――一政党の党内イベントである総裁選が連日メディアで報じられました
党の代表を党内の「選挙」で選ぶ制度は、仕組みは異なるものの、多くの党が導入しています。どんなリーダーをどう選ぶかは、党内で決めればいい。代表選びを含め、その党内の意思決定は、一般の有権者にとっては「お手並み拝見」という話。党員のお祭りであって、国民のお祭りではない、ということです。
――ここまで大々的に見せつけられると、もどかしく思った人もいたのでは?
議員や党員の好みだけで党の代表を決めはしますが、その後訪れる選挙で勝つことを彼らは考えるはずです。今回の総裁選も、期間中「この政策や主張を打ち出せば、もっと広い範囲から支持を得られるかもしれない」と考えて発言や露出を試みたはずです。
政治を任せるのも民主主義ですが、政権から降ろすのも民主主義です。もし広く共感を受けない総裁や首相なら、内閣や与党の支持率が下がり、次の選挙で負けて政権を失うことになります。だから、投票できなくとも、一般有権者は「政治がおかしなことにならないか、常に見ていますよ」というメッセージを政治に対して発信することが重要です。
――政治における、こうした外からのまなざしは、歴史的にみてどうか?
一部の高額納税者の男性しか選挙権を持たなかった戦前の制限選挙の時代、ごく限られた有権者であっても、村でも町でも住民の意向を無視して投票しにくかったとの指摘もあり、選挙権がない人びとによる政治への積極的な働きかけがありました。男子普通選挙が実現する前年、1924(大正13)年に盛り上がった第2次護憲運動には、選挙権を持たない大学生などが多数参加しています。
戦前の政党は、自由民権運動が源流にあり、当時の政治家には「民の代表」だという意識が強い。20年代に政党内閣制が確立されると、いかに選挙で勝つか、いかに議会内で多数派を形成するかを強く意識するようになります。
――その意識を人びとは突いたわけですね
女性参政権の導入に積極的な議員は、当時の二大政党である立憲政友会にも憲政会にもいました。現代のようなジェンダー平等への理解があるというよりも、女性も国民だから1票を与えて国づくりに積極的に参加してもらおうという「国民主義」の発想です。
市川房枝らが婦選運動に力を注いでいた31(昭和6)年には、立憲民政党内閣がいわゆる「婦人公民権案」を提出しました。法案は衆議院を通過し、貴族院で否決されました。野党・立憲政友会も法案を出していました。遅かれ早かれ女性参政権が実現する、となると各政党は女性たちの支持を得て選挙に勝つ道を模索するようになりました。
――選挙で力を行使する以外にも、私たちは政治に影響力を及ぼすことができる、と
党の代表選びに参加する、しないとはかかわりなく、一般有権者は既に日々の政治に参加しています。しかも、参院選後の自民党・公明党は衆参両院で少数与党(公明は10日に連立離脱を表明)。たとえ自民党トップの地位を得ても、必ずしも次の首相になれるとは限らない。本来は、総裁選の各候補がこれまでやってきたこと、石破政権がこの1年でやってきたことなど、候補者も含めた新旧リーダーの政治姿勢を検証し、国民が政治を見る目を養う必要がある。
――メディア側もあり方が問われている
いま政党がどのように有権者の声や課題を吸い上げて政策に反映しているのか。明らかにして検証する報道が必要です。「勝った、負けた」だけの報道なら、波に乗るのがうまい政治家ばかりが総裁や首相の座につき、1年、2年で去っていくことの繰り返しになります。地道に勉強し、仲間を集め、政策をこつこつ作り上げるような政治家が果たしているのか。そこを見極めるのが、よりよい有権者、よりよい報道のあり方でしょう。=朝日新聞2025年10月15日掲載