来事でも微妙に認識がずれていたり、視点を変えるだけで違った側面が見えてくる。れみが見た季と忠。季が見たれみと忠。忠が見たれみと季。
『れみちゃん キミの知らない話は山ほどある』
『れみちゃん 僕の知らない話も山ほど持ってるでしょう』
『れみちゃん あの頃の僕たちじゃないと語れない話ばかりでもう何も言葉がない』
(中略)
『出てきた答えは 人生ままならぬ』
『でも そこがいいのかもね』
3巻に出てくる季のモノローグを読むたび、じわっと泣きそうになる。
れみは今でも忠を大好きで、季のことは「ありふれた幼馴染み」と断言する。季も、れみを恋愛対象として意識する場面はほとんどない(ゼロではない、と思う)。離婚の傷が癒えず、新しい恋も不調に終わって凹んでいるクリスマスイブに、誰より気心の知れた幼馴染みから「(あなたは)ちゃんと愛される人間です」なんて殺し文句をいただいたら秒で惚れてもよさそうなものだけれど、恋の前に愛が育っているせいか、艶っぽい展開にはならない。
読者として、ふたりに恋人になってほしいのかそうでないのか、よくわからない。だってれみも季も忠も、るりも、互いの家族も、あまりにも生きていて、フィクションのキャラクターだと思えない。生きている人たちの関係性に外野が願望を物申すのは失礼だから、ただ、見届けさせてほしい。年に1回だけ、ね。