「荒原にて」書評 遊牧生活 立ち上がる土地の空気
ISBN: 9784898156148
発売⽇: 2025/11/26
サイズ: 18.8×2.1cm/352p
「荒原にて」 [著]索南才譲
中国青海省海北チベット族自治州に生まれ、「最後の世代の遊牧民」を自任する作家の小説集。代々遊牧生活を営む一家に生まれた著者は十二歳で父から家畜の群れを引き継ぎ、一人で羊の番をするなかで読書にのめりこみ創作を始めた。現在は都市部に移住しているものの、本書の収録作はいずれも高原で遊牧生活を送っていた時期に執筆されたという。
失踪した父を古いジープで探しにいく冒頭の一編「シンハーナードンにて」から、さっそく土地の空気が濃厚に立ち上り、子どもの頃はじめて海外の児童文学に触れたときのような胸の高鳴りを感じる。未知の規格の風景と感情に想像力の枠が引っ張られ、物語を招き入れる扉の蝶番(ちょうつがい)がギシギシときしむのだ。村を吹き抜ける「犬の毛玉風」、谷底で燐火(りんか)を出す死者の骨を食べる馬、白い巨石が横たわるゴビ砂漠の石林、ハゲワシに引き裂かれた牛の肉片が散らばる雪の大地は「真っ白なヨーグルトに赤砂糖をひとつかみ入れたよう」。ページを繰るたび文字から泥のように跳ね散り、目に染みついて消えない光景がつぎつぎ現れる。
ネズミ退治のために雪原に繰り出した男たちのパワーバランスが歪に変化し、衝撃の結末を迎えるまでを描いた表題作も圧巻。食事当番を巡る駆け引きや峠のテントに暮らす娘をめぐる小競り合いなど、ユーモラスな細部と厳粛な自然の様相が絡みあって、物語はどくどくと脈打ち熱を帯びていく。
彼らが生きる世界では、人間と土地と動物が一つの鼓動を共有し、互いの影響から免れることはできない。どの一編も鮮烈なイメージに溢(あふ)れているが、ひと続きの絵画というより、高原のすべての魂が練りこまれた巨大な一枚岩の前に立たされているような感覚を覚える。素手で辿(たど)るその岩の荒々しい凹凸を通して、私たちは無限の命の痕跡と幾度も言葉を交わしうるのだ。
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ソナムツェラン 1985年生まれ、作家。2022年に本書の表題作「荒原にて」が、中国で権威ある魯迅文学賞中編小説賞を受賞。