1. HOME
  2. インタビュー
  3. 時代のしるし
  4. 夜行列車、上京巡る人生模様 西村京太郎「終着駅殺人事件」

夜行列車、上京巡る人生模様 西村京太郎「終着駅殺人事件」

 旅が好きになったのは、戦争が終わって、人事院に勤めてからです。20日ぐらい有給休暇があって、仕事がつまらないと、青森とか、夜行列車で遠くに行っていました。駅に着いたら、バスで十和田湖に行ったり。気ままなことをやっていました。作家になるつもりも全然なくて。
 29歳の頃に「お前もそろそろ結婚しろ」と上司に言われて、相手も見つけてあるからと。それで、仕事をやめました。逃げられなくなるでしょう。役所は面白くなかったですしね。
 作家なら自由にできる。松本清張さんの『点と線』を手に入れて、2時間ぐらいで読めた。僕もこのくらいなら書けるかなと。午前中は上野の図書館に行って原稿を書き、午後は浅草に行って映画を見ていました。
 親に役所を辞めたとは言えませんでした。お袋に毎月お金を渡して、1年間は退職金でもたせました。でも全然、作家になれない。江戸川乱歩賞に応募してたんですが、当選せずでね。
 お金もなくなり、お袋に「辞めた」と言ったら泣かれちゃってね。それでパン屋の運転手をやりました。お金をためて辞めて、また探偵社に勤めて。新人賞をもらったのが昭和38(1963)年でした。
 列車のミステリーを書いていますが、僕は社会派の生き残りだと思っています。生まれた頃が戦争中でしたから、その根があるんです。役所に入ったのが昭和23年、戦後すぐです。朝鮮戦争の頃はレッドパージがあって、友だちが急にいなくなった。聞くと共産党員だったから地下に潜りました、と。どうしても事件を「社会派」にする癖は抜けません。

事件を「社会派」にする癖 戦争に根

 最初に列車で小説を書いたのは、売れなかったから。作家になってから、社会派はだんだん駄目になった。公害問題も騒がれなくなって、そういう小説が売れない時代になった。僕も名探偵物を書いたりしましたね。
 「西村さんのは良い小説だけど売れません」と光文社の人に言われてね。どういうものを書きたいか二つ出せといわれて、「寝台特急殺人事件」か、浅草が書きたいと言ったんです。そしたら浅草は売れませんと。ブルートレイン(寝台列車)は、当時はやっていたんです。
 『終着駅殺人事件』は上野駅が舞台です。上野が好きなんですよ。登場人物たちは青森から上京して、夜行列車で帰郷します。成功して郷里に帰る人は、上野駅が始発でしょう。人生の始まりというか、他の駅とは違うと思っていました。
 やっぱり小説には夜行列車が一番ですね。夜を過ごすので、どんなことでも書けます。暗くなって、遠くの家の明かりがつくと旅情もあってね。
 『終着駅殺人事件』では、青森から上京してきた女性とその教師の関係も書きました。
 昔、寝台列車の普通の座席の方に座って、青森から帰りました。中年男性と、18歳ぐらいの女の子で乗ってきて、明らかに女の子は東京に働きに行くんです。男の方はセールスマン。寝たふりをしていたら、男が口説き始めたんです。最初は相手にしていなかったのに、1時間ぐらいして起きたら、まだ口説いてる。上野についたら、2人が一緒に出ていってしまった。
 実際にそういう2人がいたんですよ。昔の夜行列車には、色々な人生を想像させるような光景がありました。新幹線だとそうはいきません。すぐに着いてしまいますしね。
 でも夜行列車は取材だと寝られません。午前2時になったらどうなるのか、朝は何時に新聞を載せるのか。見ていないと分からないですから。夜行列車を途中で降りて、車で仙台に先回りできるかどうか実験をするシーンも、実際にやりました。今も年に6回、取材に行きます。1年に出版社12社分を書くので、2社分が1回。もう長い間、そうやっています。
 主人公の十津川警部の名は、奈良県十津川村から取りました。坂本龍馬と親交のあった十津川村の中井庄五郎が、真っ先に敵討ちに行って返り討ちにあったり。そういう村の歴史が好きなんです。
 十津川警部は、鋭さがないところはあります。サラリーマンとして書いているから、どこかで妥協せざるを得ません。でも、それが庶民感覚に近いんだと思います。
 (聞き手・高津祐典)=朝日新聞2016年7月27日