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石田夏穂「緑十字のエース」 工事現場にいるかのような気分にさせる細部に魅力(第32回)

©GettyImages

工期と安全の衝突、安全衛生管理責任者の仕事とは

 石田夏穂はディテールの作家だと思うのだ。
 世の中にはたくさんの小説家がいるが、新刊長篇『緑十字のエース』(双葉社)は石田だから書ける、石田にこそ書いてもらいたい1冊だった。帯には「唯一無二の読後感が待ち受ける工事現場ノベル、堂々完工」の文字が躍っている。
 主人公の浜地は、3ヶ月前までは国内有数のデベロッパー、三岸地所の積算部長だったという人物だ。積算部というのは下請けが出してきた工事費の見積を精査するところで、無数の要素を金額という計算可能な単位に落とし込む重要な仕事である。そこを任されているということに誇りを持っていたが、あることが原因で閑職に追い込まれた。50代での転職は難しいと承知しつつ、自分の経験があればなんとかなる、と判断して三岸地所を退職した。そしてその見通しは甘かった。自分に許される選択肢が実に少ないという現実を思い知らされた後、台島建設という中堅ゼネコンになんとか滑り込むことができた。少しは名前を知られた企業である、というのが選択の理由である。三岸地所のエリートであったという過去の記憶がまだまだ捨てられていないのだ。

 現在の職場は房総半島のどこかにある建設現場である、という事実が明かされることから物語は始まる。浜地にとっては新天地どころか異世界に転生させられたほどに縁遠い場所である。こういう小説は、そこがどういう場所なのかということを読者に刷り込む筆力がなければ成立しない。駅からバスに乗り換えて9つ目の停留所で降りる。そこから徒歩で30分の場所に「里山レイクタウン」の建設現場がある。車通勤が当たり前の土地なので、通行者にはほとんど行き会わない。出社先は丸の内のオフィスビルから地上2階のプレハブ事務所に変わった。
——そもそもこれは「出社」なのだろうか……? どうにも違和感が拭えない。「出社」というのは仕事のためにビルなどの恒久的な建物に入ることだ。が、この事務所の土台は二段にしたコンクリートブロックで、二階の外廊下の柵は足場の単管パイプで、どこにも「出社」感がない。
 この1段落で、浜地が新しい仕事に対して抱いているそこはかとない差別意識と、事務所の様子がはっきりとわかる。事務所に入ると工事責任者の上田がいる。窓の「二本の紐をバランスよく引っ張ることで上まで全開になる」ブラインドを彼はうまく開けることができない。浜地に淹れさせたインスタントコーヒーを優雅に啜る上役を後目に、朝礼のための身支度をする。ヘルメット、保護メガネ、保護グローブ、安全靴、安全帯という基本装備はまだ身に慣れない。特にヘルメットは「(かつらのように)頭の上に載せている感じだ。こうして「立派な工事現場のオッサン」になって表に出ていく。小説の扉がいよいよ開く。
 浜地が与えられた仕事は安全衛生管理責任者である。元方安全という、現場組織のナンバー2にあたる職分の松本が浜地の教育係である。上役ではあるが「耳には蜂の巣のように穴が穿たれ、右の小指だけ長い爪」といった柄の悪い「三十手前のニイチャン」に教育を受けることに、浜地は内心不満を抱いている。
 この松本が話のキーパーソンである。工事を安全に進めるためにはしかるべき装備の着用をしなければならないが、ノルマに追われる現場ではそうした基本がおろそかにされることがある。それを注意し、規則を守らせることが元方安全の仕事だ。松本は建前の正しさに固執する性格で、しばしば作業を中断させてもそれを守らせる。保護メガネをつけない作業員に、退場処分にするぞ、とすごむ。そのたびに仕事は遅れていくので、現場の人間からは煙たがられている。現場の所長である桜井は、台島建設唯一の正社員で、残りは上田も含めて全員が契約社員だ。その桜井とも松本は衝突する。工期を重視する桜井の思惑に、安全管理という松本の建前がぶつかるのである。新米の浜地は、それをはらはらしながら見守ることしかできない。

教養小説の構造を持ちながら、スリラー的な要素も

 現場で浜地が右往左往する様子と、家庭の彼とが交互に書かれていく。浜地は三岸地所を辞め、台島建設の契約社員として働いていることをまだ告白していない。だから高級スーツを着て丸の内に行くような風情で家を出て、駅の多目的トイレでベージュの作業着に替えて出社しているのである。家族に事情を話せない心理の根底にはこどものころ、親が工事現場で働く人を指さして「勉強しないとああなっちゃうよ」と言って植え付けた差別意識が横たわっている。この染みついた価値観から浜地は抜け出すのか否か、ということが読者の関心事になるだろう。
 並行する叙述はもうひとつある。浜地はかつて三岸地所の積算部長として、下請けから上がって来る予算を徹底的に削っていた。そうやって見積金額を抑え受注にこぎつければ、下請けだって嬉しいはずだ、という親心である。エリート時代の浜地が特に削る対象としていたのが、現在の自分がいる安全管理の予算だった、というのが皮肉だ。経済効率を何よりも優先する企業の論理と、それに圧迫されて軋みが生じる末端の事情という現実が、浜地という主人公の過去と現在で表現されている。桜井と松本が対立するのも十分な予算や工期が与えられていないからなのである。現場にいる浜地は、桜井と松本両方の側に引き裂かれた状態であるとも言える。これが葛藤を生む。
 松本の振りかざす正論は、正論だから正しいのである。浜地は彼の後をついて歩き、その頑なさに悩まされつつも、現場がどうなっているのか、どうしたら少しはましになるのか、というようなことを考えるようになる。少しずつ現場の人間になるのだ。それにつれて読者も、浜地に気持ちを重ねていくようになる。ここが仕掛けで、せちがらい現実というものは安易な共感を許すものではない。理想主義がそのまま通るようなら、日本はこんな貧困にならなかっただろう。浜地は現在のこの国そのものとも言える。次第に彼の価値観は変わっていくが、予想しなかった事態が次々に試練として現れる。50男は無事に成長できるのだろうか。現実を変えることはできるのだろうか。
 教養小説の構造を持っているのだが、実はスリラー的な要素も備えている。「里山レイクタウン」の建設現場に秘められた真実は最後の最後に明らかにされる。そこに至る手がかりを浜地が捜していくという過程も描かれ、最後にはちょっとした山場がある。だが、そこで告げられる事実は非常に苦いものだ。浜地にとって、また読者にとっても。この苦みが『緑十字のエース』という物語に、後を引く余韻を与えている。

 読めば自分が工事現場にいるかのような錯覚が生まれる作品である。第45回すばる文学賞佳作(第166回芥川賞候補)を受賞した石田夏穂のデビュー作『我が友、スミス』(集英社)はボディビル小説で、筋肉増強に勤しむ女性の視点からモノマニアックにトレーニングや器具の描写が行われるのが物語の魅力であった。第169回芥川賞候補になった『我が手の太陽』(講談社)は、熟練溶接工を主人公とする作品で、やはり現場の小説だ。選評に溶接場面を称賛する言葉が並んだのは壮観だった。私のお気に入り長篇は2023年の『黄金比の縁』(集英社)で、人事採用チームに転属させられた女性が会社に復讐するためにあることを企むという話であった。私は3年ほど採用担当を会社員としてやっていた時期があるのだけど、その目から見ても職場の描写は完璧だった。やはり石田はディテールの作家である。細部が物語のための強固な支持材になっている。
 物語はしっかりとした土台に乗っているほうがいい。でないと足下がぐらぐらしてしまうから。石田の作る基礎は信頼できる。その上に築かれた物語がおもしろいのも当然だ。安全衛生管理、確認ヨイカ。安全衛生管理確認、ヨシ!