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「タイム・シェルター」書評 風刺鋭く進行中の問題を貪欲に

評者: 藤井光 / 朝⽇新聞掲載:2026年06月13日
タイム・シェルター 著者:ゲオルギ・ゴスポディノフ 出版社:早川書房 ジャンル:文芸作品

ISBN: 9784152104717
発売⽇: 2026/04/02
サイズ: 13.7×19.4cm/512p

「タイム・シェルター」 [著]ゲオルギ・ゴスポディノフ

 これは、いつの、どこの話なのか。小説の冒頭において、物語の基盤は不安定に揺れ動く。ブルガリア人らしき語り手「ぼく」は、自分が作り出したはずの登場人物ガウスティンと、なぜか手紙のやりとりをしている。時代も、場所も、虚実も定まらないまま。
 その不確実さは、読み手の期待を挑発している。どこかに焦点を定めてほしいという、安定した物語を求める感覚そのものが、この小説が探求する対象となるのだ。
 そこに、ひとつの定点が与えられる。ガウスティンと語り手は、スイスのチューリヒに「過去のためのクリニック」として1960年代を再現した部屋を用意する。過去への郷愁に浸ることで、人々は落ち着きを得られるとでもいうように。
 だが、このときの「過去」とは、結局のところ作り物であり、都合よく改変されたまがい物でしかないのではないか。
 その問いは、ひとつの部屋に留(とど)まるはずもなく、一気に拡張されていく。世界中で記憶の喪失が広がるにつれて、過去はパンデミックのように世界を支配していく。やがてヨーロッパ各国は、自分たちはどの過去に回帰するべきか、それぞれ国民投票に臨む。ブルガリアでは、60~70年代の社会主義の時代と、19世紀末の民族主義の時代がしのぎを削り、ついに投票結果が明らかになる……。小説は鋭い風刺を効かせつつ、新型コロナウイルス、排外主義の伸長や資本主義の浸透など、現在進行中の問題を貪欲(どんよく)に取り込んでいる。
 安定した物語を求める心性が、理想化された過去に人を駆り立てる。現在、多くの社会にとって、それは「今」と「ここ」の物語である。同時に、世相への皮肉や喪失の哀感などの幅広い感情、過去と記憶をめぐる哲学的な洞察や、過去の文学作品からの引用が詰まった小説でもある。一種のタイムカプセルとして、この作品は時のなかをどこまで旅していくのだろう。
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Georgi Gospodinov 1968年生まれ。作家、詩人。長編3作目の本作の英訳版でブルガリア人として初の国際ブッカー賞。
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寺島憲治訳