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野宮有さんの読んできた本たち(前編) 高3ではまった東山彰良さんのクライムノベル

「作家の読書道」のバックナンバーは「WEB本の雑誌」で

シビアな内容に衝撃

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

野宮:たぶんこれだと思うんですけれど、ポケモンの漫画版の『ポケットモンスタースペシャル』という本があって。「ポケモンだから」という理由で買ってもらったんですが、ポケモンが相手プレイヤーをめっちゃ攻撃するし、主人公が何回も死にかけたりするし、すごくシビアな内容でした。モンスターボールの真ん中についている開閉スイッチみたいなボタンを攻撃すればポケモンが出てこられないので、相手がそこを狙ってくるといった頭脳戦もやっていて。ぜんぜん子供向けの話ではなくてびっくりした記憶があります。でも面白かったんです。ちょっと前に読み返したんですけれど、今読んでも面白かったです。たぶん小学校低学年の頃で、それが最初に読んだ漫画だったと思います。

――ポケモンはゲームやアニメで親しんでいたわけですか。

野宮:そうですね。ただ、そんなにゲームをすぐ買ってもらえる家ではなかったんです。最初は年の離れた親戚が初期のカラーではないゲームボーイでポケモンをやっていて、それを貸してもらっていました。その後、カラー版を買ってもらったんだと思います。

なかなかゲームを買ってもらえないので、戦術を考えたんです。トイザらスとかにゲームやおもちゃのカタログみたいな冊子がありますよね。クリスマス前の時期に、その冊子のほしいゲームのところを指さして炬燵で寝て、親に「そんなに欲しいのか」と思わせる戦法をとりました(笑)。それでポケモンの「ルビー・サファイア」を買ってもらいました。

――その後の読書はいかがでしたか。

野宮:いろんなインタビューで話しているんですけれど、自分が住んでいたところは田舎で、小学生や中学生が自力で行ける範囲に書店がなかったんです。なので学校の授業で図書室の本を読むくらいでした。『デルトラ・クエスト』とか。すごく好きだったのは香月日輪さんの『地獄堂霊界通信』という児童文学のシリーズ。ワルガキ三人組がいろんな怪異と闘う話で、最初のうちはサブタイトルも『ワルガキ、幽霊にびびる!』みたいな児童書らしいものなんですけれど、だんだん『魔弾の射手』とか『幸福という名の怪物』みたいな、格好いいサブタイトルになっていくんですよ。学校の本当に小さな図書室なんですけれど、これだけは新刊が入ってくるので読み続けていたら高学年になるにつれどんどん少年漫画みたいな雰囲気になっていって、自分の成長とともにはまっていきました

――放課後はどんな遊びをしていたのですか。

野宮:本当に田舎なので...。まあ友達の家で野球をやったり...。

――友達の家で野球...?どんだけ広い庭なんですか。

野宮:本当に田舎なので、庭が広いんです。もちろん結構飛ばすと隣の家にボールが入っちゃって、それを拾いに行ったりもしていました。あとは、遊戯王カードとか「スマブラ」とか、もう本当に同世代の人が辿るような遊びをやっていました。

読書でいうと、実家に本棚はなかったんですが、祖母の家に行くと昔の漫画が置いてあるんですよ。たぶん、おじさんが読んでいた漫画だと思うんですけれど、『北斗の拳』とか『ドカベン』とか『ゴルゴ13』とか。普段はまわりに本がないから、宝探しみたいな感じで、見つけると読んでいました。

実家も押し入れを探していくと、父親が昔読んでいたらしい『日本沈没』とか司馬遼太郎とかはありました。さすがに小学生では難しくて読めなかったです。

――ご出身は九州の福岡ですよね。

野宮:福岡県の豊前市というところです。でも、「本当にあったんだ」と言われるような中学校の出身です。

――どういう意味ですか。

野宮:たとえば高校で同じクラスになった豊前市出身の人に「どこ中なん?」と訊かれて中学校名を言うと、「あ、本当にあったんだ」と言われる、みたいな。全校生徒35人で、一学年10人前後の中学校だったので。

――じゃあ年齢関係なく一緒に遊んだりされていたのですか。

野宮:そうですね。5個下くらいまでは顔と名前が分かりますし、敬語という概念もなかったですね。クラスに男子は6人しかいなかったし。

――人見知りになるような環境ではなかったのですね。

野宮:そうですね。知らない人がいない感じだったので。でも、剣道をやっていたんですが、たまに他の学校の人と合同練習があると人見知りになっていた記憶があります。

――学校の国語の授業は好きでしたか。

野宮:小学生の頃は特別得意とか苦手といった意識はなかったです。ひとつ憶えているのが小4くらいの時に授業で1枚の絵を渡されて、それの物語を書きましょうという課題があったんですね。王子様と御姫様が湖の前にいて、向こう岸に渡ろうとするシーンの絵だったと思います。それだけなんか、褒められた記憶がうっすらとあります。何を書いたのかはまったく憶えていないです。

――物語を空想するのは好きでしたか。

野宮:小学校の時はそういうことはなかったです。でもひとつ、自分ではまったく憶えていないんですけれど、親や親戚からめっちゃ言われることがあって。まだ保育園に通っていたくらいの頃、台風がきた時に自分が「風と雨がけんかしている」みたいな表現をしたらしいんですよね。それを、親戚の集まりがあるたびにみんなに言われてめちゃくちゃ恥ずかしかったです。

――その頃、将来なりたいものってありましたか。

野宮:なんにもなかったですね。将来の夢のところにみんなが「野球選手」と書くので、僕も剣道をやっているのに「野球選手」と書いていました。それくらい、みんなに合わせる子供でした。

同学年の自分以外の男子5人が、みんなスポーツマンだったんです。後に自分もそんなに運動神経悪くないぞと気づくんですけれど、まわりがみんな運動できすぎて、自分は運動音痴だと思っていました。

――剣道はどうしてはじめたのですか。

野宮:しがらみで。もともと親がやっていたのかな。で、道場に行くようになって、正直弱かったので、一度も楽しいと思いませんでした。だけど人数が少ないから、一人抜けると試合ができなくなっちゃうので、やめられなかったんです。やめるタイミングは何回かあったんです。小3の時にソフトボールのチームができると聞いて、そっちに入りたいと親に直談判して却下され、中学の時に友達みんな野球部だからそっちに入りたいと言っても、自分が抜けると試合に出られないからと言われてやめられなくて。しかも中学で新しく剣道部を作ることになって、緩くやるから一応所属するだけのレベルでいいと聞いたので剣道部に入ったら、2年に上がった時にバレー部を全国2位に導いたことがある、しかも剣道経験者の先生が来て、スパルタ指導が始まって。誰一人上手くなろうと思っていなかったので、どんなに練習が厳しくても全然強くなりませんでした。

結局、剣道は中3まで続けましたが、楽しいと思いませんでした。でもそれは弱いからなんですよ。剣道をやっていた人と話すと、「楽しかった」という人は、やっぱり強いんです。

中学生で携帯小説を書き始める

――部活も忙しかったと思いますが、中学時代、読書をしている時間はありましたか。

野宮:漫画はずっと読んでいたんです。自力で買いに行ける範囲にコンビニすらなかったんですが、親が仕事帰りに「少年ジャンプ」を買ってきてくれるようになって、それで『BLEACH』とか『D.Gray-man』とか『魔人探偵脳噛ネウロ』といったジャンプの漫画はたくさん読むようになっていました。

そんななか、誰でも携帯小説を投稿できる「モバゲー小説」が出てきていろいろ変わりました。クラスの男子6人全員で一斉に「携帯小説やろうぜ」となったんですよ。誰も小説を読んでいないのに(笑)。もちろんみんな速攻で飽きていったんですけれど、自分だけは楽しくてずっとやっていたんです。なので、小説を読み始める前に自分で書き始めたんです。

――どういう小説を書いていたのですか。

野宮:そもそも小説を読んだことがないので、擬音と台詞だけ、1ページ4行だけ、みたいな...。形式すら小説になっていないものを書いていました。『BLEACH』を真似して、黒い刀を持った灰崎という主人公が化け物と闘う、みたいな。本当に恥ずかしいですけれど、それはもう中学生のうちに消していると思うので大丈夫です(笑)。

書店には自力でいけないし、昼休みもサッカーやバスケをして学校の図書室にもなかなかいかなかったんで、携帯小説を読んで小説の勉強をしていたんですよね。でも、今でこそネット発で書籍化されるレベルの高い作品はありますけれど、当時は自分みたいな人ばっかりで、小説になっている人はほぼいない状態でした。でも、一部、明らかにレベルが高いなと分かる人がいて。今でもプロとして活躍されている方もいますね。二宮敦人さんとか。二宮さんの『!』というタイトルの作品がめちゃくちゃ面白くて、「あ、この人だけレベルが違う」と思っていました。

それで、レベルが違う人を発掘していくようになるんです。意外とそういう人ってあまりランキングにいなくて、ランクインするのはもっと中高生が書いた感じのデスゲームとかが多かったんです。でも、探していくとたまに本当にすごい人がいて、そういう人の作品だけでなく日記とかも見ると、どうやらプロの本を読んでいるらしいぞ、という。小説がうまくなるためには、プロの本を読まなきゃいけないんだと気づいて、ちょっとずつ、ちゃんと書店で本を買いたいな、ということを思うようになりました。

それと、意外とまわりの同世代でも影響を受けている人が多いんですけれど、小学生から中学生にかけて、「パワプロ」という野球ゲームをやっていて。それのゲームボーイアドバンス版の「パワプロクンポケット」シリーズのシナリオがめちゃくちゃ凝っていたんです。野球はあんまりしないで、悪の組織と戦ったりして。特に「パワポケ7」が「正義とは?」「悪とは?」みたいな深いテーマになっていて、影響を受けていますね。実際に携帯小説を書き始めた時に、「あ、パワポケのストーリーってすごかったんだ」と気づいて、もう一回やった記憶があります。野球ゲームというよりはノベルゲームのはしりみたいな感じでした。

――その頃にはもう、これからも小説を書いていこう、という気持ちになっていたということですよね。

野宮:そうですね。それで、小説を書くためのインプットとして、どうにか小説を読む手段はないか探っていたイメージです。

モバゲーでも、小説を指南する人がいましたね。そういうのを見て技法だけ勉強していました。いやもう本当に基本です。「...(三点リーダー)」はふたつ書くとか、台詞の前にキャラの名前を書いては駄目だ、とか。普通の指南書には絶対書かれていないレベルの初歩的な内容です。でも、当時は本当にそんなことすら知らなかったんです。

――設定やキャラクターをいろいろ想像するのは好きだったのですか。

野宮:はい。当時は全然実力がなかったので、一話だけ大量に作っていました。頭の中にはいろいろあるけれど、それをどうやって物語として展開していけばいいのか全然分かりませんでした。だから設定とかキャラクターとかを作って冒頭だけをずっと書き続けていましたね。序盤だけ大量に作って、更新できずに放置していたんです。教材が「ジャンプ」だけだったので、最初は『BLEACH』を真似して、その次に『D.Gray-man』を真似して(笑)。

でも普段本を読んでいそうな人が書いている携帯小説に影響を受けて、小説っぽいものを書いたりもしました。当時、モバゲーでサークルみたいな機能があって、そこに集まった人たちとテーマを一個決めてみんなで短篇を作ろう、ということになって。アパートに女刑事が何かの聞き込みにやってくるという設定で、そのアパートの住人たちが主人公で、おのおのに人生があって...みたいな群像劇をみんなで書いた記憶があります。内容は憶えていませんが、漫画のパクリではないものを書いたのはそれがはじめてだったかもしれません。

自分の作風を決めたあの作品

――高校に進学して、書店のある町に通うようになったのですか。

野宮:ようやく生活圏内に書店が現れたんですよね。剣道部から逃げるためにバドミントン部に入ったんですけれど、そこに同級生で小説を読む人がいて。今はアニメのプロデューサーをやっている友達なんですけれど、西尾維新さんの「戯言シリーズ」とかを貸してくれたんですよ。で、どうやらライトノベルというものがあるらしいと知って。成田良悟さんの『バッカーノ!』や、桜庭一樹さんの『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』を読んで、「うわー面白い!」となりました。

漫画も、それまでは「ジャンプ」しか読んでいなかったんですけれど、部活終わりにみんなで行くラーメン屋に漫画がいっぱいあったんです。一人ずつ替え玉をして時間を稼ぎながら漫画を読んで、そこで『GANTZ』、『エア・ギア』、『寄生獣』、『ピンポン』、『蟲師』、『おおきく振りかぶって』とか、もういっぱい読みました。青年漫画というものがあるんだ、というのもそこで知りました。『GANTZ』とか『ピンポン』なんかは、ものすごくはまった記憶があります。

田舎って、ホームセンターとかスーパーとかスポーツ店が集まった、駐車場が広い複合施設があるじゃないですか。そこにゲーセンもあったんです。放課後のルーティンはラーメン屋で限界まで時間を稼いで漫画を読んで、ゲーセンに行って、ゲーセンの下の書店に寄って、乙一さんや伊坂幸太郎さんの本を買って帰りながら読むことでした。電車通学も片道1時間くらいかかったんです。たぶん一般小説ではじめて読んだのが乙一さんです。短篇集だから読みやすかったんだと思うんですけれど。

――なにを読まれたのですか。

野宮:『失はれる物語』とか、『ZOO』とか...。たぶんいちばん影響を受けたのは『GOTH』なんですよね。ミステリ部分ももちろんすごいんですけれど、ラストの、ヒロインが人にぶつかりながら改札まで走っていくシーンが、描写も含めて「あ、美しすぎるわ」みたいな。「こういうのをやりたいな」と思い、自分の携帯小説に活かそうとしました。

伊坂さんもだいぶ読みました。『オーデュボンの祈り』とか『ラッシュライフ』とか『陽気なギャングが地球を回す』とか、挙げるときりがないんですけれど、当時いちばん好きだったのは『重力ピエロ』。そのなかの一文の、「本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだよ」という台詞が印象に残りました。今でも怒られそうになると笑って乗り切れないかなって思ってしまうので、実生活に影響がありました(笑)。

そうやって実際のプロの本をちゃんと読み始めると、自分の携帯小説も上手くなっていくんですよね。そのあたりから、自分もプロになれるかもと思い始めました。

――バドミントン部を続けながら、携帯小説も書いていたんですね。

野宮:朝5時半に起きないと間に合わないくらい学校から遠いところに住んでいたので、通学の時間がとにかく長かったんです。だから携帯小説を書く時間はたくさんありました。

社会人になってから電撃文庫からデビューするんですけれど、その応募作も高3の時に書き始めたんですよ。第1章を高校3年生の時に書き終えていて、このペースだと19歳でデビューできるな、と思っていました。それが、なぜかそこから6年かかってしまうという。

――推薦で大学が決まったから、高校3年生の時に時間があったそうですね。

野宮:そうです。3年生の時はみんな受験勉強しているので、推薦が決まった自分だけ暇で、学校の図書室に行って本を5冊くらい借りて家に帰るという生活を送っていました。そこで東山彰良さんの『逃亡作法』に出合ったんです。クライムノベルというジャンルを初めて読んで、なんかもう文章とか台詞が格好よすぎる、と思って。アメリカンジョークがいっぱい入っている作品なんです。刑務所から大量に囚人が脱走するけれど、脱獄すれば眼球が飛び出るチップが埋め込まれたままなんですよね。もう刺激的すぎて、「これだ!」と思いました。それこそ自分のデビュー作もクライムノベルなんですけれど、『逃亡作法』の衝撃をもとに、「自分もこっちでやろう」と決めて、デビュー作となるものを書き始めました。

――電撃小説大賞で選考委員奨励賞を受賞したデビュー作『マッド・バレット・アンダーグラウンド』は犯罪街イレッダが舞台。悪魔の異能力者「銀使い」であり、金額次第で警察からも犯罪組織からも仕事を請け負うラルフと相棒のリザが、犯罪組織から一人の少女をとらえろとの依頼を受ける。最初は簡単な仕事に思えたが...という話です。高校生の時に考えた設定や展開は6年間で変わらなかったのですか。

野宮:もちろん微調整はしましたが、大筋のプロットは高校3年生の時に決めたもののままです。だから、本当にその時に書き上げていたら19歳でデビューできた可能性はあるんですよね。

――東山さんの文体に惹かれたとのことですが、すんなり書けたのでしょうか。

野宮:東山さんに影響を受けて一回ハードボイルド調の文体で書いてみたら、なんかうまくいったんですよ。それで、向いているなと思って。

それまで、書いている時、地の文がだるいなってずっと思っていたんですよ。プロが書く地の文章はこんなに面白いのに、自分が書く時はなんで面白くないんだろうって。そういう時にクライムノベルを読んでみたら、とにかく地の文が格好いいし、色気がある。それを真似てみたら、地の文を書くのが楽しいと思えるようになりました。やっぱり地の文をいかにおしゃれに書くかみたいなところは、結構クライムノベルの美学としてあるのかなと思うんですけれど、それが自分にとっては面白かったんです。

――大学は推薦で長崎大学に行かれたそうですね。学部はどこだったのですか。

野宮:経済学部です。当時は情報もなかったし、世界や人生に対する解像度が低かったんですよ。友達や親戚でも大学に行っている人が少なくて、なにも分からなくて、学部も大きな理由があって選んだわけではないです。

小中まではなまじ勉強せずに学年1位だったんです。でも10人くらいの中の1位です。それが高校でひとクラス40人とかになると、普通に落ちこぼれるんです。勉強する習慣もなく、部活して、部室でモンハンして、ラーメン屋に行ってゲーセン行って、本を読んで...。成績はあっという間に落ちて、高2で成績順にクラスが分かれた時、めっちゃ下のクラスに入って。なんかもう受験勉強してもいい大学に行ける気がしなくて、推薦で行きたいと思いました。人生で影響を受けた本でいうとトップクラスになるんですけれど、高3で部活を引退してから『ドラゴン桜』を読んだおかげで、めちゃくちゃ成績が上がったんです。塾には行っていなかったんですけれど、もう、とんでもなく上がりました。

――へえー。勉強方法を真似したということですか。

野宮:真似しました。コツがいっぱい書いてあるんですよね。今の受験に適用できるか分からないんですけれど、たとえば国語や英語の四択問題で選択肢に「絶対」といった断定調のものがあったら、それは外していい、とか。もちろんちゃんとした理解の仕方も書いてあって、それを読んで成績が上がって、国立大の推薦を取ることができました。

大学生時代に触れた小説や映画

――そして長崎で一人暮らしが始まったわけですね。デビュー作を仕上げるのに6年かかったということは、大学生時代、小説は書いていなかったのですか。

野宮:長篇は書いていないけれど、掌編はたくさん書いていました。モバゲーがエブリスタというサイトに代わって、そこでテーマに沿った掌編を応募すると大賞で賞金3万円がもらえるコンテストが始まったんです。とにかくお金がなかったので、そのために掌編を書いていました。今、自分は作品ごとに文体を変えたりしていろんなジャンルが書けるんですけれど、たぶんそれは、そのコンテストで培われたんだと思います。

当時は叙述トリックにはまっていて、毎回なにかしら叙述トリックを入れていました。コンテストでは大賞ではなかったけれど、1万円もらった記憶があります。

その間、長篇も先に進めればいいものを、ずっと高校生の時に書いた第一章の手直しをやっていたんですよ。これは長篇が書けない人の「あるある」ですね。今はもう、とにかく先に進めていったん最後まで書くということを憶えました。

――なにかサークルは入ったのですか。

野宮:まず軽音部に入って、それからバドミントン部にも入りました。軽音部は半年間でやめてしまいました。

軽音の部室に8年くらい住んでいる先輩がいたんですよ。最初、ゼミの友達と一緒に軽音サークルが集まる部室みたいなところに行ったら、明らかに大学生の見た目ではない人が麻雀をやっていて、「あ、怖い」となって。違うサークルに行ったら雰囲気がよくて歓迎ムードだったので入ったら、実は「怖い」と思った人がそのサークルの人だったんです。まあ、それはともかく、結構厳しいというか練習がたくさんあるサークルで、バドミントン部と重なるので参加できなかったりするうちに、初心者だったこともあって全然ついていけなくなって、半年でやめました。

バドミントンは、運動はしたいけれど体育会ではないところがいいなと思って、緩いところに入りました。でも、緩く練習しているのにそこそこ上手くなっていくんですよ。好きこそものの上手なれって本当だなと思いました。絶対、剣道のほうが練習はちゃんとやっていたのに。

――読書のほうはいかがでしたか。

野宮:恥ずかしながらあんまり読んではいなくて。とはいえ、名作みたいなものは読んでいました。村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』とか。高校時代に影響を受けた東山彰良さんの本もちょっと掘ってみようかなと思い、『ワイルド・サイドを歩け』とかいろいろ読みました。そのなかで、『ブラックライダー』の最初の一文に衝撃を受けました。〈フィッシュ葬儀社の三男坊が人を殺してその肉を食べたこと自体は、まあ、目くじらを立てるほどのことでもない〉。たった一文でこの小説の退廃的な世界観を説明していて、先が読みたくなりました。今でも、小説は最初の一文が大事だなと思っています。読んだのは卒業した後かもしれないですけれど、『ブラックライダー』の前日譚の『罪の終わり』という本が、東山さん作品のなかでいちばん好きですね。エンタメとして面白すぎます。

東山さんのエッセイも読みましたが、海外文学もたくさん読まれているんですよね。それで東山さんが薦めているものを読もうと思い、ブコウスキーの『ありきたりの狂気の物語』、チャンドラーの『ロング・グッドバイ』、エルロイの『ホワイト・ジャズ』なんかを読みました。その頃にはもう自分はハードボイルドで行くんだと思っていたので、ハードボイルド系のミステリをいろいろ読んでいた気がします。

「これは読んでおかなきゃな」という作品も読んでいました。冲方丁さんの『マルドゥック・スクランブル』、伊藤計劃さんの『虐殺器官』や『ハーモニー』、平山夢明さんの『独白するユニバーサル横メルカトル』、高野和明さんの『ジェノサイド』や『13階段』...。

それと、中村文則さんの『掏摸〈スリ〉』がめちゃくちゃ面白かったんですよ。中村さんの『掏摸』とか『王国』とかに出てくる木崎というキャラクターは、すべてを取り仕切っているフィクサーみたいな存在で、いろんな小説のなかでいちばん好きなキャラクターかもしれません。すべてがこいつの手のひらの上じゃん、みたいな人です。それと、中村さんの『カード師』という小説のポーカーのシーンは、全小説のギャンブルシーンでいちばん好きだと言えますね。

――どうしてでしょう。

野宮:ギャンブルの本質が描かれているというか。負けたらすべてを失うっていう、漫画の『カイジ』だったらぐにゃっとなるシーンがあるじゃないですか。あの感じの描き方が本当にもう、これ以上読みたくないくらい容赦なさすぎるというか。別に直接的にグロい描写があるわけじゃないんですよ。ただ別室に連れていかれるだけなんですけれど、緊迫感がえげつない。あのシーンは本当にすごいと思います。今後もし自分にギャンブルものを書く機会があるとしたら、あれはベンチマークになりそうです。そういった純文学を読み始めたのもたぶん大学生の時からで、いろいろ読みました。これは卒業してからだったかもしれませんが、村田沙耶香さんの『コンビニ人間』とか。

朝井リョウさんの『何者』も大学生の時に読みました。就職活動が終わってから読んだんですよ。就活の前でなくて本当によかったです(笑)。

――野宮さんは映画もたくさんご覧になっていますよね。

野宮:大学に入ってからTSUTAYAでバイトを始めたんです。TSUTAYAには「マスターバック」という、店員しか知らない用語があるんです。DVDを棚に戻す作業のことで、TSUTAYAの店員さんに「自分はマスターバックをやってました」と言うと喜ばれるんですけれど。大量のDVDを抱えて棚に戻していると、「こんな映画もあるんだ」と、いろいろ知ることができるんです。で、気になった映画を観ていました。最初はクライム映画をよく観ていました。タランティーノは「レザボア・ドッグス」や「パルプ・フィクション」に始まり、「デス・プルーフinグラインドハウス」とか...。脚本だけ担当した「フロム・ダスク・ティル・ドーン」や「トゥルー・ロマンス」、ゲスト監督だった「シン・シティ」なども掘っていきました。マーティン・スコセッシの「ウルフ・オブ・ウォールストリート」を観て面白いと思ったら、スコセッシ作品を掘って「グッド・フェローズ」や「シャッターアイランド」とかも観て、「ファイト・クラブ」が面白いとなったらデヴィッド・フィンチャーを掘っていって、「ゴーン・ガール」とかを観て、こういう描き方もあるのかと思ったりして。クリストファー・ノーランも観ましたね。

だんだん犯罪映画以外も観るようになりました。マーク・ウェブの「(500)日のサマー」なんかはめちゃくちゃ好きでした。あれはもう脳を焼かれている感じでした。

野宮:あれは、おしゃれ映画なんですけれど、完全に男性向けだと思います。うだつの上がらない感じの大学生くらいの男が観ると、めちゃくちゃ響きます。カップルで観に行ったら評価が分かれるだろうなと思います。

当時「きのこ帝国」とかにはまって、ちょっとサブカルな方向にいっていたんですよ。それで映画も「(500)日のサマー」とか「ブルー・バレンタイン」とかを観て。

邦画も掘ろうとなって、「ジョゼと虎と魚たち」とか。「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」や「桐島、部活やめるってよ」を観て、吉田大八監督ってすごい人だなと思いました。原作小説から結構変えるんですけれど、原作も映画もどちらも面白い、となる。他には白石和彌さんとか、吉田恵輔さんとか、監督や脚本家で追うようになっていきました。

ラジオにはまりだしのもこの頃で、ラジオを題材にした佐藤多佳子さんの『明るい夜に出かけて』がすごく響いた記憶があります。

学生時代は無限に時間があったから、ずっと小説を読んだり、ラジオを聴いたり、「FIFA」というサッカーのゲームをやったりして、時間が来たらバイトに行く、みたいな生活をしていました。長篇の続きを書けばいいのに(苦笑)。

――ラジオはどんな番組が好きだったのですか。

野宮:お笑い芸人さんのラジオをよく聞いていました。アルコ&ピースさんの「オールナイトニッポン」を聞いたのが最初です。あの番組ってお二人のトークも面白いんですけれど、リスナーと一緒にカオスを作っていくところがすごくて。テーマを設定して、それに沿って物語を無理やり成立させるために、リスナーさんがどんどんネタを投稿するんです。たとえば、ミュージシャン同士が対決するという架空の設定を作って、このアーティストが強いとか、途中でこのアーティストが乱入してきたとかいうことをリスナーさんが送ってきて、物語がどんどん展開して、どんどん収拾がつかなくなって、「どうするこれ?」みたいになった時に、リスナーさんがぱっと美しいオチを送ってくる。そのライブ感がすごかった。もう伝説の番組みたいになっていますが、本当にものすごく面白くて、そこからいろんな芸人さんのラジオを聞くようになりました。

――ご自身は投稿されなかったのですか。

野宮:やってないです。いやもう本当に、その時投稿していた人って、今放送作家をやっている方がたくさんいるんです。そういう人たちが面白すぎて、全然ついていける気がしませんでした。

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