音楽的な要素を重視して翻訳
本作は、“ありさんシェフ”が動物たちを晩餐会に招待するため、それぞれの席順をどうするか悩み、パズルのように席決めをしていく物語。イタリアで出版された原作は、フランス、スイス、中国、台湾など、世界各国と地域で翻訳されている話題作だ。ディーンさんは原作を読んだ感想を次のように語る。
「原作はイタリア語だったため、そちらは主にデザインや文字の配置を参考にして、内容は英語版で理解しました。様々な動物たちが登場して、それぞれが異なる環境に住んでいるにもかかわらず、“ありさんシェフ”がみんなを誘おうとする優しさに触れました。読み終えた後、少しだけ⼼があたたかくなって、なんとなくそばに置いておきたくなる。そんな読後感を日本語版でも表現できたらと思いました」
本作は、ディーンさんにとって初めての翻訳絵本となる。今回の翻訳にあたって特に大切にしたのは「リズム感と読んだ時の気持ちよさ」だ。
「ほかにもいくつか自分の中で軸があったのですが、まずはリズム感ですね。その言葉を口にした時のリズムや息継ぎのポイント、言葉運びのスムーズさといった音楽的な要素は、最も重視したところでした。
まず文章のリズムの骨格を作り、ページのどの部分まで文字が占めるかを考えて、原作を読みながら『このページにはこのくらいの文章量が最適なんだ』という判断をする参考にさせてもらいました。そこから、句読点の打ち方や空白の置き方、『!』の数など細部にもこだわりました」
リズムの次は、母音と子音の組み合わせの気持ちよさを追求していった。「読んでいる中で、日本語の母音や子音を声にした時の滑らかさを重視しました。和歌や俳句などを意識したわけではないですが、言葉選びに迷った時は、声にした時の気持ちよさを優先させていました。そういうものを楽譜にするような感じで、言葉として表記した字が絵の中でどのようなコンポジションではめられるかという視覚的な心地よさも大切にしていました」
再構築するような感覚で、原作を大胆にアレンジ
ディーンさんは本作の翻訳のため、イタリア・ミラノに出向いた。そこで原作者やイラストレーターと直接会って話を重ねる中で、少しずつインスピレーションがわいてきたそう。
「まずは食べ物(スパゲッティボロネーゼ)の話から始まったのですが(笑)、彼らはアニメや漫画など日本の文化にとても興味があるんです。そういう共通のトピックを通じて、お互いの趣味嗜好や物事と向き合う際のアプローチの仕方、自分たちは何を大切にするかということが伝わってきました。そこからコミュニケーションが始まって、お互いに信頼関係を築くことができました。原作者のダリオ・ポモドーロさんからは、僕が日本語の翻訳をするにあたっての自由度を認めていただき、タイトルの変更やセリフの追加などの許可を得ることができました」
ディーンさんが言うように、本作はタイトルも含め原作から変更しているところがいくつかある。特にタイトルは、原作や英語版をはじめとする翻訳版では、直訳すると『史上最大のディナー』という意味になっているが、日本語版では『ありさんシェフの しょうたいじょう』に変更するという大胆な選択をした。
「誰をどういう風にお招きするかというところをポイントにしてストーリーを紡いでいったほうが面白いなと思ったので、その核心を表現するものとして『招待状』という言葉を選びました。また、内容自体は大きく変わってはいないのですが、物語の軸みたいなものを少しずらしたので、線の通し方みたいなものを原作と若干変えています。日本語独自の特徴や魅力を生かすためにはそちらのほうがより良い選択だなと思い、原作にはないアレンジを自由に大胆に取り入れて、再構築、再発明するような感覚で作らせてもらいました。それを許してくださった原作者や出版社の方々には、大きな心で受け止めてもらい感謝しています。また、原作のイラストレーターさんが、僕のシェフ姿のイラストを描いてくださって、そのイラストをあしらったしおりを絵本の特典にすることになりました」
翻訳は音楽制作と似ている
役者やミュージシャンなど、多岐にわたって活動しているディーンさん。自身の多様な経験が翻訳作業に生かされたことはあったかと聞くと「以前、自分が中国語で演じたキャラクターの日本語アフレコを担当したことがあるのですが、その時は言語間の発音の違いや直訳の難しさを体感しました。今回翻訳の作業をしてみて感じたのは、翻訳のプロセスは音楽を作る工程と類似性があるなということです。僕の中ではどちらかというと歌を作っているような感覚でした。限られたスペースの中で文字数やリズム、言葉選び、句読点の打ち方などを考慮する作業は、まるでルービックキューブのようでしたね」と語る。
ディーンさん自身、2021年に、広義での“家族”をテーマにした絵本『ふぁむばむ』(クラーケンラボ)を出版しており、実生活では三児の父でもある彼のリアルな視点が今回の翻訳の随所にも見られる。絵本を表現媒体のひとつに選んだ理由については次のように語る。
「音楽にとても近い親和性があるところです。絵本の中には文字がないものもありますが、大きな解釈でいうと、防音室の中で無音を感じることと同じような感覚があります。それと、絵本は親子をつなぐひとつのツールや道具というか、親が小さい子どもにごはんを食べさせるような感じで、その言語が持つリズムなどの“種”を植えるような役割があると思います。
それに、絵本はとっつきやすさがありますよね。教科書のような説明的なアプローチではなく、すべてを言い切らないところや空想する余白が多いところもコミュニケーションや対話が生まれやすい。破裂音や破擦音など、感覚的な言葉の特性を体感しながら染み込ませることができるので、絵本は優れたツールであり、言語を超えたコミュニケーションツールだなと考えています」
「違う」からこそ「相手の話を聞く」
動物たちを晩餐会に招待しようと意気込む“ありさんシェフ”は、はりきって招待状を準備し始めるが「ねこさまとねずみさまを一緒にはできないし」、「ひつじさまは、おおかみさまといっしょなんてもってのほかだし……」と、席順を決めるのに悪戦苦闘。それぞれのゲストを思いやる“ありさんシェフ”の姿に「違いがあることの豊かさ」や「誰かを思いやる気持ち」のあたたかさが表れている。本作のテーマでもある「多様性」について、ディーンさんは自身の幼少期を振り返り、様々な文化圏のものに触れる環境で育ったことが多様性を受け入れる基盤になったという。
「振り返ってみると、言語的な意味も含めて、様々なものに触れ合う機会が比較的多い環境で育ったなと思います。僕は福島県須賀川市出身で、同郷に『ウルトラマン』の生みの親で“特撮の神様”とも称される円谷英二さんがいらっしゃるのですが、円谷さんのレガシーに触れる中で、空想の力というものが身近にあったことも大きな影響を与えてくれたと思っています。『光の国』(ウルトラマンの故郷)なんて地球外の話ですから。そうやってこの世界にはいろんなものがあるということに無意識のうちに触れる中で、誰に対してもオープンなスタンスでいることや多様性を受け止める“パレット”が出来上がっていたのかなと思います」
英語、北京語、広東語と複数の言語に堪能で、国際文化に深い理解のあるディーンさんが、様々な国や異なる文化的背景を持つ人々とのコミュニケーションにおいて大切にしているのは「相手の話を聞く」こと。「これがあれば解決する、という簡単な方程式のようなものはないかもしれませんが、コミュニケーションを通じて解決方法が見つかることはあると思います。僕自身が多様な文化圏で育った経験から、様々な文化や言語に対してオープンな姿勢を持つことの大切さを学びました」と語った後、そばにあった絵本を見つめながら「いつか、この絵本の読み聞かせもやってみたいですね。今回の翻訳を経て、音楽活動や俳優としての経験が本の翻訳にも生かされているということを実感しましたし、呼吸のリズムや間の取り方など、様々な要素が絵本の読み聞かせにも通じるなと思いました」と話した。
お気に入りのページを尋ねると「サメが出てくるページですかね。ここだけ海の中になるので、特に絵が映えるなと感じました。それから、表紙には招待された動物たちが同じテーブルについている様子が描かれているのですが、絵本を読んだ後に改めてこの表紙を見るとまた違った見え方がして。繰り返し読むことで良さが分かる本になったと思います」
最後のページでは、この物語の「オチ」が明かされる。そのシーンを読んだ時、いかに自分が狭い視界で物事を見て、捉えていたのかに気づいた。そうディーンさんに伝えると「僕も“ありさんシェフ”は、体は小さいけど、ハートはビッグだというところに感銘を受けました」と柔和な笑みを浮かべた。