去年、初めて人間ドックに行った。三十代はおろか、四十五歳になるまで健康診断を受けていなかった。さぞ悲惨な結果になるだろうと思ったら拍子抜けするくらい健康で、若い時から患っている持病以外はオールAだった。唯一、目だけが再検査になってしまった。緑内障の疑いがあるという。震えあがった。
結果、問題はなかったものの、一年に一度は眼科で検査を受けなくてはいけなくなった。初期の緑内障は自覚症状がないため、眼圧検査や眼底検査、隅角検査などをしてチェックする。視野検査はゲームのようでちょっと楽しい。「集中力を使うので疲れませんか?」と看護師さんに心配されたが、普段の執筆やゲラ作業の方が余程疲れる。盲点の存在が可視化できるのも面白い。
そんな風に検査自体は嫌ではないのだが、検査のために瞳孔を広げる点眼薬が困る。三十分ほどで異様に眩(まぶ)しくなってきて、検査を終えても四、五時間ほど焦点が合いにくくなる。サングラスをしていても眩しい。光の粒が眼球に食い込んでくるようである。外には居(お)れぬ、と家にいても、スマホの文字が読めないし打てない、パソコンでも駄目なので仕事ができない。本も漫画も読めない。モニター画面も眩しい。正直、なにもできない。ものすごい暇だ、と途方に暮れて、いかに視力に頼った人生を送ってきたか痛感した。
今年は友人とお喋(しゃべ)りをしていた。ふと、習慣で茶を淹(い)れてみたら、いつも通り美味(おい)しかった。こぼしてもいない。おや、と思い、友人が帰ってから野菜の千切りをしてみた。人参(にんじん)三本分のラペができ、玉ねぎのみじん切りもできた。レシピは読めないが、焦点が合わなくても手は動くのが不思議だった。私にとって料理は視覚以外の感覚も大いに使う行為なのかもしれない。確かに、千切りなどは目だけで判断して動いていては遅すぎる。五感は単体で使っているわけではなく、領域を重ね合わせながら存在しているという当たり前のことに気がつけた体験だった。=朝日新聞2026年7月22日掲載