ISBN: 9784562075249
発売⽇: 2025/09/12
サイズ: 21.6×2.6cm/342p
「計算道具の歴史」 [著]キース・ヒューストン
すごい本である。文字も計算機もない先史時代の人類が、指や身体の部位を使ってどこまで数をかぞえられたか。そこから話がはじまるのだ。著者は歴史の中に現れる「計算」とそのための道具を縦横無尽に拾い上げる作業を展開する。
たとえば、そろばんが実は西洋にも存在したこと、算用数字を用いた筆算と競合していたことがわかる。「計算尺」という、20世紀まで広く使用されていた道具の歴史も描かれるが、それには対数の発見という数学史や、女性の労働の歴史が関わってくる。女性は一時期、安価な「計算手」として多く雇われたからだ。
計算機の歴史は更に圧巻である。現代では博物館にしか残らない歯車仕掛けの計算機に、どれだけ素晴らしい創意工夫があったかを知らされる。だが淘汰(とうた)され、トランジスタや集積回路の発明が起こり、電卓の誕生に至る。NEC、シャープ、カシオなどの技術者も登場する。しかしその電卓もパソコンで動く表計算ソフトや電卓アプリに主役の座を奪われる。
無慈悲ともいえるほどの栄枯盛衰。その競争に類い希(まれ)な熱情を傾けた先人の営みに圧倒されつつも、どこか背筋に冷たいものが走りもする。それが計算を非人間的な営みに変質させていくプロセスにも見えてしまうからだ。実際、超高速で数値計算をする機械が次々と人間に置き換わり、軍事でも活躍する。
ただしその「冷たさ」の印象を救うのは、技術力礼賛に留(とど)まらない本書の記述である。まず、「計算」は技術だけでは勝てない領域である。先進性より平凡で頑丈な道具が勝つこともあれば、奇抜なものが好まれることもあるからだ。たとえば、カシオの電卓にはライターやシンセサイザーと組み合わせたものがあった。他にも人知れず消えていったアイデアや敗者の歴史がさりげなく挿入され、温かみを添えている。そこに本書の魅力がある。
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Keith Houston 著書に『泣き笑いの顔 絵文字の歴史』(未邦訳)。ニューヨーク・タイムズ紙などに寄稿。英国在住。