この世にしがみつく「空蝉」 青来有一
幹線道路に面した狭い土地にソメイヨシノやスギ、ケヤキなどが植えられた街角の小さな雑木林といった趣の公園があります。公園といっても、子ども用の遊具はなく、ベンチがいくつかあるだけのポケットパークといった方がわかりやすいかもしれません。長い信号待ちのあいだにベンチに座って、靴ひもを締め直したりもします。
春には桜が咲くので、普段は目立たない一角が急に華やかに人目を引きますが、花が散ると鬱蒼(うっそう)とした雰囲気がよみがえり、街の景色に再びまぎれてしまいます。鋪装(ほそう)をしていない木々の根回りにはシロツメグサがひろがり、梅雨の時期には歩道に面して植えられたアジサイが咲きます。梅雨が終わり、夏空が広がると今度はいっせいにセミが鳴きはじめ、木陰の涼しさにほっと一息つくのでした。
それが、今年は梅雨が終わっても、セミの声がなかなか聞こえてきません。どうしたのかと思っていたら、7月の半ばすぎにいっせいに鳴きはじめました。考えてみたら、鳴きはじめたのは夏休みが始まる少し前で例年と変わりはなく、今年は梅雨明けがいつになく早かったために鳴かないと思いこんでいただけでした。
セミは今年も例年と同じ時期に地上に這(は)い出していたようなのです。
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蝉(せみ)しぐれが公園に降り注ぎ始めた頃、セミの脱(ぬ)け殻(がら)を見つけました。今までは気がつかなかったのですが、不思議だったのは、横断歩道に面した公園の入り口近くの一本の木、樹皮が白っぽく、根もと近くから太い幹が幾本もねじれるように分かれた一本のケヤキと思われる古木にだけたくさんの脱け殻がくっついたことでした。
セミが好む木の種類や地中の環境など複雑な要因があるのでしょう。ソメイヨシノにもスギの木にもほとんど脱け殻を見かけません。
そのケヤキの根もとに近寄って上方をあおぐと、脱け殻が縦に三つ並んでいるなど、点々とくっついてるのがわかります。上方は枝葉に隠れ、全部でどれくらいかはわかりませんが、見える範囲だけでも、十二、三の脱け殻がありました。
脱け殻の大きさと夏の始まりの羽化という時期を考えると、たぶん、鳴き声も大きくてにぎやかなクマゼミだと思いますが、実際、そこでうるさいほど聞こえてくる鳴き声は、薄い緑の縁取りのある透明な羽根のクマゼミがほとんどでした。
背伸びをして顔を近づけ、脱け殻を観察したら、茶褐色の殻には、複眼の名残りのふたつ丸いふくらみと、目のあいだの小さな突起、濃い茶色と薄い茶色が縞(しま)になった尻尾と割れた背中がわかります。
少し角度を変えて横から見ると、腹部に生えた鉤(かぎ)爪状の前脚と残りの四本の脚もわかり、羽化の瞬間、じっとこらえて懸命に樹皮に木にしがみついている様子に思えました。
この世に生まれる、その瞬間のあがきの姿をそのまま残しているようで、時を静止したといった自然の精緻(せいち)な造形にしばらく見とれていました。
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セミの脱け殻は「空蝉(うつせみ)」と言われ、源氏物語にも、光源氏を敬遠して、薄衣一枚を残して逃れた「空蝉」と呼ばれる奥ゆかしい女性が登場します。また「空蝉」は「現身(うつしみ)」に通じ、「現世の人々」という意味でも昔は用いられたという解説もありました。
私たちは殻を脱ぎ捨てたセミではなく、空っぽのままこの世にしがみついている脱け殻だというのでしょうか。
朝晩涼しくなり、セミはもういません。クマゼミの死骸がベンチの下に転がっていましたが、それも消えました。青空も淡く感じ、季節は移り変わっていきつつありますが、ケヤキの木にはまだ三つの脱け殻が、懸命にあがいたそのままの姿でしがみついています。=朝日新聞2025年10月5日掲載