ISBN: 9784309209357
発売⽇: 2025/10/28
サイズ: 13.8×19.3cm/240p
「肉は美し」 [著]アグスティナ・バステリカ
美しい装丁に巻かれた帯には「究極のディストピア食人ホラーSF!」と書いてある。OK、よし来た、と心づもりをしたものの、開始四行目の「人間を屠畜(とちく)する」という言葉に早速困惑する。意味はわかるがわかりたくない。が、そんなやわな拒否感に容赦なく刃(やいば)を向け、解体しにかかってくるのが本作だ。
とあるウイルスが蔓延(まんえん)して以来、動物を食することが不可能になった近未来の世界。やがて〈移行〉の時が訪れ、食用家畜としての人間飼育が法制化された。食用の人間は〈頭〉と呼ばれ、その肉は「特級肉」として売買される。社会の再設計を経て更新される倫理観、極端にシステム化される供給手段、「便利で清潔な」言葉で覆い隠されていくグロテスクな実態。食肉処理工場で働くマルコスは、それに人知れず嫌悪感を抱いている。つまり彼は〈移行〉しきれていない人間だ。マルコスには、長い不妊治療の末に授かった我が子を失った経験がある。たった一つの命の喪失から立ち直れない彼の前で、今日も〈頭〉の命は誰の感情にも関与しないまま次々奪われていく。
人間が作るタブーは金、宗教、欲望が絡めばなし崩しに緩む。そしてあらゆることは言い換えられる。そんな言葉の仕組みが改めて恐ろしい。人々の貧弱な言葉に苛立(いらだ)つマルコスは、あるメスの〈頭〉と言葉を介さないごく親密な関係にのめり込む。それは口当たりよく加工された倫理から人間性を取り戻そうとする決死の抗(あらが)いにも見えるが、抗いが喪失の回復と結びついたとき、〈移行〉の潮が彼を呑(の)みこむ。
思えば昨日私が白菜と煮た豚バラ肉も、スーパーでは極めて「便利で清潔な」状態で売られていた。その肉をかつて生きていた豚として想(おも)わずにすむよう設計されている社会に、私は完全に乗りきってしまっている。警戒すべきは誰かの手にあるハンマーでも包丁でもなく、己の目と舌に仕込まれた言葉なのだ。
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Agustina Bazterrica 1974年アルゼンチン生まれ。作家。本書は30カ国以上で翻訳され、100万部超のベストセラー。