荒木あかね「おむこさんは殺人鬼」で示された新人とは思えない腕前(第40回)
荒木あかねという名前は憶えておいて絶対損をしないはずである。
3冊目の著書にして第1短篇集の『おむこさんは殺人鬼』(文藝春秋)がこのたび発売された。荒木のデビュー作は第68回江戸川乱歩賞を受賞した2022年の『此の世の果ての殺人』(講談社文庫)である。間もなく小惑星が落下してきて地球が滅亡しようという状況下での連続殺人事件を描いた意欲作で、大きな話題になった。続く『ちぎれた鎖と光の切れ端』(講談社)では2024年に第45回吉川英治文学新人賞候補にも挙がっている。
この作家にはとてつもない才能がある。そう感じたのは、乱歩賞受賞後第1作として「小説現代」2022年9月号に発表された短篇「同好のSHE」を読んだときだった。乱歩賞を受賞すると、決まりとして贈賞式よりも前に発売される「小説現代」に短篇を書かなければならない。それまでミステリー短篇をあまり書いたことがないという作家もいて、かなり苦労する場合もある。逆に言えば、新人が初めて商業媒体の依頼を受け、〆切までに書かなければならなくなった原稿ということで、実力の真価を知るにはもってこいの機会なのだ。
結論から言えば「同好のSHE」は満点の出来だった。歴代江戸川乱歩賞受賞作家の受賞後第1作と比較しても上位にくる出来だと思う。
主人公の枯芝優子が深夜バスに乗り込む場面から話は始まる。広島駅発バスタ新宿行きブルースターライナー922便、優子は確固とした意志を持ってこのバスに乗った。荷物はショルダーバッグ1つ、身にまとった季節外れのブルゾンはオーバーサイズで、着心地が悪い。そのポケットの中に隠したナイフを握りしめ、優子は「何があっても私は引き返さない」と誓う。
割り当てられた席は最後列の通路側で、窓側の席には優子と同じ若い女性が座っていた。「真っ白なサマーニットのワンピースがよく似合う、清潔で上品そうな女」は愛想笑いを浮かべて挨拶をしてくるが、優子は無視する。それどころではない心理状態なのだ。バスの発車間際、女は小声で話しかけてきた。
「バスジャックでもするつもりですか?」
「ポケットの中のものを出してください。でないと通報しますよ」
なぜナイフを所持していることがわかったか、という推理が以下に続く。シャーロック・ホームズばりの観察力を元にした演繹的推理だ。優子はやむなくナイフで女を脅し付け、目的地まで邪魔をしないように、と命じる。女の名前は瑠璃ということがわかる。
ここまで開巻からまだ6ページしか経っていない。凡百の書き手ならこのナイフの推理だけで1篇を組み上げてしまうかもしれないが、荒木はそんな貧弱なアイデア量で作品を書くことを潔しとしないのである。そもそも冒頭に、優子がこのあと窮地に陥ることが予告されている。車中である事件が起きるのである。これで主たるアイデアは2つ。だが、この作者はそれだけでも満足しない。さらにもう1つの趣向が重ねられる。その趣向を使って最後にもうひとひねり。最後まで読んでみれば、終始作者にペースを握られっぱなしで、先読みをすることもできなかった。作者と読者の推理比べとしては完敗だ。
そもそも題名がいい。「同好のSHE」のSHEは優子と瑠璃が同じ性別だから、なんとなく見当がつく。でもなぜ「同行」ではなく「同好」なのか、というところで小さな疑問符が読者の頭の上には浮かぶはずである。大丈夫、それも最後まで読めばわかる。
本書には計5篇が収められている。ふたつとして同じ趣向の作品がなく、すべてばらばらなのが短篇集としては素晴らしい。それでいて、どこかに共通項があるような感じがする。その感覚の正体についてはここでは触れないでおこう。読者それぞれが発見したほうがより興が増すはずである。
2番目の「震える箱」は警察小説の形式をとっている。さいたま市内にあるショッピングモール内のシネコンで事件が起きた。女性が突き飛ばされて頭を打ち、意識不明の重体に陥ったのである。逮捕された谷口紗良は、隣席に座ったその女性が上映中ずっと貧乏揺すりをしていたのがウザかったから、注意をしようとして喧嘩になったのだという。ベテラン刑事の住田久志は、谷口の取り調べにあたる後輩の中平浩太郎を頼りなく思う。彼から見れば関係ない無駄なことばかりを聞いているように感じるからだ。住田が先輩から教わったのは、取り調べとは答え合わせだ、ということだった。答えはあらかじめわかっており、そこに合わせていくのが取り調べに当たる者の務めだというのだ。しかし中平は真逆を行く。
真ん中の「置き去りイヤリング」を折り返し点として、2話目の「震える箱」と対称の位置に来る作品の題名が「答え合わせ」なのは偶然なのだろうか。これはがらりと変わって20代の中学教師である冬馬という男性が視点人物になる。彼には血のつながらない父親がいた。上越市にある実家の庭で、冬馬はその赤羽順平が頭部を刺されて瀕死の状態で倒れているのを発見した。意識を失う前、順平はとぎれとぎれにある言葉を遺したのである。その意味を問うという話で、いわゆるダイイングメッセージものということになる。
冬馬がそのメッセージを解読するためには、自分が義父に対して抱いていた先入観を疑ってかからなければならない。実母を奪われたという気持ちから、彼は順平に対して公平とは言い難い態度を取っていた。そうした自分に向き直る機会が、この謎解きの中であるのだ。ここは収録作の全篇に共通した要素で、他人を本当に理解するというのはどういうことか、という問いが読者にも向けられる。それを考えると、さらに深いところにある主題が見えて来るようになるのだ。
3番目の「置き去りイヤリング」は、今はもう廃止された、新幹線普通車両内でのワゴン販売を行う、パーサーの女性が主人公に設定されている。時代設定も2022年10月と少し前だ。上司からもその有能さを買われている今井瞳子は、最近一緒に働くようになった依田花音という後輩を疎ましく思っている。万事において行動が遅く、今井から見れば不適格としか思えないからである。この2人が事件に巻き込まれるのだ。描かれるのはあまり類例を見ない形の犯罪で、わずかな手がかりからその全貌が組み立てられていく過程では知的興奮が味わえる。しかもその推理が、人間関係に新たな光を照射するのである。
表題作は、今から結婚しようとする相手がもしかすると連続殺人鬼なのかもしれないと考えた麦野加奈の物語である。いわゆる「青ひげ」伝説のプロットか、と思わせておいてまったく違った方向に話しを落とすのが上手い。この作品に関しては前の作品を順番に呼んで行って、最後に手をつけるのがいいのではないかと思う。その方が、最後の1行に託された意味がより深く胸に染み入るはずである。荒木は現代の社会に暮らす人、特に女性が直面していることを作品に織り込むのを忘れない作家だが、それが前面に出てきて読書の興をさまたげるような無粋な真似は決してしない。5篇を順番に読んでいくことで、その技巧の冴えが理解されるはずである。新人とは思えない腕前だ。
ひとつだけ注文をつけるとすれば、デビュー版元の講談社に続いて文藝春秋も採用した〈Z世代のアガサ・クリスティ〉という肩書きである。女性作家だからクリスティというのは短絡的ではないだろうか。乱歩賞作家だから別に令和の江戸川乱歩と呼んだっていいわけなのだが、そうしないのはなぜかをちょっと聞いてみたい。今のところ荒木の作風にクリスティと特定しなければならないところはないように思う。私がつけるなら〈令和のヘレン・マクロイ〉だが、ミステリー・マニア向けすぎるか。なんなら〈令和のサラ・パレツキー〉でもいい。パレツキーはまだご存命でばりばりの現役なのだけど。
出版社がつけるキャッチフレーズは、その作家の未来を縛ることもありうる。各社、ご一考願いたい。女性だから女性の冠、というのはもう止めにしませんか。