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中江有里さん×阿刀田高さん、阪神優勝記念対談 野球を、人生を、タイガースを「愛するということ」

阿刀田高さん(左)と中江有里さん=初沢亜利撮影

「愛してるけど信じない」

――阪神タイガースが2年ぶりにセ・リーグで優勝しました。2リーグ史上最速という強さでしたが、古参ファンの阿刀田さんはどうご覧になっていましたか?

阿刀田 今年は強かったね。やっぱりあれだけ投手陣をきちっと揃えたのがすごい。才木はよく復活したね。伊原も来季はもっと力をつけてくれると思う。藤川監督は解説者の時、あんまり丁寧に解説してくれるんで、野球ファンとして「そこまできちっと解説してもらわなくてもいいんだよな」って思っていたんだけど、監督になったらその理屈をみんな生かしてたような感じがしてね。やっぱり人を、選手を見る目を持ってる人なのかなと思って、ちょっと感動しました。

中江 5月の中頃に首位に立ってから一度も明け渡すことなく、総じて落ち着いた試合運びで、安心して観られました。藤川監督が勝っても負けても常にひょうひょうとしていたのが印象的で、負けた日も「こういう日もあるんだ」と思わせてくれました。交流戦で7連敗した時はさすがに落ち込みましたが、あれで負けることへの免疫も養われました。その後は圧倒的な強さを見せてくれたので、ゆったりとした気持ちで優勝の瞬間を迎えられて、ありがたかったです。

阿刀田 打線も森下はいい選手だなと思ったね。とにかくチャンスに打ってくる。佐藤輝明も、ランナーがせっかく三塁にいるのに、ホームラン狙いでボール球を空振りするのはもう少し考えてほしいと思ってたけど、今年は三振してもいいやと思うようになったね。いい選手は来年もまた楽しみだ。前川はいいバッティングしてるから、来年あたりに出てくるんじゃないかな。

――阿刀田さんは東京出身ですが、そもそもなぜ阪神ファンに? 当時、周りはみんな巨人ファンという時代ですよね。

阿刀田 だから阪神ファンになっちゃったんですよ。私は疎開先の新潟県長岡市で中学生だったんですけど、親父が東京に連れてってくれるっていうんでね。その時、巨人×阪神戦を後楽園球場で見たんですよ。めちゃくちゃ負けたんです。でも周りはみんな巨人を応援してる。ちょっとかわいそうだなと思って「一番強いチームはどこだ」って親父に聞いた。親父は少し考えて「阪神だ」って。

 ずいぶん後になって「どうしてあの時、阪神って言ったんだ?」って親父に聞いたら、前の年に優勝していたんだね。まだ1リーグの時代でした。藤村富美男、土井垣武、別当薫の「ダイナマイト打線」と言われた頃ですからね。

中江 歴史ですねえ。阪神タイガースが今年90周年ですけど 、ほぼ同じぐらいの人生ですね。

阿刀田 その後、2リーグ分裂で、土井垣や別当といった、主力の選手をごっそり毎日オリオンズに引き抜かれて、藤村が残った。「残ってよかったな」と思ったことを覚えてますけどね。その頃から阪神はね、ジャイアンツに負けるためにあったようなもんだった。阪神ファンということを人に知られるのはあんまり好きじゃなくて、しばらくはずっと黙ってたんですよ。

中江 そうなんですか?

阿刀田 自分一人の好みにしておいた方がいいんです。勝ったとき、ひとり静かに喜んで、負けたときは知らん顔でいい。私は15の時からファンだったから、もう75年経つんだけれど、初めの3分の1は誰にも知られないようにしていた。

――中江さんはどのあたりからファンなんですか。

中江 私はもう本当に最近なんです。ずっと野球に興味がなかったんですけれども、2022年から見るようになって。大阪出身だからタイガースファンなのかって聞かれることもあったんですけど、私、東京に出てきたのが15の時で、仕事を同時に始めていたので、野球を見るっていう経験が全くなかったんですよね。

 2022年は、開幕9連敗した矢野タイガース最後の年なんですけれども、もうあまりの弱さに衝撃を受けてしまって「大丈夫かな」と。それで試合を見るようになったんです。

阿刀田 へえ。

中江 そうしたら、最終的に3位になったんですね。こんなに追い上げるものなんだっていうことも驚きましたし。

――阿刀田さんの時代は裏切られ続けてますからね。新著の中でも阪神タイガースのことを「愛しているけど信じない」と書いています。

阿刀田 恋愛みたいに「愛しているけれども信じてない」とちゃんと心に刻んでおけば、だいぶ楽ですね。いい言葉なので、恋愛小説でも書きました。

 いつだったか、吉行淳之介さんがご健在のとき、銀座の酒場で会ってね、「今年のタイガース、何を楽しみにしたらいいのかな」と言われた。あれは印象的だったな。言われてみると何もなかったんだよね。「うーん…掛布?」としか答えられなかった。

――そういう時代が長かったですからね。

阿刀田 東京で阪神ファンであることは「愛してるけど信じない」と肝に銘じないと耐えられないと思うよ。だから勝った時だけ、やたら喜べばいいんですよ。負けた時は知らん顔、俺には関係ねえなと思っている方が。

中江 何だかかわいそうになってきました。

阿刀田 あれは確か長嶋(茂雄)の引退間際だったけど、胆囊摘出の手術を受けたんです。優勝がかかってた秋の頃だったんで、体が痛むのにちゃんとラジオ持って行って、麻酔かけられる直前まで聴いてたんですよ。長嶋は怪我をして欠場しているし、相当リードしてるから大丈夫だと思って麻酔で眠りについたら、満塁ホームラン打たれちゃってね。目が覚めたら逆転負けしてた。

中江 私も2年前に急に自宅で倒れまして。腎臓の腫瘍が体内で破裂したんですね。救急搬送されて入院したんですけど、その時もずっと阪神の試合のことが気になって。大変な貧血になってしまって、試合を見られる状態じゃなかったんですよ。痛いし、嘔吐が続いたりして。もう体調は最悪なのにタイガースの試合が気になって気になって夢にまで見てる。でも、その時の阪神は割と信じられる阪神で、すごく強かったんですよ。もうずっと勝ち続けてくれて、そのおかげで入院生活を乗り越えたし、そこは阿刀田さんとは逆でしたね。

信じて、割と応えてくれる

――中江さんは阪神ファンになってから2回優勝しているんで、強い時代しか知らない。お二人はやっぱり「タイガース愛」の形がだいぶ違うなと思いますね。

中江 そうですね。割と信じて、応えてくれてるなという気持ちです。去年はちょっと惜しかったんですけれど。

阿刀田 大阪の熱狂ぶりっていうのはちょっとすごいよね。大阪に行ってスポーツ新聞を買ったら、阪神が負けたはずなのに、どの新聞もまるで勝ったように大きく書いてあってびっくりするよね。

中江 優勝したその日は、大阪は、民放5大局はもう全部その特番を組むんですけど、東京にいると本当に何も起こらない。道頓堀に何人飛び込んだとか、そんなニュースしか流れない。温度差がやっぱりありますね。

阿刀田 甲子園球場に行くと「これが命」っていう阪神ファンが相当いるような気がするね。

中江 そうですね。外野席に行くと、毎回顔を合わせる年間シートのお客さんがいる。勝った時はみんな喜ぶけど、負けた時もそんなに落ち込まない。あれは不思議ですよね。どちらかというと、そこに集まること自体が楽しいのかなとも思うし、やっぱり勝ち負けを意識の外に追いやってるからかも。

阿刀田 今は強すぎるほど強い。今年は先発の6人全部がエース級と言ってもいいぐらいだった。今の阪神みたいに、地味に競り合って、最後は1点差で勝つみたいな試合を見ていると、ちょっと昔と違うような気がするよね。

中江 なんか野球のチームって人格があるみたいだから、球団ごとに人間のようなカラーがあって、ファンの愛も様々って感じですね。

――中江さんも『愛するということは』という小説を書いています。そこにはタイガースは出てこないんですけど。

中江 私、20年以上前に、ラジオドラマの脚本を最初に書いたんですね。大阪を舞台にした高校生の女の子が主人公のお話なんですけど、そのお母さん、お父さんが熱狂的なタイガースファンっていう設定なんですよ。その時はまだタイガースに入れ込んでなかったんですけど、タイガースが勝ったか負けたかで機嫌が変わる大阪のお父さんっていうのは割と周りにいたので、それがモデルになって、思わず書いてしまった。やっぱりあの頃から私はきっと、タイガースを応援する運命にあったんだなと思いましたね。

――やっぱり、いろんな人生を重ねてらっしゃる方が多いですね。

中江 そうですね。人生を重ねるという意味では、野球そのものが人生だなと、私も応援するようになってから思いましたね。一人一人の野球選手の人生もそうだし、野球とゲーム自体もそうだし。

 私は大阪の生まれなんですけど、父は巨人ファンだったんですよ。私は生まれる時に「一茂」って名前をつけられそうになったんですけど、女の子だったので免れたということがありました。まあ、のちに母と父が離婚しまして、新しい父が来て、再婚した父が阪神ファンだった。もう数奇なものですね。

阿刀田 人生を反映してるなあ。

中江 たまに帰省すると一緒に試合を見に行きます。やっぱり、あまり共通の話題がないんですけど、一応「甲子園に行こう」って言うと「一緒に行こう」って言って来てくれる。

阿刀田 それはすごくいいですね。

90歳、男の一人暮らし

――阿刀田さんは最近『90歳、男の一人暮らし』という本を出版されましたが、奥様を亡くされて一人暮らしになったのですね。

阿刀田 書いていた時はまだ死んでなかったんですね。一人暮らしのことを書くとしたら、片方に施設に入れた家内がいるということは、非常に重い意味を持っていたんだけども、やっぱり一人の人間として家内の尊厳を守ってやりたいという思いがあったものですから。

 私が面会に行けば「早くうちに帰りたい」ということを言い出すから、落ち着いてきた頃に訪ねて行きました。でも、週に2回くらい、ずっと様子を見に行って話してても、どこか嘘ついているところがあって。小説家だから嘘つくのは仕事なんだけども。やっぱり現実の世界で嘘ついてるのはそんなに楽しいことじゃないんでね。

中江 お一人で生活するのって不便だったり、家が広すぎたりしませんか。

阿刀田 3人子供を育てた家ですから広いけど、広すぎたら放っておけばいいんだから。20代で何年か一人で生活したことがあるもんですから、その時を思い出せばいい。それと私は若いときから化学が好きで、家に実験用具を揃えて、やたら実験してたんです。化学の実験っていうのはね、終わったら器具をきちんと洗って元に戻さないとダメなんですよね。それは大体、台所の後片付けと同じ。

中江 うちの父も今、一人暮らしなんですよ。母が5年前に亡くなったんですけど、ちょうどコロナの時期だったので、最期はうちの父が看取ったんですね、今、一人でどうしてるのかなと思うんですけど、家事ができるので、子どもとしては安心なんですよ。ご飯はまとめて炊いて、一食ずつ冷凍保存しているそうです。

阿刀田 でも私はこういう本を出すと、同年代の男性に対する裏切りだなとも思ってね。女性たちから「こういうことやってる人がいるんだから」って(責められるから)。

中江 でも、父親世代の人が、本当に生活能力が低いことを心配してしまうので、自分の食べるものとか、身の回りを片付けるとか、最低限のことができるだけでもすごくありがたいなと思います。

阿刀田 私は自由ってことが非常に好きなんだけどもね。自由であるってことは自分でできなきゃいけないんですね。自分の食う、寝るくらいはできなかったら自由はないなって気がしましてね。

やっぱり「愛してるけど信じない」?

中江 野球選手は現役時代が短いですけど、小説家というのは、ずっと現役でいられるっていうところがあると思ったので、阿刀田さんが今どんな創作をなさってるのかなって、ずっと気になってたんですよね。

阿刀田 90までやったから、もういいや(笑)。だけど小説家だって、やっぱり本当に書ける時代はそう長くはないと思いますね。

 もう子どもたちもみんな独立したし、いつ死んでも誰も困らないんですよ。楽ですね。終わるの好きだから、小学校の時から夏休みの宿題は7月のうちにだいたい全部終わったし、作家の締め切りも間に合わなかったことは一度もないんじゃないかな。

中江 めちゃくちゃ早いんですね。

阿刀田 今も午後6時までには夕飯を終わらせますよ。タイガースの試合を見るためにね。今は衛星放送を契約しているからテレビで全試合見られるけど、昔は巨人戦しか中継がなかったから、ビルの3階に住んでいたときは屋上にラジオを持って行って、名古屋のラジオ中継の電波を拾って聴いたりしていたよね。

中江 今はタイガースの試合は健康にいいですから、もうしばらくは強いと思うので、引き続き応援していただいて……。

阿刀田 いやいや、そのうち「もう少し強いと思ったのにねえ」となるんじゃないか。愛してるけど信じてない!(笑)