夢枕獏さんが語る職業としての小説家 頭の中の妄想を文字に 至福の時
――来年はデビュー50周年ですね。
同人誌での発表は10代からですが、商業誌デビューした1977年を起点にしています。この年はSF同人誌「ネオ・ヌル」に筒井康隆さんに選んでもらって掲載された「カエルの死」が、一般に発売されるSF専門誌「奇想天外」に転載され、続いてSF同人誌「宇宙塵」の編集長だった柴野拓美さんの推薦で中編の「巨人伝」も「奇想天外」に掲載されました。
このとき柴野さんに「あなたはもう普通の生活は諦めてください。作家になることで幸せになるしかありません」と言われたことを覚えています。
――26歳までの生活は?
大学卒業後も就職はせず、山小屋などでアルバイトをしながら、SFだけでなく大学や地元の同人誌を掛け持ちし、小説を書き続けていました。23歳の時にアルバイトでためたお金でヒマラヤに行く予定だったのですが、父が交通事故で頭蓋骨陥没の重傷を負いました。弟もまだ学生だったので父に「ヒマラヤに行くのはやめて、就職して働く」と言ったら、虫の息で「俺のためにそんなことをする必要はない。行きたきゃ行った方がいいぞ」と。
――寛大なご両親だったと同時に、自分の才能を信じていたのですね。
信じていたのは自分がどこかおかしいってことですね。一生、書き続けるだろうというのはわかっていました。同人誌の活動をしていて、才能がある人を何人も見てきました。でも、みんな書かなくなっちゃう。書いた、書き続けた人間だけが作家なんだとぼくは20代前半で覚悟しました。
――不安はありませんでしたか?
長くアルバイト生活をしていたので、どうやればいくら稼げるかは理解していました。食べていく不安はなかったのですが、売れるかどうかはわからなかった。ただ、書き続けないとその可能性さえ消滅すると思っていました。
――30歳を過ぎ「魔獣狩り」シリーズなどのベストセラーで「エロスとバイオレンスの作家」とも呼ばれました。
そのころから作家としての引き出しを増やそうと「上弦の月を喰べる獅子」「陰陽師」「餓狼伝」の三つを書き出しました。役者でも一つの役を続けていたら、それしかできない役者って思われちゃいますから。
今、最も読まれているのは「陰陽師」シリーズです。ほかの人の陰陽師作品と違うのは、宇宙とは何か、神とは何か、呪とは何かといった問いや哲学のようなものを物語の中で語っているところでしょうか。
――格闘技、釣り、登山、陶芸……。遊びながら書き、書きながら遊ぶような半世紀でした。
いまも書くことが一番好きですよ。夜中にひとりで頭の中に浮かんだ妄想を文字にしているのが至福の時です。ただ、若いころと違ってちょっと腰が痛いなと思ってソファで寝るとそのまま寝ちゃったりとかね。前は10分で目が覚めてまた書けたんですけど。
小説のアイデアを思いつくとまずカードに書くといったことからキャラクター作りまで、ぼくがどうやって小説を書いているかを具体的に紹介しています。
これを読んだからといって作家になれるわけではありませんが、書くことを志している人があるところまで行くのに1年かかるところを半年に縮めることはできるかなと思います。
4世紀の中国(東晋)で語られていた不思議な出来事をまとめたものです。500編弱あって、オチも教訓もない変な話がいっぱいある。そしてそういう話が面白いということがわかる。折々読んでは刺激を受け、「闇狩り師」や「陰陽師」に使ったこともあります。ぼくらがやろうとしていることはみんなすでにこの本の中にあると言っても過言ではないくらいです。