1968年の東大駒場祭のポスターが注目され、イラストの仕事をするようになりましたが、「素人の学生にそんなことできると思っているの?」と仕事を持ってくる方への疑問がありました。単にいたずらで書いただけなのに。大学では江戸時代の歌舞伎などを学びましたが、当時はまだマイナージャンルだった。
イラストの仕事はやりたかったし、来た仕事を全部引き受けなきゃいけないなと思ってやっていたけど、だんだん自分が思っていたことと何か違うな、と嫌になってきたんです。
そんなある日、頭の中に音楽がわいた。突然ですね。なぜかはよくわからない。音符は書けなかったけど、何か書き留めないとと思って、とりあえず歌詞を書いた。それがミュージカルになった。
編集者にミュージカルを書いたと言ったら「戯曲を書いたら」って言われて。戯曲を書いたら「面白いけど、戯曲って売れないんだよね」と。
人生は通過地点の連続 大事にしなくちゃ
装丁の仕事もしていたので、書いたものを本にしたかった。編集者から小説家がえばっている話を聞いていて、小説家になれば出したい本を出版できると考えた。それで小説を書こうと思ったんです。くだらない欲望ですよね。
小説なら、おじさんたちの好きな女子高校生を書こうと。笑いも入れて。それが「桃尻娘」です。どうして一人称で書いたのかと聞かれてもわからないですね。三人称で書く発想がなかったので。
女子高校生の言葉も少女マンガや雑誌の投書欄の文体があんなものだった。そういう言葉は、考えたら、中学生ぐらいに私が使っていた言葉だった。時代が移って男の子が使っていた言葉を女の子が使うようになったんだなって。
これを書くまでは、女子高校生の悩みなんて、深刻だと思われていなかった。だから「私なんか悩んでもしょうがないね」というトーンでしか書けなかったですね。
40年近く前のあの頃、妙に締めつけがある時代だった。学生運動の全共闘時代の締めつけが続いていた。いちいち爆弾をしかけてぶっ壊していかないといけなかった。しかも過剰に。過剰にぶつけないと「人間っていろいろあってもいいじゃない」と言おうとしても、美しく、キチンとしていないといけないみたいになっちゃう。そういう優等生的なのは嫌なんですよ。だから「桃尻娘」では、猥雑(わいざつ)な、強い言葉をたくさん使っている。ポルノ小説ととられても構いはしませんでした。「桃尻娘」は、真面目になりすぎるといけない、と考えるための物差しです。
一方で、「永遠の若さ」みたいな感じにも受け止められた。大人にならなくてもいいんだという時代の扉を、オレが開けちゃったのかもしれないけど、大人にならなくていいなんて思っていない。
今の若い人って、早いうちに大人なんですよ。バカな若い子じゃなくて、バカな大人の若い版になっちゃっている気がする。私はたぶん、バカな子どもが好きなんですね。バカな子どもの時分に、いろんなことを吸収しないとダメなんじゃないかな。通過地点を大事にしなくちゃね。人生は通過地点の団子状態みたいなものだから。
既成のものに寄りかかるんじゃなくて、自分の中から何かが生まれてこないといけないな、というのは全然変わっていないですね。よく自分の中から女子高校生を生み出せたなと思う。でも、生み出す方法は知っている。自分と違うのだから、正反対に行けばいい。自分はこう考えるけど、女だったらそうは考えないなと。いつも反対側はどうなっているのかを考える。そうじゃないとゆがんじゃいますもん。(聞き手・藤井裕介)=朝日新聞2016年4月27日掲載