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「時の家」鳥山まことさん 芥川賞受賞のカギは自分探し。「みんなも書いたらええのにな」小説家になりたい人が、芥川賞作家になった人に聞いてみた。(特別版)

人生賭けてやる予感

 鳥山さんが小説を書き始めたのは社会人1年目のとき。

「東京の設計事務所に建築士として就職し、忙しく働くなかで、やらなあかんことだけで暮らしていくのはしんどいな、仕事と暮らしと、もうひとつ軸が欲しい、と思うようになりました。3つ上の姉の影響もあるかもしれません。もともと僕は芸術全般に興味があり、コツコツと手を動かして何かを作り上げることが好きなのですが、将来の安定を考えて大学院へ進み、建築士という仕事を選びました。一方、姉は芸大に進んで好きなことを追求していて、その勇気に内心憧れていたんです」

 家具作りなどいろいろ挑戦してみたところ、一番ハマったのが小説を書くことだった。

「はじめて小説を書きあげた夜、楽しくて面白すぎて興奮で眠れなくなって。たぶんこれは人生を賭けてやることになる、と思いました」

 最初に書いた作品は今でもはっきりと覚えている。

「福井に住む祖母に社会人2~3年目の主人公が会いに行く話。認知症が始まったおばあちゃんは会話のできるロボットを孫のようにかわいがっていて、そのコミュニケーションがちぐはぐなのに不思議とフィットしている……という話で、150枚くらいの中編でした」

 はじめて書いた小説を完結させられただけでもすごいけれど、それが文藝賞の2次選考を通過したという。

「文芸誌に自分の名前が載ったことに驚き、いけるかもって勘違いしました。そこから受賞するまでが長かったんですが……」

 鳥山さんはスマホに保存している「経過」というファイルを見せてくれた。そこにはいつどの賞にどんな作品を出したか、結果はどうだったかが記録されている。

「僕、経緯をすべてメモして残してるんです。引かないでくださいね(笑)」

 驚いたのは1年に応募する数。応募を始めた2017年から数年は10本以上応募している。5大文芸誌の賞もあれば、地方の小さな文学賞もある。

「最初は書くのが異常に早かったんです。書き終えたら推敲もせず、締め切りと枚数が合う賞に出していました。だんだん、1作にきちんと時間をかけるようになって、最後の方は1年に3作くらいのペースになりました。『数打ちゃ当たる』は小説の賞には当てはまらないと思います。それより1作の強度を高めたほうがいい」

 書くだけでなく応募もしていたのは、小説家になりたかったから?

「専業作家になりたいという気持ちは今も昔もありません。応募したのは、競技に出る面白さがあったから。落ちてもともとだと思っているし、書き上げた満足があるから、落選で落ち込むこともなかった。箸にも棒にも、だったらやめていたかもしれませんが、年に1、2本はいいところまでいくので、モチベーションも保てていました」

同じく建築士の妻と2人で建てた家。「作り付けの本棚に執筆スペースも設けました。自宅を設計し、出来上がりまでの一部始終を見届ける経験が『時の家』の着想へとつながりました」 写真:本人提供

賞が欲しいのは、実力が上がるから

 2023年、三田文学新人賞を受賞。応募開始から6年、50作以上応募し続けた果ての受賞だった。ただ、三田文学新人賞は、出版社ではなく三田文学会が主宰する賞で、受賞作が単行本になるわけではない。そこに葛藤はなかったのだろうか。

「幸運なことに『あるもの』を読んだ群像編集部から次作のオファーを頂けたんです。だから本が出なくてもくすぶっている感覚はなかった。芥川賞を意識したのもこの時から。ここ10年の間に何らかの賞のノミネートと、何らかの受賞をしたいと考えていました」

 意外です。これまでのお話からすると、受賞にはそんなにこだわっていないのかと。

「もちろん書く面白さに賞の有無は関係ないです。でも、新人賞を頂いたことで、受賞で執筆のフェーズがあきらかに変わることがわかったんです。具体的に言えば、三田文学新人賞で受賞できたから、『群像』の編集さんに自作を見てもらえることになって、それがあったから『アウトライン』(2024年「群像」で発表)が書けて、『アウトライン』が書けたから『時の家』が書けた。より面白いものを書くために、賞を獲りたいと思うようになりました」

 2025年、「時の家」が第47回野間文芸新人賞を受賞し、年明け、芥川賞にも輝いた。ひとつの作品でこの2賞を受賞するのは史上初の快挙。芥川賞の待ち会では、あるげん担ぎをしたという。

「野間新の待ち会の完全再現をしたんですよ。服装も、朝起きて電車に乗る時間も、新幹線の席も、昼飯食べる店も、途中で寄った書店も、待ち会のカフェで何を食べるかも。最後ひとつだけ、野間新の時に注文したモンブランがなくてドキドキしましたが、無事受賞出来てよかったです」

 同時受賞の畠山丑雄さんとは、畠山さんの『改元』のサイン会に鳥山さんが行ったときからの仲で、LINEで「同時受賞できたらええな」と言い合っていたそう。

畠山さんとは、どちらも京都の大学出身で、生まれた年も月も、近年パパになったのも同じ。「こないだ京都市文化芸術きらめき賞という賞を畠山さんと2人でもらって、授賞式のあと2人でご飯食べたんですけど、お互いの子どもの話してました」=写真・武藤奈緒美

 お子さんが生まれて、仕事、暮らし、小説の3つの軸に変化はありましたか。

「それが目下の悩みです。暮らし、つまり家庭のボリュームがすごく大きくなって、次に優先するのは仕事。小説に割ける時間はほんのわずかになりました。今は、エッセイや書評などは通勤時間に書いて、小説は5時に起きて毎日1時間取り組むようにしています。けれど、子どもが早く起きることもあって、その1時間さえ確保が難しい。つい家族との時間をセーブしかけると、奥さんがいつも『成長を見逃すよ』って忠告してくれます。それが今の自分にとっていちばん大事な助言だなと思っています」

『時の家』執筆のために書いたノート。「これは、住まい手の時間軸を整理したもの。じつは最初はもう1人住民がいたのですが、試行錯誤の中で今の3組に落ち着きました」=写真:武藤奈緒美

自分がない僕の、自分探し

『時の家』の冒頭は乗代雄介さんの写生文の影響を受けたそうですね。そして、作中には谷川俊太郎さんの詩が引用されます。自作にほかの作家の作ったものを入れることに恐れや葛藤はないのでしょうか。

「僕は、自分があんまりなくて、人の影響をめっちゃ受けやすいんです。出張先の方言がうつって妻に気味悪がられるくらい。でもそれって、なんでも吸収する力があるとも言える。自分だけの文体や唯一無二の作家性もええなと思うけど、最近は、この小説が要望するものをちゃんと見極めて正しく取り入れていくというのが自分のやり方なんだ、と思うようになりました」

谷川俊太郎の詩集『手紙』(集英社)。「京都にある私設図書館『鈍考』でこの本と出会いました。当時、すでに『時の家』を書き始めていたのですが、「時」という詩を読んで、このためにこの小説を書いていたのか、と思うほど感動しました」=写真:武藤奈緒美

 そして、あらためて〈自分探し〉をしたことが、芥川賞受賞につながったという。

「〈この人にしか書けない小説〉というのが圧倒的に面白いし、評価される。であれば、まず自分のことを掘り下げてみようと、自分の要素を思いつくまま書き出してみたんです。そこで出てきたのが〈記憶〉と〈建築〉でした」

『時の家』はある一軒家の3世帯にわたる住人たちの記憶が描かれる。そういえば、三田文学新人賞の受賞作「あるもの」も、町民支援センターに勤める主人公が認知症のおばあさんの依頼を受け、思い出の場所がまだあるかどうか確かめに行く話だった。

「はじめて書いて2次通過したのも認知症のおばあちゃんの話だし、新人賞受賞後、『駅と旅』(東京創元社)というアンソロジーに書いた『辿る街の青い模様』という作品も、祖父の思い出のタイルを辿ってポルトガルを旅するという話。自分は〈記憶〉を書くとき、ちょっと人とはちがう扱い方をしているのかも、と思ったんです」

 もうひとつの要素〈建築〉は、もちろん鳥山さんの建築士という仕事から。

「これまでは、建築の仕事をやっている自分と、小説を書いている自分は、切り離して考えていました。でも〈建築〉が僕の大きな要素なのは間違いない。そこで『アウトライン』の主人公を建材メーカーに勤める女性にし、はじめて小説で〈建築〉を描いてみたんです。そして〈建築〉のことだったら誰とも違うことが書けることに気づいた。この作品で編集さんとやりとりしたことが『時の家』につながっていきました」

 ご自身の才能は信じていますか。

「いえ、自分には才能はないと思っています。その分、全部吸収して、オールメンバーの中から最適解を作っていく。僕は自分の力を証明するために小説を書くのではなくて、作業が面白くて小説を書いているんだと思います。文体や構造、テーマを選び、よりおもしろい小説を作り上げていく、その工程に夢中なんです」 

 それは建築の仕事に感じる面白さと同じ面白さですか。

「似ています。ただ、建築はもっと特化させられるんですよ。一つの建物のある一部分しか担当できない。全部やらせてもらうにはトップにならないといけなくて、それは50代、60代とまだ先の話。それを今すぐ頭からしっぽまで一人でできるのが執筆の面白いところです」

自宅を建てる際、大工さんが鉛筆で描いた窓枠とガラス戸の納まりの詳細図。「やがて漆喰で塗られ、見えなくなってしまうこの仕事の手つきを残したいと考えて写真に撮りました。でもそれだけじゃ足りなくて、書きはじめたのが『時の家』です」写真:本人提供

人生の軸に「小説」がある幸せ

 この先も建築をモチーフに書いていくのでしょうか。

「建築でまだまだ書いてないことがたくさんあるし、それをものにできる実力も足りていない。しばらくはこのテーマを追究したい。そのためにも建築士の仕事を続けます。家の設計においては、これまでその人がどんなふうに暮らしてきたか過去をふりかえる作業と、家を建てることでどんなふうに暮らしが変化するかという未来を予測する作業がとても重要になる。『時の家』では、〈過去を振り返る部分〉にフォーカスを当てました。であれば、建築の〈未来を予測する部分〉にフォーカスを当てて新しい小説を書くこともできる。そうした方向にも取り組めることに、とってもワクワクしてます」

 小説家になりたい人へアドバイスをお願いします。

「自分というものを一度問い詰めてみると、書けるものが変わってくるかもしれません」

つづけて、鳥山さんはしみじみ言った。「みんなも小説書いたらええのにな」

「たとえば、『時の家』も『辿る街の青い模様』も、子を持つことへの迷いが書かれてあるんですけど、これは当時僕がずっと感じていたことです。いつからかぼんやりと子どもが欲しいと思うようになって、でもその理由が自分で全く説明できない。本能、という言葉でぶった切られて『この先はもう考えないでいいことになっています』って遮断されている感じが、気になっていた。書いておいてよかったと思います。子どもが生まれた今では絶対書けない迷いだから。息子は圧倒的な存在感で、あのときの自分の感覚がもう思い出せないんです。

 こんなふうに、僕にとって小説は日記代わりでもあります。書いていることはフィクションですが、自分の中のぼんやりした感情を小説を書きながらじっくり考える。すごくいい時間です。
人生の3つめの軸に小説を選んでよかった。みんなも書いたらええのにな」