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「ミルトン・フリードマン」(上・下) 時代動かした思想の奥行き指摘 朝日新聞書評から

評者: 酒井正 / 朝⽇新聞掲載:2026年02月14日
ミルトン・フリードマン(上) 生涯と思想 著者:ジェニファー・バーンズ 出版社:日経BP 日本経済新聞出版 ジャンル:ビジネス・経済

ISBN: 9784296120123
発売⽇: 2025/11/23
サイズ: 18.8×3.5cm/420p

ミルトン・フリードマン(下) 生涯と思想 著者:ジェニファー・バーンズ 出版社:日経BP 日本経済新聞出版 ジャンル:ビジネス・経済

ISBN: 9784296120130
発売⽇: 2025/11/23
サイズ: 18.8×3.5cm/436p

「ミルトン・フリードマン」(上・下) [著]ジェニファー・バーンズ

 「フリードマンという名前はしばらくの間、単なる一人の人物ではなく、ひとまとまりの思想全体を思い起こさせた」と本書の冒頭にあるが、私もまたミルトン・フリードマンのことを、マネタリズム(物価の安定のために貨幣供給量の管理を重視する立場)や新自由主義を理論的に支えた極端な思想としてしか記憶していなかった。だが、上下巻合わせて800頁(ページ)以上にもなるこの評伝は、フリードマンの思想が政治的なシンボルとして単純化されたあまり、本来の奥行きが失われたまま浸透してしまったことを指摘する。
 フリードマンに対しては不平等を容認したとの批判もあるが、本書の著者によればそれは誤りだという。汚点の一つとされる公民権法に反対した事実からもわかるようにたしかにフリードマンは平等主義者ではないが、既得権益を生み出すような免許資格制度に反対し、晩年は格差を生み出す原因として教育機会の問題に心を砕いた。
 昨今、日本でもその導入が議論されている給付付き税額控除が、フリードマンの「負の所得税」に由来することを我々はどれほど認識しているだろうか。旧来の貧困対策は困窮状態にあることを厳しく監視する父権主義的なものになりがちだが、負の所得税が優れた点は、貧困層の尊厳やプライバシーを侵すことなく機械的に支援できることにあると考えていた。個人の自由を最重視するフリードマンらしい発想だが、そこには貧困層を他者と区別しないリベラルな意識も垣間見られる。
 フリードマンの着想は、経済学の内部に留(とど)まらない広範な影響を社会に与えた。徴兵制の廃止を求めたこともその一つだ。自らのアイデアの影響によって変容した世界を生きて行くのは、どのような気分だっただろうか。
 単純なモデルを好んだというフリードマンの提案した様々なアイデアはあまりに根源的だったため、亡霊のように何度も立ち現れ、批判者もそれと向き合わざるを得ないようなものばかりだ。マネタリズムにしても、今日では過去の遺物とされる場合もあるが、その主張の要諦(ようてい)はむしろ受容されている。本人は、自分の考えが他者と一致するよりも、対比されることを望んだという。コラムニストとして発信し続け、政治と関わることをよしとした。フリードマンの歩んだ道のりは、経済学者という職業が勃興する過程に重なる。本書に描かれるマクロ経済政策に携わる研究者たちの姿は群像劇のようだ。
 さて、日本の政治はフリードマンが提起した問いの数々に対して熟慮された答えを持ち合わせているだろうか。
    ◇
Jennifer Burns 米スタンフォード大教授(歴史学)。ニューヨーク・タイムズ紙などのメディアへ寄稿している。本書で2023年英エコノミスト誌ベストブック、25年レーガン・ブック・プライズ受賞。