旅立つきみへ 混沌とした世界を興じ生き抜け 鳥羽和久
この春、きみは旅立ちのときを迎えている。でも、きみは果たして本当にその準備ができているのかな。
先日僕が立ち寄ったある高校の校訓は「自律」と「創造」だが、学校の実態からするとこれは一種の皮肉に近い。
「自律」とは「自分自身の規律に基づいて判断し行動する」ことだが、多くの学校で求められているのは「その場で優勢な価値観を読み取って自発的に動く能力」でしかない。マイルールで動く人間は「自分勝手」で「空気が読めない」と疎まれる。そんな環境で自律が芽生えるのだろうか。
「創造」も同様だ。受験科目はおろか、体育や美術・音楽に至るまで評価の対象になるため、多くの学生は作ることや表現すること自体に消極的になる。授業の発表で間違える恥を刻まれたせいで、大人になっても人前で意見することを恐れる人も少なくない。
この春、学校を終えたきみは、自分で判断して行動することや、自分の手で独特なものを作ることについて、かなりネガティブな思考のクセを抱えているのではないか。それが僕の見立てである。
千葉雅也『センスの哲学』(文芸春秋・1760円)は、そうしたものの見方に自信が持てない人に対し、自分の欲望で世界を見て感じるトレーニングを促す。本書はあらゆる表象の中にリズムを見出(みいだ)すヒントを与えるが、それは狭義での美学的効用にとどまらない。生活の中にあるリズムが「多様なものに触れるときの不安を緩和し、不安を面白さに変換する回路を作る」とき生は躍動する。その喜びを謳(うた)うのが本書だ。
人生を自力で歩いていないとき、人はたいてい他人の欲望のまなざしに振り回されている。たとえどこかに問題があっても、それを失点とだけ捉えずに、自分なりの波長で感受できれば、ノイズさえも楽しむことができる。
地下鉄の漏水対策を観察するというニッチな活動を通して、自分なりのものの見方を極限まで振り切らせた本が友田とん『「手に負えない」を編みなおす』(柏書房・1980円)である。地下鉄駅の漏水対策には、その性質上終わりがない。そういった「手に負えないもの」を手当てし続けることで、人はいつの間にかそのための目を手に入れてしまう。こうして得られた目が、やがてその人の世界の見方そのものを支えるのだ。
友田は漏水対策という奇妙なものに自身が惹(ひ)かれる理由をさかのぼって考え、実家の和菓子屋の記憶にたどり着く。自分の欲望の宛先について、その起点までさかのぼり、その条件を耕し直すこと。それが、見て作り続けるための土台になる。
条件というのは、言い換えれば構造のことである。アフガニスタン系アメリカ人の著者ジャミル・ジャン・コチャイによる短編集『きみはメタルギアソリッドⅤ:ファントムペインをプレイする』(矢倉喬士訳、河出書房新社・2750円)は、混沌(こんとん)とした現代世界の構造を鮮明に浮かび上がらせる。
冒頭の表題作で、少年ミルワイスはゲームを通じて家族の過去の戦争へ時間旅行し、叔父を救おうとする。この中で読者は「きみ」と二人称で呼びかけられ、いつの間にかゲームのプレイヤーとして参入させられてしまう。
先日、ホワイトハウスのSNS投稿が戦争をゲーム化していると批判されたが、この小説ではむしろ、現実社会そのものがすでにバトルゲーム的構造を帯びていることがグロテスクに露呈する。
この春、旅立つきみ。きみもこのゲームにすでに組み込まれていて、きみはその世界の中で、自分の独特な欲望を抱えたまま生き抜かねばならない。きみはこれから、この世界でどんなプレイに興じるのだろう。=朝日新聞2026年3月28日掲載