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森バジルさんの読んできた本たち(前編) 「NARUTO」2巻が教えてくれたエンタメの原体験

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名作児童書や人気ファンタジーを読む

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

:絵本も読んでいたんですが、読書をしたなという記憶が残っているのは児童書で、読んだ順番は憶えていませんが『ルドルフとイッパイアッテナ』とか『エルマーとりゅう』とかです。それとドイツの話だったと思うんですけれど、『大どろぼうホッツェンプロッツ』がすごく好きでした。そのあたりの、いわゆる児童文学みたいなものが古い読書の記憶ですね。親に買ってもらって読んでいました。それが小学校に入ったくらいで、その前に読んだ絵本としては『からすのパンやさん』や『ぐりとぐら』とか、『はらぺこあおむし』なんかは記憶にあります。

――古典的名作が多いですね。

:親が書店で見つけて買ってくれていたんだと思います。絵本は古典が強いと言われていますよね。今、自分の子供に読んであげていても、「あ、これ読んだことがあるな」と記憶が甦ったりします。『ねないこだれだ』とか。

――本を読むのが好きな子供だったのでしょうか。

:そうですね。今挙げた本以外もたくさん買ってもらって読み聞かせてもらっていましたし、本を読むことに関しては抵抗のない子供だったと思います。絵本から児童文学にいって、児童文学の中でもだんだんヤングアダルト的なものにいって......。それと、祖母の家に分厚い名作シリーズがあったんです。それで『宇宙戦争』とか『海底二万海里』、『ロビンソン・クルーソー』、「シャーロック・ホームズ」、『にんじん』などを小学生の頃に読んでいた気がします。

――森さんは宮崎のご出身ですよね。どんな環境で育ったのでしょうか。

:一応、〝宮崎の中では〟いちばん都会的な場所で育ちました。実家はマンションで、ちょっと歩いたら繁華街があるような場所で。学校も歩いて10分くらいのところにありました。

――学校の図書室や、公共の図書館は利用していましたか。

:学校の図書室は、低学年の時はすごく利用していたと思います。でも高学年になるにつれて、本を読んでいると「真面目だね」と言われる雰囲気があって。自主的、能動的に図書館に行くというよりは、雨の日なんかの「みんなで図書室に行きましょう」という時に行っていました。そういう時は、『ブラック・ジャック』とか『火の鳥』などの漫画なんかを読んだりして。

――漫画も好きでしたか。

:好きでした。「ジャンプ」は本屋さんで立ち読みしたりしていたんですけど、祖父がなぜか、『NARUTO』と『金色のガッシュ!!』の1巻だけを買ってくれたんです。どちらを揃えていこうかなと考えた時、「ガッシュ」はアニメが放送されていたので、『NARUTO』を漫画で追いかけていくことにして。第1巻はそんなにはまらなくて、しばらく放置していたんですけれど、親がなにか買ってくれるとなった時に第2巻を買ってもらって読んだら、めちゃくちゃ面白くて。自分のエンタメの原体験は『NARUTO』の2巻だと思います。伏線回収じゃないですけれど、なんか、見開きでびっくりさせられるシーンがあって。そこで「うわあ」となり、そこからずっと『NARUTO』を集めていました。

――森さんの『探偵小石は恋しない』にはいろんな先行作品への言及がありますが、『マガーク探偵団』のシリーズも出てきますよね。それを読んだもこの頃ですか。

:そうですね。子供向けの探偵ものでいうと、はやみねかおるさんの「名探偵夢水清志郎事件ノート」シリーズも好きでした。最初に読んだのは小説ではなくて、えぬえけいさんが描いた漫画でした。というのも妹が漫画雑誌の「なかよし」を買っていて、その別冊的な雑誌に夢水清志郎シリーズの『そして五人がいなくなる』の漫画版とかが載っていたんです。はやみねかおるさんの作品は『都会のトム&ソーヤ』シリーズもすごく好きでした。
西尾維新さんも、最初に読んだのは『DEATH NOTE』のノベライズ作品だったんですけれど、さすが有名な作家だけあってすごく面白いと思い、そこから『クビキリサイクル』などの「戯言」シリーズを読んでいきました。

――小学生の頃からミステリー的なものに触れられていたんですね。

:数でいうとミステリーよりはファンタジーを読むことのほうが多かったと思います。『ハリー・ポッター』や『ダレン・シャン』や『バーティミアス』とか、あとは『サークル・オブ・マジック』という海外のファンタジーのシリーズを買ってもらっていました。あとは『デルトラ・クエスト』シリーズも図書室にありました。僕の世代の本好きの人はみんな『ハリー・ポッター』とか『デルトラ・クエスト』を通っているんじゃないかと思うんです。『ハリー・ポッター』は、親が自分が読むために買ってくるので、自分も読めたんです。『ダレン・シャン』は12巻くらいあったと思うんですけれど、結構本屋で立ち読みしました。親と買い物に出かけて、親が自分の用事をすませる間、自分は本屋で読みながら待つ、みたいな。
学校ではそんなに本を読んでいる子はいなかったんですが、「ハリー・ポッター」くらいになると映画を観たという子もいたので、ちょっと話したりはしました。

――当時の子供たちの娯楽って何だったのでしょう。以前、宮崎にいた子供の頃テレビはチャンネルがふたつしかなかった、と話されていましたよね。

:そうですね。宮崎では「Mステ」とか「ガキ使」とかが見られなかったので、都会との娯楽格差がありました。でも、本は平等だったんですよね。図書館や書店に行けばありましたから、本はよく読んでいました。それと、僕は地元のバレーボールのクラブに入っていました。
一応、ゲームも「スマブラ」と、「ポケモンスタジアム金銀」だけは買ってもらえて、それをやっていました。でも、そんなにゲームをしてきてはいないので、やっぱり自分にとっては小説が占める割合が大きかったかもしれません。

――自分で物語を空想したりはしませんでしたか。

:ちょっと恥ずかしいんですけれど、「デジモン」がすごく好きで、小3くらいの頃は妹と一緒に「デジモン」の架空の話を作りながら人形で遊んだりしていました。その延長で、小5、6年生の時に、こんな話を書いてみよう、みたいな感じでノートに書いたりしていました。でも、そういうのって絶対に家族には見られたくなくて。ちょっと後になると『DEATH NOTE』を真似して、出かける時はシャー芯をドアのところに挟んだり、紙を引き出しに挟んでおいて、シャー芯が折れたり紙が落ちたりしていたら、親に「部屋に入って見たでしょ」と言い、親は「何も見ていない」と言う......みたいなやりとりをしていました。何かを書いているということが、相当恥ずかしかったんです。

ブックガイドや創作指南書にはまる

――小説家を目指して書き始めたのも早かったそうですね。

:小6か中1から書いていましたね。中学生の時、マット運動をして足を骨折するというダサいことがありまして、学校には通っていたんですけれど土日は何もすることがないので、親が図書館に連れていってくれて、そこで1日過ごしていたんです。その頃は福岡にいた時期で、春日市の図書館でした。ちょうど小説を書きたいなと思っていた時期だったので、小説コーナーのほかに、小説の書き方コーナーや文芸評論が置いてあるコーナーに行ったりして。そこで大森望さんと豊崎由美さんの『文学賞メッタ斬り!』のシリーズを読みました。あの方々は毒舌でお話がめちゃくちゃ痛快なので、面白かったです。本にもいろいろ読み方があるんだとか、誤読というものもあるのかとか、などと鮮烈な驚きがありました。と同時に、そこでいろいろな作家や小説の名前を知って、読んでいないのに名前を知っている作家や作品が増えていきました。

――じゃあその頃にはもう、芥川賞や直木賞、三島由紀夫賞や山本周五郎賞といった賞のことや、純文学とエンタメといった分け方なども分かっていたわけですね。

:なんとなく把握しているという程度ですけれど。そこで舞城王太郎さんや堀江敏幸さんを知りました。堀江さんは、いちばん文章を勉強したいなと思う人です。お二人が『雪沼とその周辺』をすごく褒めていたから読んでみたら、一文がすごく長くて、こんなに詳細に五感を描写するのかと思いました。
舞城さんは、『煙か土か食い物』などの奈津川サーガとか、『好き好き大好き超愛してる。』とかを読んで。『阿修羅ガール』はあの一文目がすごく好きでした。

――〈減るもんじゃねーだろとか言われたのでとりあえずやってみたらちゃんと減った。私の自尊心〉......あの書き出し、いいですよね。

:いいですよね。あとは、金原ひとみさんの『アッシュベイビー』や清流院清水さんの『コズミック』も、「メッタ斬り!」で知って読んだ気がします。
その流れとは別に、綿矢りささんの『インストール』と『蹴りたい背中』、三並夏さんの『平成マシンガンズ』も読みました。15歳や17歳でデビューしたり、19歳で芥川賞をとったりできるなんて、めっちゃいいやんと思って。自分も中学生だけれども小説を出してます、みたいな顔をしてみたいなと思い(笑)、文藝賞に応募したんです。
その頃は文藝賞受賞作を結構読みましたね。羽田圭介さんの『黒冷水』とか、黒田晶さんの『メイド イン ジャパン』とか、山崎ナオコーラさんの『人のセックスを笑うな』とか。どれも面白かったですね。特に『黒冷水』は、兄と弟が出てくる家庭内ストーキングの話ですけれど、どうやってこんなことを思いつくんだろう、という描写があったりして。ものすごく面白かったです。

――ご自身では、どんな小説を書かれていたのですか。

:その時は、普通に書いても勝てない自覚があったので、いかに中学生のリアルを書けるかが自分の強みになると勝手に思いこんでいました。それで、学園生活みたいなものを書きつつ、中学生でもこんなえぐいことを書けるんだぞ、みたいな感じて屁理屈を言ったり、ちょっとエロい言葉を出してみたりして。もちろん一次で落ちました。

――その原稿、残っていますか。

:もう残っていないですね。まあ、見せられたものではないです。

――残念(笑)。図書館にあった小説の書き方の本はいろいろと読まれたのですか。

:はい。この本なんですけれど(と、伏線が貼られた本を取り出す)、冲方丁さんの『冲方式ストーリー創作塾』。図書館で見つけて読みこんで、そこからさらに自分でも買いました。これは読み込みました。いろんな小説の書き方系の本を読むなかでこれも手に取ったんですけれど、冲方さんは『マルドゥック・スクランブル』などの自作を例にして説明されていたので、そこから冲方さんの小説をいろいろ読み進めていきました。結構、ライトノベル系の『カオス レギオン』や『ストーム・ブリング・ワールド』、デビュー作の『黒い季節』なども読みました。

――冲方さんの作品や創作論のどういうところに刺激を受けたのでしょうか。

:文章が一文単位で軽妙で面白いところや、前のほうに出てきた台詞が最後に効いてくる回収の仕方とか。もちろん、単純にメインのアクション部分やカジノシーンの面白さもあるんです。なんか、レストランもしっかり美味しい遊園地みたいだなと思いました。アトラクション自体が楽しいのは大前提として、細部や本質ではない部分までも面白さを持っているのって、エンターテインメントとして理想だなと思いました。
ゲンロンのSF講座が書籍化されて『SFの書き方「ゲンロン 大森望SF創作講座」全記録』に冲方さんが話されていたことも収録されているんですけれど、冲方さんは、エンターテインメントって自分の世界に来てくれたお客さんをホストとしてもてなして、楽しんで帰ってもらうことだから、みたいなことを書かれていて。そのためにできることをすべてされているんだなというのが、本を読むと感じられて、本当に尊敬しているというか。目指したいなと思っています。

――そこから、ご自身が書くものも変わっていったのでしょうか。

:そうですね。中学生の時に一回文藝賞に応募して満足したというか、そこで終わってしまった感じだったんですけれど、その後も新人賞のことは調べていましたね。あの賞は賞金がいくらだとか、締切がいつだとか。その頃は純文学も読んでいたんですけれど、中学校の図書館に『キノの旅』があって、友達に薦められて読んだら、ものすごく面白くて。でも、書店に行っても、角川文庫などの棚の場所は知っているけれど、そこにはぜんぜん置いていなくて。本屋さんの人に聞いていくうちに、ライトノベルという別の棚があるということが分かり、そこからライトノベルを読むようになっていきました。『スレイヤーズ』とか、甲田学人さんの『Missing』とか、上遠野浩平さんの『ブギーポップは笑わない』とか、うえお久光さんの『悪魔のミカタ』とか。スニーカー文庫だと「涼宮ハルヒ」のシリーズとか、『トリニティ・ブラッド』という、途中で作者が亡くなられて未完の作品とか。そういう作品を読み進めていくなかで、自分もライトノベルの賞に応募しよう、みたいな気になって。そもそも冲方さんもスニーカー大賞出身ですし。それで賞の情報を集める時も、ライトノベル寄りになっていきました。でも応募はせず、こんな話を書きたいというメモをちょっとずつ溜めていく感じでした。それが中学生の頃です。

――宮崎から一度福岡に引っ越しして、また宮崎に戻られたんですよね。いつくらいの頃ですか。

:福岡には小5の夏から中1の終わりまでいて、中2から高校の終わりまで宮崎にいました。
福岡に行った時は、書店の大きさが全然違うなと思いました。当時4階建てのジュンク堂があって、本ってこんなにあるのかと衝撃を受けました。学校は、どちらかというと福岡のほうがやんちゃな雰囲気がありました。宿題をやってこない子がいたりして。で、やっぱり本を読むというのは真面目側のムーブという雰囲気があり、僕も「これ読んでいるんだぜ」というよりは、こっそり読んでいる感じでした。「まあ俺は真面目じゃないよ、漫画も読んでいますけれど」と擬態して、本を読んでいる感をそんなに出さないようにしていました。
中学生時代、宮崎で唯一カルチャーに触れられる場所がヴィレッジヴァンガードだったんです。行くと「こんなのがあるのか」というものが見つかるイメージでした。それで桜井亜美さんの『イノセント ワールド』を買ったんです。今回、この取材のために本棚を見返していてそれを見つけて、「こんなのがあった」と、ちょっと懐かしくなりました。知的障害を持つ兄とセックスするという話なんですけれど、1ページあたりの文字数が少ない独特な文字組なのが逆にねっとりした感じで、それが好きでした。

――国語の授業は好きでしたか。

:国語については、俺は小説を書いているからお前らとは違うぜ、みたいな気持ちがあったんですけれど、たとえば選択肢からひとつ選ぶ問題で、「あ、こういう読み方をしても面白いな」と思うものがあるのに正解はそれではなかったりして、あまりピンとこないなと思っていて。なので、得意ではなかったかもしれないです。
読書感想文はすごく嫌いでした。相手が知らない本をどう面白く説明したらいいんだ、というのがあって。あらすじもちゃんと伝わっていない状態で感想を聞かされても、って感じだなと思ってしまって、ちょっと苦手でした。

――振り返ってみて、どういう子供だったと思いますか。

:主張をあんまりしすぎないようにおとなしくしつつ、みたいな。やっぱり転校したりすると方言の違いとかもあるし、普通に喋っていても価値観の違いがあって、笑われることもあって。それで結構気を使いがちになっていったりはしていたなというのと、その一方で、もう絶対俺は小説家になるから、お前らの知らない一面ありますから、みたいな気持ちはちょっとあった気がします。

――部活や習い事はなにかされてしましたか。

:福岡の中学にはバレー部がなかったのでテニス部に入って、宮崎に引っ越してからバレー部に入ったんですが、小学校の時に一緒にバレーのチームに入っていた子たちは中学でもずっとバレー部だったので、みんな上手いんです。僕はブランクがあるので、下手で。部活は辛かったです。
高校に入ってからちょっとだけ吹奏楽部に入ったんですけれど、1年くらいでやめてしまって。テナーサックスをやっていたんですけれど、学校の楽器を借りていただけだし、今はまったくできないです。高校ではバンドでギターを弾いたりしていました。

――バンドではどんなジャンルをやっていたのですか。

:流行っていたのでRADWIMPSとか、KEN YOKOYAMAというHi-STANDARDの人とか、9mm Parabellum Bullet などをコピーしていました。後半はオリジナルも作っていました。

――森さんも作詞作曲をされていたのですか。どんな歌詞だったのでしょう。

:曲を作って、こうやってくれ、みたいなことをベースやボーカルに教えたりしていました。歌詞は、まあ、恥ずかしいんですけれど、卒業間近に作ったものだと、モラトリアムがもう終わって自由にやっていかないといけないぜ、みたいな歌詞でした。

本格的に創作をはじめるまで

――九州大学に進学されましたよね。学部などはどのように選んだのですか。

:小説家になりたいから文学部かなと思っていたんですけれど、一方で、そんな甘くないよというシニカルな気持ちがあって。手に職をつけられるように経済部に進みました。でも勉強熱心ではなくて、ゼミも卒論のないゼミを選んで、ざっとしたレポートを提出して卒業する、みたいな感じでした。

――では、どのように過ごされていたのでしょう。

:バンドサークルで活動して、あとはゲームをしたり、アニメを見たり......。「ドミニオン」というオンラインでできるボードゲームがあるんですけれど、ずっとそれをやってたりして、徐々にそういうゲームとかに時間が取られていったのが大学時代かなと思います。
本もちょくちょく読んではいたんですけれど、なんとなく距離をとっていました。本を読んでいると、だんだん小説家になれるなれない、みたいな時が近づいてくる感じがして......。今思えば、あの時代にめちゃくちゃ読んでおくべきでした。

――読むとしたらどんな本だったのでしょうか。

:中学・高校時代から伊坂幸太郎さんが好きで『アヒルと鴨のコインロッカー』や『死神の精度』、『チルドレン』とかを読んでいたんですけれど、まだ読んでいない伊坂さん作品もあったので、それを読んだりして。
読み返した本も多かったかもしれません。朝井リョウさんの『桐島、部活やめるってよ』は高校時代に読んでいたんですけれど、大学に入ってから改めて読み直すと、自分の高校時代が終わっているからこその「高校生ってこんな感じだったな」みたいな感覚があって、それを含めて面白くて。森見登美彦さんの『夜は短し歩けよ乙女』とか、森絵都さんの『カラフル』とか、そのあたりも読み返しました。
大学生時代はお金がそんなにないので、図書館に行って借りることが多かったですね。近所の図書館のヤングアダルト小説の棚になぜか新城カズマさんの『サマー/タイム/トラベラー』があって、タイトルがお洒落だなと思って借りて読んだらすごく面白かったです。他には、小野寺史宜さんの『ROCKER』を図書館で読んで、何も起こらない日常の話だけれど面白くて、すごく印象に残ったのを憶えています。
辻村深月さんの『本日は大安なり』を借りて読んだのもよく憶えています。辻村さんの小説をはじめて読んだのがそれだったんです。それが最初の辻村さん作品だって人はあまりいないと思うんですけれど、すごく面白く読みました。
松本清張賞の授賞式の時は憧れの方々が選考委員だったので、お会いできてすごく嬉しかったです。

――森見さんや森絵都さん、辻村さんは森さんが受賞した回の清張賞の選考委員ですよね。その頃、読む本の情報はどのように得ていたのですか。

:辻村さんは『文学賞メッタ斬り』に名前が出てきたので知ったんだと思います。あとは、小説の書き方の本で知ることが多かったですね。ダ・ヴィンチ編集部の『本気で小説を書きたい人のためのガイドブック』とか。この本の後半に、これからこの作家が来る、みたいなページあって、そこでいろんな方を把握しました。万城目学さんとか、森見登美彦さんとか、有川浩さんとか。有川さんもいろいろ読みました。『図書館戦争』とか『植物図鑑』とか。
小説の書き方の本は中学生の頃からずっと、相当読んでいました。頭でっかちになるところがありましたけれど、「小説家になれるんだ」って、ガワだけでも構えたかったのかもしれません。

――実際、いろいろ勉強になったのでは?

:なりましたね。だけど、どちらかというと抽象度の高い話が多いので、理解できていない部分もあったなと、今読み返しても思います。特に中学生の時の自分は、ちゃんと抽象を具体に落としていなかったな、と思います。

――いつか小説家になるんだと思いながら卒業の時が迫ってきて、どうしようと思われたのでしょうか。

:大学時代は新人賞への応募も全然していなくて、こんな話を書きたいというのをメモるくらいで。普通に就活をしました。でも就活みたいなものが得意なタイプの人間ではなかったです。いつから就活が解禁されるのかも分かっていなかったし、リクナビとマイナビに登録して、とりあえずそこで行きたい企業をポチポチしていくということも、OB訪問をするといったことも、全然分かっていなかったです。でもとりあえず福岡の会社に就職したいということと、クリエイティブに関わる領域がいいということで就活をして、福岡の広告会社に就職しました。そこにきて、これまでは無限の可能性が広がっていたけれど、ここで就職したってことは、もう自分から行動を起こさないと一生サラリーマンのままだと気づくんです。それで、ちょっと応募してみようということで、小説を書き始めました。

――広告会社だとお仕事も大変だと思うのですが、書く時間はありましたか。

:そうですね。まあ、毎日徹夜という感じでは全くなかったので。平日家に帰ってからとか、土日とかに書けました。この時期はライトノベルに応募しようと思い、ジャンプ小説新人賞とか、スニーカー大賞や電撃小説大賞に応募していました。

――ライトノベルにもいろんな流れがあると思うのですけれど、その頃はどういうものをお書きになっていたのでしょうか。

:自分の中でライトノベルは非日常を書くものという印象があったし、冲方さんに憧れていたので、SFやファンタジー寄りのものを書いていました。でも当時はライトノベルの潮流が変わって、日常もののラブコメがきていたんですよね。自分は時流を読むこともできていなかったんです。

ライトノベルからミステリーへ

――でもスニーカー大賞《秋》優秀賞を受賞されたわけですよね。作品は『1/2―デュアル―死にすら値しない紅』というタイトルで刊行されました。

:2018年に受賞して、2019年の1月1日に発売されたんですけれど、その1週間後くらいに「続刊を出すのは難しいです」という連絡をもらって、打ちひしがれました。

――近未来の日本で、殺された人がヒトとしての一部を失うと同時に特殊能力を得て生き返る現象が発生。偽生者(ワナビー)と呼ばれる彼らを殺し直す任務についた少年と、彼の相棒となった偽生者の少女の物語です。

:能力バトルがやりたかったんです。冲方さんへの憧れがあって書いたものという気もします。グロテスクな描写は冲方さんの影響があると思います。
当時、担当編集者から女性主人公は厳しいということと、SF的な設定は難しいということを言われていて、半ば最初から諦めながら発売した、みたいな感じがあって。僕は「いやいや頑張りましょうよ」という気持ちだったんですけれど、結果、ぜんぜん振るわずに終わってしまって。
新しいシリーズの企画を考えることになったんですけれど、その間に担当さんが二人くらい変わったんです。僕の企画も拙くて、なかなか企画が通らなくて。もう本を出せる未来が見えないなと思いました。当時は「小説家になろう」などのサイトでちゃんと認知されたうえで本を発売してやっと土俵に上がれるくらいで、新人賞から出ても基本は厳しいという感じだったんです。先輩と話していても、これはちょっと未来が見えないなと思いました。
それで違うところにいこうと思った時に、自分はライトノベルに絞って考えていたけれど、そういえばミステリーも好きやん、って気づいて。ミステリーは自分には書けないと思っていたからライトノベルに応募していたのかもしれないです。それで、ミステリーを書いてみることにして、『このミステリーがすごい!』大賞などに応募して。『このミス』さんは相性が悪くて、一次で落ちたりしていたんですけれど。

――ミステリーの賞の中でも、本格度が高いものよりエンタメ性が高いところに応募したわけですか。

:当時は本格ミステリーという言葉もよく分かっていなかったので。それに正直、次は絶対に売れたいと思っていたんです。前回のように、なんとなくデビューして、なんとなく駄目でした、となるのは嫌だったので、とりあえず賞金が高い賞に応募しようと思って。お金がほしいというよりも、賞金が高いということはそれだけインパクトがあるってことだと思ったんです。それで松本清張賞とか、江戸川乱歩賞とか、『このミステリーがすごい!』大賞に応募していました。その方針からはちょっと外れるんですけれど、一回、アガサ・クリスティー賞に応募して最終までいったんです。当時は早川書房の方が選考過程をよくツイートされていたんです。「今回はこういう作品がきた」とか「この作品はこの点がもうちょっと」とか。僕が応募した回の時は、「やばい作品がきた」「これはちょっととんでもないことになる」みたいなツイートをされていて。僕も最終には残ったので、「俺の可能性もあるな」と思っていたんですけれど、発表されたのは、「満場一致」という枕詞付きで、逢坂冬馬さんの『同志少女よ、敵を撃て』の受賞でした。みんなが大絶賛して、編集部も「これは売るんだ」みたいな気迫がすごく感じられて、初版部数もすごくて、書店員さんからのコメントもたくさん集まっていて、実際そのままどんどん売れていって、というのを目の当たりにしました。とんでもなく面白いものを書いたら売れるんだっていうのを痛感したのと、あと、とんでもなく面白い作品を書く人と一緒になったら、普通に受賞できないなって気づきました(苦笑)。

――森さんはどういう作品を応募されていたのですか。

:特殊能力のある探偵が主人公で、犯人が誰か分かる目を持っているんです。けれど、クローズドサークルで人が殺されたのになぜか誰も犯人じゃない、という話でした。

――面白そう。

:ちょっと粗くはありましたね。それと、冲方さんが『マルドゥック・ヴェロシティ』とか『シュピーゲル』シリーズで使われている、スラッシュなんかが多用されているクランチ文体で書いたんです。書いた本人の中では一応意味があったんですけれど、選考委員には伝わらなくて、「なぜこの文体なのか」みたいなことを言われたりして。まあ確かにそうですね、と自分でも思いました。

――乱歩賞や『このミス』に応募した作品も、特殊設定や、ちょっと変わった要素の入ったミステリーが多かったのですか。

:そうですね。正直いうと、クリスティー賞で最終に残った原稿は、時期は違うんですが乱歩賞と『このミス』にも送りました。使いまわしはよくないんですけれど、こっちで一次で落ちた応募作があっちでは最終までいった、ということがあったりするので。犯人が誘拐事件をYouTubeで実況して、スーパーチャットしてくれたら解放すると言っている、みたいな話も『このミス』に応募して駄目だった後に清張賞に応募して最終までいったりしました。その話には、『探偵小石は恋しない』にも出てくる設定を使っていました。

――いろいろ応募されていたようですが、執筆ペースは速いほうなのでは。

:年に2作くらい書いて応募していた気がします。まあ当時は結婚もしていないし、子供もいなかったんで。働きながらでもそれは全然できていました。
読書はもう完全に応募するための読書になっていました。誘拐の話を書くから誘拐の本を読もうといって、「誘拐ミステリー」で検索してばーっと出てくるものを読みました。歌野晶午さんの『さらわれたい女』とか、野沢尚さんの『リミット』とか、相場英雄さんの『血の雫』とか。
応募する賞の受賞作も読みました。『このミス』だったら歌田年さんの『紙鑑定士の事件ファイル』とか、新川帆立さんの『元彼の遺言状』とか。清張賞では、波木銅さんの『万事快調〈オール・グリーンズ〉』がすごく面白くて。スニーカー大賞に応募した時もそうだったんですけれど、やっぱり自分が読んで面白いと思う作品を出している賞に応募するのがいちばんいいなと思って。それで、『万事快調』が面白かったからここに応募しようということで、清張賞に応募しました。

――『万事快調』は、女子高校生たちがあまりに閉塞感がありすぎる人生を打開するために、園芸部で栽培してはいけないものを栽培する話です。軽快で、固有名詞がガンガン出てくる作品ですよね。

:こんなに固有名詞を出してもいいんだと思って、そこは影響を受けていますね。あと、清張賞って本当にノンジャンルなんだなとも思って。波木さんが受賞した前の年の受賞作は中国の歴史もので(千葉ともこ『震雷の人』)、その後でこれが受賞するということは、本当になんでもいいんだなと思いました。

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