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小説のどこを愛しているか 鈴木結生

<イラスト・齋藤菜穂>

 私が作家としてデビューしたのは、北九州市が主催し、朝日新聞出版が協力する林芙美子文学賞という新人賞を通してであった。今からもう2年前のことだ。贈呈式の会場は北九州芸術劇場のホール。初めて選考委員の小説家の方々と出会った私は全身が奮い立つように感じ、その後の春休みに『ゲーテはすべてを言った』という小説を書き上げ、芥川賞を受賞することになる。

 今年も、その出身賞の贈呈式に参加してきた。会場こそ別の施設になっていたが、受賞者の御二人と話しながら、その前途への期待に満ち溢れた眼差しに、初心に立ち返らされる気がした。式を終えた私はそのままの足で北九州芸術劇場へと向かった。といっても、これは初心に立ち返るためではなく、舞台『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を観るためである。

 村上春樹の(個人的)最高傑作の舞台化、ということで、実は贈呈式と日程が被っていることを知らずにチケットをとっていたのだ。ただでさえ村上作品の翻案(元の作品の趣旨を生かして作り変えること)は難しいとされている。最近では映画「ドライブ・マイ・カー」やTVドラマ「地震のあとで」といった成功例が出てきたが、いずれも短編を組み合わせた形であり、『ねじまき鳥クロニクル』や『1Q84』といった長編の翻案はほぼ不可能なのではないか、と思っていた。

 正直、この舞台もまた村上作品として違和感なく観劇することは私には難しかった。藤原竜也による、どうしたってカイジや夜神月を彷彿とさせる演技は、寡黙でニヒルな春樹の主人公像とはかけ離れているし、脚本は見事に長大な物語を3時間弱に落とし込んではいるのだけれど、私が原作で気に入っているポイントはすっかり全部削除されていた(例えば「百科事典棒」やボブ・ディランの挿話)、何よりラストに登場する楽曲を変更したことは流石に許し難い……と、こんなふうにポツポツ湧き出す不満の出処を探れば、自分が小説のどこを愛しているのか、ということに思い当たる。それは物語のテーマや世界観などではなく、むしろそれらを成立させる細部であり、もっとはっきり言えば、小説で引用される音楽やエピソードの数々なのである。それと、やっぱり主人公の性格。これを再現できるかどうかに、村上作品の翻案の成否はかかっている。

 とはいえ、もう一人の主人公が目にナイフを突き立てられるシーンで映画「アンダルシアの犬」の映像が喚起されたり、幕間で「ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」「マイ・スィート・ロード」「ライク・ア・ローリング・ストーン」といった楽曲群が流れたりするのは、限られた時間と空間にあの手この手で情報を圧縮しようとする気概も感じられたし、なるほど「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」という二つのパラレル・ワールドを行き来する作品の構造を、1人2役(ダブル・ロール)という形で暗示するのは舞台ならでは。細かいセットチェンジを、壁と扉という小道具によって示しているのも、なるほど確かに「ハードボイルド・ワンダーランド」は次々扉を開いていく、一種の「不思議の国のアリス」だな、と作品理解がより深まった気もした。

 そもそもが無謀な試みをここまで形にしたというだけでも十分、万雷の拍手には値するかもしれない。私としては兎も角、二年前の自分が小説家としての歩みを始めた場所で、最愛の物語が演じられているのを感慨深く眺めたのだった。=朝日新聞2026年4月12日掲載