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「『歴史とは何か』の人びと」書評 碩学たちの「生」を大胆に再構成

評者: 中澤達哉 / 朝⽇新聞掲載:2026年05月02日
『歴史とは何か』の人びと E.H.カーと20世紀知識人群像 著者:近藤 和彦 出版社:岩波書店 ジャンル:歴史

ISBN: 9784000256810
発売⽇: 2026/01/27
サイズ: 2.4×18.8cm/328p

「『歴史とは何か』の人びと」 [著]近藤和彦

 E・H・カー著『歴史とは何か』(以下『何か』)は、1962年初版の清水幾太郎訳から2022年新版の近藤和彦訳まで、累計99万部もの売り上げを誇るベストセラー。
 幾度も『何か』を読んだ人にこそ本書は最適。新版訳者が著した本書は、『何か』に登場する碩学(せきがく)たちに一章分を当て、ひとりひとり丹念に検証する。まさにカーを巡る知識人のプロソポグラフィ(集団伝記的分析)。バーリン、ポパー、ネイミアなど、中・東欧ユダヤ系移民の哲学者や歴史家が英国学界に与えた衝撃を直視するだけでなく、錚々(そうそう)たる面々の「生」を、オクスブリッジの臨場感あふれる知的環境も交えて再現。ここに、十余の知性が織りなすポリフォニーの響きが息づく。
 『何か』によれば、歴史家が導き出す客観性とは、不変の真理ではなく、歴史家が生きた時代に規定される客観性に過ぎない。だが一方で、歴史家が未来に向かう歴史の流れを正しく摑(つか)んでいるとき、その歴史家は最も客観的になれるという。未来への視点こそ、客観性を担保するとの考えだ。その際、カーは、歴史を進歩の学として考えた自由主義史家アクトンと、それを否定し懐疑主義を貫いたネイミアを構造的に対比していた。
 著者の真骨頂はここから。この対比的レトリックを剝がし、生身の人間たちの生に向き合い、これを大胆に再構成する。完璧主義のアクトンには唯一気を許した心友メアリがいた。東欧移民で尊大なネイミアには一人として友がいなかったが、なぜか歴史家テイラとは気が合ったという。意外な素顔に同情も誘う。
 カーは、歴史とは単なる過去の記録ではなく、歴史家の生そのものだと述べた。だが、本書は、カーが論じた同時代の歴史家たちの生に直(じか)に足を踏み入れることで、カーの個人史を見事に逆照射した。「歴史家は時代の産物である」とのテーゼを、カー自身に対してユーモアたっぷりに実践してみせた一冊だ。
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こんどう・かずひこ 1947年生まれ。東京大名誉教授(イギリス近世・近代史、史学史)。著書に『民のモラル』など。